指導者としての自覚

毎週月火木金の夜は少林寺拳法の時間。
私が子供の頃は何十人と門下生がいたものの、今はその半分以下。体の感覚を通して「気づき」を重ねていく学び方の大切さを知ってからは、大勢を一斉に指導するにはどうしたらいいのだろうか・・・と迷っていたから、丁度いいと言えば丁度いい。
 
 
 
考えて見ると、私が子供の頃はただ、号令のもとでひたすら体を動かす。そんな練習の仕方だった。教えがあっても、それをどう考えるかなんてほとんどしなかった。ただ、それでも、「教え」として目指すべき道が確実に示されていたからこそ、今、こうして、少林寺拳法の先生をしているんだと思う。
 
 
 
少林寺拳法ってのはたぶん不思議な武道だ。
まぁ、その他多くの武道をそれほど知らないからあれだけど(笑)
大会に出て入賞する事に重きを置かないし、段位が上だからといって偉いわけでもない。分かりやすいゴールが外からは見にくいんだと思う。
 
だからだろうか、少林寺拳法の先生は皆、個性的である。
自己確立、自他共楽、という大きな意味での道しるべをそれぞれの先生が自分なりの解釈を持って指導しているんだと思う。
 
 
 
私の場合は・・・というと、これまでずっと、指導者というよりも、修行者だったんだ、と改めて思った。
体の感覚を認識して、それを元に稽古をする学び方は現代においては、ほぼ、見られなくなっている。マニュアルな指導というか、どこから見聞きした知識の組み合わせの練習ばかり。
 
練習、稽古、というと、勉強に近く、多くの人がそこに苦痛も感じている。苦労する経験があるからこそ、身につくのだ・・・と。
しかし、それが違ったのだ。
 
 
 
興味を持って稽古に向き合うと、もう、どんな時でも、体の事を考えてしまうようになる。自分の体にこんなにも可能性が残っていたのか・・・という気持ちは子供の頃、運動オンチだった人ほど喜びとして感じてもらえると思う。膨大な利子が付いて帰ってきたようなものなのだ(笑)
 
 
 
運動オンチの人でなくても、我々は皆、歳をとる。老いるのだ。
年々動かなくなっていく体を喜ぶ人は少ないだろう。
 
体を通しての稽古はその常識が間違いだった、と教えてくれるのだ。
 
 
 
そういう楽しさを感じたからこそ、まず、子供たちには自分が楽しく体と向き合い、練習をする、という姿勢を見せる事が一番なんだ、とやってきた。
もちろん、それは今でも変わらないけど、そこにもう一つ、向き合い方を得たのだ。
 
それが「上から目線」。
ネーミングは偉そうだけども、中身はもうちょっと真面目(笑)。
自分がやっている事に自信を持って、伝えていく、という事。
 
 
 
これまで、ずっと、自分に対して劣等感を持って稽古をしてきた。その劣等感が無くなり続けるところに楽しさを感じていたんだけど、それを聞く側からみればきっと、頼りない指導者に見えていたはず。
自分の気持ちの中では一修行者と言っても、子供たちから見れば先生だもん。
 
自分に対しての劣等感も姿勢から来ているのだ、と実感する事が出来たのだ。
 
 
 
自分がなにかに向き合ったときに感じてしまう恐れ。それはその向き合った対象と自分とがピタリと揃ってしまったからこそ生まれてしまう。
骨盤を締める事を見つけたときに、細かく左右へ体をずらせる事に気づき、ずいぶんと心を楽にすることが出来た。
その感覚を応用してみると、上方向へも自分をずらす事を実感したのが、つい先日の火曜日のこと。
 
 
 
以来、少し上から自分と相手を観察するようにしている。
なにがどう変わっていくかはこれからだけども、自分の気持ちの中にこれまで感じたことの無かった指導者としての気持ちが沸いてきている。
 
 
 
私の父は少林寺拳法を大人になって始めた人。開祖という憧れる存在に出会い、その教えを広めようと人生をかける事ができたのは、自分の中に教えを通して変われた自分を感じられた自信があったからだと思う。
 
でも、私は物心つく前から道場にいた人間だ。
自分に自信を感じたことなんて一度も無かったし(笑)
少林寺拳法を好きになれたからこそ指導者の道へと進んでみたけど、伝えられるのは楽しく自分の体と向き合う姿勢だけだった。どこかに自分は体の事を好きになれたけど、それをうまく言葉に出来ない弱気な自分がいたんじゃないかな、と思う。
 
 
 
ちょっと上から自分を観察できるようになり、自分の取り組みの仕方は今の時代にあっているのかもしれない、って思えるようになった。
 
カラダラボではこれからも模索を続けていくつもり。
そして、カラダラボにはその模索を一緒に楽しくしてくれる仲間が集まってくれている。
 
少林寺拳法には教えがある。模索はもちろん必要だけども、進むべき道を示してくれているのだ。特に子供たちには大人になった時に自分に自信を持ち、強く生きていく事を伝えていくことが必要だろう。そしてそれを子供たちに伝えるのは、全ての親に課せられた義務だと思う。なんとなく勉強させて進学させる。名の通った会社に入る。そんな事が幸せに直結しないのはもう、みんなわかっているはず。
それでも、それ以外の幸せの道が分からない人も多い。
知識としての答えは山のようにある時代だけど、実は体の感覚がなければそこに納得もなければ、自信も生まれないのだ。
 
古武術でも少林寺拳法でも、体の感覚の大切さとこれまで見過ごされてきた不思議さを一生懸命伝えていこう。
 
 

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