無意識の動きと意識的な動き。
意識できないからこそ、無意識の動きになるんだけど、意識と無意識との間をつなぐモノが身体ではないか、と思うようになってきました。
手指のキャスターが働くようになって、自分で自分の動きを見ても「速い」と思うようになってきたんです。
ただ、この手を出して、目の前のコップをとる。
その時の動きが速くて、なめらかなんです。
武術的に試してみると、手指のキャスターから動いたときには相手もその手の初動を掴みきれずに、崩されてしまう事がなによりの証になっています。細かい理由は分からないですが、まだまだ自分の身体に残っている可能性を感じさせてくれます。
さて、この手指のキャスター。
この動きをより、認め、使いこなすことでいったいなにが出来るようになるのか。
それはやりたいこと、やってみたいことを無意識のレベルで行っているレベルに引き上げることができるようになる、という事。
例えば自信のない時に誰かを訪ねるとしましょう。
ドアをノックします。
この時、恐る恐るノックをしていませんか?
もし、次に起こる出会いに全く恐れを持っていなければノックは全く自然に、むしろ、気にすることなく、コンコンと行うはず。
こんな時、人は、大丈夫、大丈夫と、心に暗示をかけようとします。
実際に手のひらに人の字を書いて飲み込んだり、お気に入りの音楽を聴いて、気分を高めてから、向かったり。
しかし、どんなに心に暗示をかけても、心の奥の奥にまである恐れは相手には見えてしまいます。
きっと、ノックのコンコンも、相手の無意識にはこちらの恐れが届いてしまっているんでしょう。
この時、手という具体的なものの動きを高めるのです。
手指のキャスターはそれをさせてくれます。
テレビや映画の俳優は自然な動きを求めて日々研究されているはず。
しかし、その自然さを求めるのは大変なようで、みんながみんな、自然体の演技を身につけられるかというと、どうもそうではないようです。
しかし、この手指のキャスターを身につける事で、自然な動きに一歩近づくのです。
武術の動きは自然さへとどんどん自分を近づけてくれます。
面白いのはその自然さへのスピードがドンドンドンドン加速度を上げていくのです。
甲野先生に出会った頃、なにをすべきかと考えてもなにも手がかりがなくなってしまったんです。
動きが変わるきっかけとなったのは、「どう動くか」を求めるのではなく、自分が「動いていない」と認める事だったんです。
自分が動けない、と認められると、今度は自分の身体になにがあるのかを見ていくことが出来ます。
最初、数年に一度しかなかった大きな変化が、今、毎月、毎週、いや、稽古する度に新しい動きを見つけることが出来るようになりました。
この一つ一つの発見、気づきはどんなにお金を出しても手に入れられない自分自身の成長を感じさせてくれます。
この成長が死ぬまできっと、続くんだろうなぁ、と実感しました。
そして、この楽しさをもっと共有したい、と願い、今の仕事を始めています。
興味があれば、ぜひ、お越しください。
身体を軽やかに動かしていくのは自分自身の責任であり、人生のテーマともつながるものですから。