7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 中編

背骨は消える

昨日のブログで伝えたかったのは「背骨は消える」という事でした。長々と書き連ねてしまったのは、自分の体の中に生まれた感覚がまだ全然、言葉になっていなかったからです。

いつもそうですが、もやもやと自分の体の中に感覚的なものが生まれます。それを材料に何日か稽古をすると、だんだん、言葉になっていきます。言葉にするときはシンプルにするのを望んでいるようで、昨日の何千字かの文章も「背骨は消える」という単純なところに落ち着きだしています。

 

言葉が単純化すると、その動きを再現するのに時間がかからなくなります。これはメリットのように思われますが、きっと、モヤモヤとした感覚のある一面だけをクローズアップした結果で、その他の働きから目をそむけてしまっているかもしれないなぁ、とデメリットの部分もありそうです。

今日これから書いていくのは、自分の中ではっきりしてきた動きを、より素早く術理として使っていくための考え方です。ですから、すべての責任は自分にあります。結果として、甲野先生が教えてくれていたのはこの事だったか!と興奮することはありますが、その考え通り、甲野先生の使われる術理と同じかと言えば絶対に違うはず。先生にご迷惑のかからないように、と考えていますが、言葉足らずなところもあるはずです。疑問に思うところがあれば、直接、メールや講座、稽古で聞いてください。質問をしてくれた事からさらに理解が深まり、新しい展開が見えてくるのが研究稽古のいいところです。ご遠慮なく。

目に見える相手、見えない相手

さて、「背骨が消える」という事について改めて書きます。

たぶん、これは「認識」という問題です。認識というと難しいですが、その難しいことを私たちは無意識に行っています。しっかりと認識をしている反面、ちょっとした勘違いで見ず知らずの人を知人だと思ってしまいます。(以前、オレオレ詐欺の電話実験を見ましたが、意外と簡単に騙されてしまうようです。)

 

本来、私たちは五感をすべて使って生活をしているはずです。重いものを持ち、動き、環境に合わせて無理のないようにしなくては生きていけなかったからです。でも、だんだんと機械が代わりに働いてくれるようになり、身体を使うよりも、見て、制御する事、考えることが増えてきました。そしてコンピューターが普及して情報を2次元で得ることが増えたせいか、「視覚」への依存が多くなったように思います。目に見えるものは「ある」「正しい」という観念が強くなっています。

自分の認識にはなかなか気が付けない

偉そうに書いていますが、私もつい数日前まではそうでした。視覚には騙されてはいけない、と考えていても、目の前に実際にいる相手を当然の事として認識していました。それが実際に感覚的な世界から目の前の相手を見失って初めて、自分の認識が思い込みから生まれていた事に気付かされました。どうやら認識の元は「背骨」だったようです。甲野先生がご自身に蜘蛛の糸を絡めた瞬間、目の前に見えていた先生の身体を見失いました。目には見えているんです。でも、その他の感覚に入ってきません。しっかりと押さえられていたはずの動きがスルスルスル~っと自由にされてしまいました。本当に不思議な体験でした。

 

勝負であれば、これで終わりです。命のやり取りだった仕合であればそれをやられた方は生きてはいません。しかし、武術はこれを「経験」として、「活かす」事を求めてきたように思います。人間のより深いところを目指すんです。

背骨を消されて動かされてしまった私は「人の背骨は消える」という新しい、常識外れの観念を持つことができるようになります。観念さえできれば求め続けることができます。

 

普通の体育が苦手だった私が変化をし続けられてこれ、この先、死ぬまでずっと、変化していくんだろうなぁ、と思えるようになったのは甲野先生がまさに、体験を通して、私の頑固な観念を壊し続けてくれたからだと思います。私が皆さんに甲野先生との縁をつなぎたい、と思っているのはこういう部分かな、と今改めて思いました。うまく説明ができませんが、わからなくて諦めそうになっても、大丈夫、年に数回、ちょっとずつでも手を合わせ続けることが観念をバージョンアップし続けてくれますからね!

背骨を消す感覚に気付くまでの道のり

さて、「背骨が消える」という驚きの体験から一夜をすぎて、日曜日の浜松での甲野先生の稽古会。一応、世話人ですから、参加者のお世話を一番に考えています(笑)。わからなそうな顔をしていれば声をかけ、最初の一歩を助けます。具体的な手順が必要であればそれを提示することもありますし、自由がよさそうだな、という人には背中を押して自由をすすめたり。とにかく、強制なく、それぞれが楽しく、自発的に稽古ができる「場」こそ、上達のカギになります。

 

浜松の稽古は参加者もそれなりにいましたが、2時間ほど過ぎたころには場の雰囲気も出来上がり、それぞれが自発的に動き、楽しめるようになりました。こうなると、世話人としての役割はありません(笑)。昨日、体験したあの不思議な動きを「自分で」試したくなってきました。受付の横でこっそり座り、手を抑えてもらいました。

 

今回自分の中の一番頼りになる術理は「背骨を厚く使う」という事でした。イメージはステゴザウルス。背骨を丸くし、背中側へと骨を伸ばしていくように意識をします。この操作で体の中心軸が桁違いに強くなります。この使い方自体はひと月ほど前に見つけたものですが、それ以前には気になっていた外圧にも「気にせず」立ち続けることができるようになっていました。

 

自分が困らなければ変化の必要は生まれません。もちろん、頭の中にはより、働きのある使い方を、と考えていますが、その結果が「背骨を強く意識する」という事でした。背骨をどんどん強くすることこそ、「正しい」成長の道なのだ、という観念があったんでしょう。厄介なことにそれを意識することはできませんでしたが。

 

背骨が消える経験をして、背骨を強くしてきた事で自信をつけていた自分が壊れました。ぎりぎりの勝負でやられたのであれば、もっと強くして・・・という選択肢もありかもしれません。しかし、背骨が消えた瞬間、自分の強かったであろう背骨が役立たずになったんです。ショックが強ければ強いほど、そこからもう一度立ち上がるのは難しいかもしれません。信じられないものを見たとき、なかったものとして忘れようとする人もいます(笑)。むしろ、長年、組織、ルールの中で活躍してきた人ほどそうかもしれません。ルールの中、組織の中に戻れば、それまでの常識、観念が通用します。しかし、無意識はもう、知ってしまったんです。今まで自分がやってきた事の無力さを。きっと、これが種です。種が芽をだす時間はひとそれぞれ。じっくり、自分の内面を観察して、いい稽古をしてくださいね。

キーワードは「しょんぼり」

流れを自分の実験稽古に戻します。受付横でひっそり始めた研究稽古。手掛かりは昨日のあの感触だけ。背骨を強くすることを良しとしてきた事をどう捨てるか、それを考え、いろいろと試します。あれこれ試している中で思いついたことがあります。それは背骨を強くする過程で、「仙骨→腰椎→胸椎→頸椎」と徐々に意識を上げていたんです。ちょうど、前日の金曜日に頭蓋骨の中心に位置している「蝶形骨」にも「厚さ」があることに気付き、頭を後ろへ引っ張られるように意識をすれば蝶形骨にも背骨と同じように厚みをつける事が出来るかもしれないな、と考えていました。

 

アイデアは生まれても、「大切なのは背骨」という観念があればなかなか先へはすすめません。蝶形骨のアイデアはあっても、それに没頭する事はできなかったようです。それが背骨は消えた方がいい、という新しい観念が生まれてくれたおかげで意識は背骨から蝶形骨へジャンプしてくれたようです。蝶形骨を後ろへ引いて意識をそこに集めます。ふと、土曜日、甲野先生がNHKカルチャーでの講座の際に「昔の剣術の姿勢はみんなしょんぼりしていた」と言われていたのを思い出しました。蝶形骨に意識をしたまま、首を落とし、「しょんぼり」とした姿勢を作ってみました。すると・・・、

 

なんという事でしょう!自分の背骨がふっと消えた感じがしました!受付横の本当に壁際。しかも、こっそり、ちょこんと正座をして柾目返し。まさかそんなところで興奮している男がいるとは思わないだろうなぁ(笑)。昨日の今日でヒントをつかめたことが驚きでしたが、あれこれと試して少しずつ、新しい動き方がわかってきました。

 

蝶形骨の意識がなくなった瞬間、首が捻じれて姿勢が崩れます。しょんぼりの仕方、つまり首の落とし方にも工夫が必要みたいです。つい、真下に落としたくなりますが、真下を見ることはしょんぼりにはなりません。元気に下を見ることになってしまいます(笑)。やはり、ポイントは「しょんぼり」。自分の気持ちも意識しながら首を落とさなくてはダメみたいです。コトン、と背骨の上から首が落ちるようにするといい感じになります。この状態で手を上げてみると、背骨に全く力がはいりません。まさに、それまでの自分の方法を捨てることができる使い方です。

心よりも身体に頼る

頭で考えることは自由です。でも、具体的なものがなければ、ついつい、同じことを繰り返してしまいます。考えたことを実際に現実のものにするにははっきり意識をし続ける何かが必要です。そのなにかこそ、身体です。背骨はいらない、消すんだ、そうだ、そうだ、と頭で願っても、それまでの癖はなかなかとれません。身体が覚えてしまっているからです。蝶形骨を意識して頭をつよく認識します。その強い認識があるから、しょんぼりとした姿勢を作った時、背骨に頼らなくてもよくなり、背骨に力みを作らずいられます。違う自分を表現できるようになります。

 

背骨を消した状態を大切にしながら、手を上げてみると、相手との接触圧力がものすごく小さくなります。きっと、昨日の私が感じたように、相手が目に見える身体と五感で感じられる身体にギャップを持ってしまっているんだと思います。研究稽古をお願いするときにはとにかく、遠慮なく、いろいろな方法で抑えれないかとお願いをします。商品開発で言うテストですから。技がかからなくて気まずいなんという心配は無用です(笑)。どうやら、背骨を消すためのしょんぼりを維持し続けると自分のやりたい動きをやり続けられることがわかりました。

 

あぁ、気が付けば、もう4000文字。実際に手を合わせて話をすれば単純なことが感覚を言葉にするとこんなにもわけがわからなくなります。でも、ある意味、この分からなさがギャップを生んでくれているのかもしれません。「しょんぼり」とした姿勢はどこにでも見られることですし、誰にでも出来る事です。「しっかりとしょんぼりする」事ができれば、こんなにも強い(笑)。「しょんぼり」という普通の事を天地がひっくり返るほどの衝撃を持てたからこそ、技になっている気がします。

 

なにも考えずに書き始めた稽古報告ですが、まさか、これで終わらないとは(笑)。実はまだまだ続きがあります。背骨を消すきっかけを見つけて動いていると、両手、両足がそれまでの縛りから抜けてのびのびと働き出すのを感じました。そしてその両手はぴたりと左右連動する仕組みがあったようなのです。この仕組みのおかげで左手を動かそうとするときには右手を、右手を動かすときには左手を、と考えた方がいい動きができます。

敵、問題を前にしたとき、無意識に生まれる恐れや不安が反対側の手をコントローラーにすると、伸び伸びさを失わずに動くことができるようです。この辺りの細かい感覚、動き方について、また、あらためて記事を変えて報告をしたいと思います。また、お付き合いください。よろしくお願いします。

 

 

山口潤の動きを体験する方法

このウェブサイトで紹介している動きは全て、誰にでもできるものです。

理由は" 体そのもの "の使い方だからです。

これまでたくさんの" 方法 "を学んできたと思います。身につけられた方法と身につけられなかった方法、いったい何が違うのでしょうか?

私はそこに現代人が忘れてしまった" 体の使い方 "だと感じています。

便利でなかった頃は体を頼りに生きていくしか方法がありませんでした。でも、今は体を使うよりも、機械やサービスを活用したほうが効率的です。効率を重視してきた結果、多くの人が体の使い方を忘れてしまったようです。

実際、私の講座にはプロとしてお仕事をされている方もよく見えます。他人の体は治せても、自分の体の動かし方は苦手なようです。私がお渡しするのはある意味" 超アマチュア "な技術です。だからこそ" 誰にでもできる "のです。

各地に講座もありますし、出張稽古も受け付けております。

 

山口潤プロフィール

3歳から父の影響で少林寺拳法を始める

18歳で中部大学少林寺拳法部に転籍。学生連盟の仕事を通して少林寺拳法の楽しさを知りました。

22歳、大学卒業の年、甲野善紀先生に出会い衝撃を受けます。

その後、父の道場に戻り指導を始めながら身体感覚の研究稽古を始める。(以来、ずっと、新しい発見が続いています。)

10年ほど前、父から少林寺拳法の道場を引き継ぎました。

少林寺拳法の全国大会に愛知県代表として出場したとき、肩を壊しました。それがきっかけになり、それまでの仕事を辞め、身体の楽しさを伝えることを仕事にしようと決意をし、カラダラボの活動を始めました。

コネもビジョンもなかったのですが、思いが伝わってくれたのか、定期稽古は名古屋、浜松、掛川、大垣に、文化センターの講座は名古屋を中心に10か所ほどに増えました。ありがたいことです。

活動の場面はいろいろと増えておりますが、毎日、ずっと、体に目を向け、声を聞き続けています。


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