書きたいものが「無限」に出てくる作家は幸せだろう。
伝えたい声、気持ちが「無限」に出てくる歌手は幸せだろう。
描きたいものが「無限」に出てくる芸術家は幸せだろう。
やりたい事が「無限」に出てくる人は幸せなのだ。
自分の中から「無限」にアイデアが沸いて出てくるという能力はとっても魅力的だ。
その「無限」を自分も持っていた、それに気づいたのが、さっきだ(笑)
どうしても、その興奮と喜びを残したくて、まとまらないまま、感じたままに書いている。
私が持っていた「無限」は身体の動かし方。
次から次へと、新しい動きが出てくる。その出てくる動きは常に、それまでの動き方を超えるもの。
そして、その新しい動き方に気づくたびに新しい気持ちになって、新しい自分になれる。
歳をとったら動けなくなる、病気になったらもうだめ、そんな事は全然ない。
つねに、あらゆることが自分の経験となって、その経験から、身体が新しい感覚を教えてくれる。
面白いと思ったのは、自分の「無限」に気がついたのはアタマで、身体はもう、それを行っていた、という事だ。
もうすでに、次から次に出てくる新しい動き方を「伝える」という事を仕事にしていたという事。
今、たくさんの機会を得て、身体の使い方を教えている。
そして、これまで、一度もネタが尽きた事がない。同じ講座をした事がないのだ。
子供の頃、全く、アイデア、独創性がなくって困った自分が信じられない。いつ、変わってしまったんだろう?
いつ変わったのかはわからないが、変われた「原因」ははっきりしている。
「身体感覚」という存在が「ある」とわかってからだ。
自分の日常生活の中で、だんだんと「身体感覚」が増えてきた。
なにかができる、できない、という結果ではなく、その時、その瞬間、自分の身体はどんな感覚になっているだろう・・・と声を聞き始めてからなのは間違いない。
そして、いつのまにか、身体からの感覚に敏感になり、ちょっとした事から、たくさんの事に気づかせてもらえるようになった。
その新しい感覚が実に「快適」なので、それを縁ある人に伝えていたら、今の仕事になっていたのだ。
身体は誰しもが持っているもの。
アタマだけの人はまだ、いない。
私が見つけたのは身体を見ることで自分の中に「無限」を感じられる方法だ。
いつも、自分の中からやりたい事が溢れている状態をぜひ、想像して欲しい。それは身体に目を耳を感覚を傾ければ、「必ず」手に入る能力なのだ。
現代はやらなくてはいけない事の多い時代。
こういう時代だからこそ、自分の内面も使えるようにしておく必要があると思う。
特に、今、ちょっと調子が悪い、と壁に当たっている人は。