自分の事を好きになろう、興味を持とう、それが世界を変えてくれる

以前、筋肉は疲れる、って話をしました。
それ、どうやら、私の見方が狭かっただけだったみたいです。訂正させてください。

2月3日、突然、動きが変わりました。気づいた瞬間、動きが変わり、それまで出来なかった事が出来るようになりました。
身体感覚の稽古は自転車に乗るようなもの、と思っていましたが、こんなにも大きな成果が出てくるとは夢にも思いませんでした。

その時気づいた使い方が「疲れない筋肉」です。
あらゆるものには陰と陽、二つの真逆の面がある、といわれますが、まさに、それです。筋肉というものに対して、それまで持っていた認識がガラッと変わってしまいました。筋肉はぎゅっと束ねて、瞬間的に力を発揮する力で持続をさせるには都合がわるい、そう思っていたんです。しかし、それが、筋肉をバラバラなものとして認識し、それらを一つに束ねる事無く、放り投げるように使う事で、疲れず、さらに、一本一本、すべてから力を得られる事がわかりました。
この時、「放り投げる」感覚があると、身体全身が宙に浮いた感じとなり、相手との間合いをつめる事ができます。しかも、なにかをしようと筋肉を緊張させる必要がないので、相手の動きに合わせてすぐに「反応」する事ができます。

言葉遊びのようですが、それまでの動きは「反射」であり、コントロールの難しいものでした。でも、バラバラを意識してみると、「反応」、もしくは「対応」できる感じになるんです。まさか、こんな気持ちになれるとは夢にも思っていませんでした。これまで、何とかしよう、と努力を重ねてきた事がまるっきり、逆に働く事でできるようになってしまうんですから、身体の持つポテンシャルの高さはもう、想像もつきません(笑)。

筋肉を「束ねて」使うとき、それは身体の大小、繊維の太さなど、他者との競い合いになります。競争ですね。
でも、筋肉を「バラバラ」にするとき、比較するのは他者とではなく、それまでの自分との比較です。バラバラになればなるほど、より速く、細かい動きにも対応ができるようになります。身体の大小などは関係なくなってしまうわけです。

どんなに筋肉が少ない、小さい、といっても、身体に筋肉がないわけではありません。誰の中にも筋肉があり、骨があります。その筋肉がばらける事で瞬間、身体が浮いてきます。その浮いた身体を相手は認識するのが難しいのかもしれません。普通であれば、ただ立っているだけでも、足に力を入れなくてはいけません。それがなくなっていくんですから、影響がないわけありません。

この先、今の軽く、浮いて動いている状態がさらに変化をしていくのは間違いないです。今、ようやく、身体(主に体幹部)を蹴らずに動きを出す事ができるようになりました。スピードゼロだったものが動き出したんです。力を抜くってこういう事だったのかもしれません。

さて、お伝えしたいのはここから。
どんなに頭でわかっていると思っていても、実際に、自分の身体に感覚として得られてないものは使えない、それを痛感しました。

筋肉が教えてくれるもの、それは努力と経験です。失敗や成功を重ねる事で大きくなっていくもの、それが筋肉です。努力をして、トレーニングをすれば、大きくなっていくもの、それが筋肉です。日本語には「コツ」という言葉がありますが、この語源は「骨」だそうです。筋肉に頼らず、骨を使う事こそ、日本の武芸、芸術の源だ、そう信じてきました。しかし、現実の世界はまだまだ「努力信仰」が広がっています。つい、なにかをしようとした時、がんばってしまうし、まわりの人たちもがんばってね、と応援してくれます。これ、無意識に筋肉に頼っているからこそ、でてくる言葉なんだなぁ・・・と。

筋肉はしっかりご飯をたべ、トレーニングをし、ちゃんと休めば何歳になってもつけることができるそうです。ただ、どうしたって食べれなくなるし、怪我でもすればトレーニングもできません。そして、いろいろな意味で休む事もできなくなります。なかなか理想と現実は違います。
しかし、頭の中ではがんばって、練習、勉強して、能力を上げて、成果をあげよう、とするパターンが出来ています。なかなか完全な他力本願って難しいです。きっと、本来の他力の意味も身体の感覚の喪失に伴って変わっていったんでしょうね。今回、筋肉をバラバラに使う、という感覚が「自分」という枠を壊していく事でも成果を得る事ができる、と確信させてくれました。1ミリもがんばっちゃ駄目、って事です(笑)。

身体感覚の世界は全く想像もしていなかった世界でした。20年前、大学を卒業したばかりの私は達人技に憧れていろいろな本を読み、なにかヒントになるものはないか、と探していました。幸運にも甲野先生とご縁ができて、実際に身体を通して感覚の存在をしってからはなんとか、自分でもそれを感じたいと思い稽古を続けてきました。
気がつけば今、こうしてその身体感覚を伝える事を仕事にまでするようになりました。

新しい身体感覚に出会うほど、現代の常識、価値観とのギャップを感じます。もともと使命感のような強い意思を持たない性格でしたら、のんびり、20年稽古をしてこれたわけですが、さすがに、この先、人間はどうやって生きていくんだろう、と心配になります。
人間のロボット化、人工知能AIの進歩は止まりそうにありません。もうすでに、スマホ、ネット、ロボット無しでは社会は成り立たないのを思えば、ある意味、後には戻れない状況なのかもしれませんね。

それでも、身体感覚の可能性はこういう時代においても「何かができる」んじゃないか、と思い続けていました。ハードルが高くなればなるほど、身体から見つかる感覚も大きなものになってきますし、「がんばれば」何とかなる、そういう気持ちでいました。
私自身は身体感覚の虜ですから、この先、死ぬまで、身体の観察を続けると思います。そして、それはつらい作業ではなく、とても幸せな事だとも理解しています。でも、身体感覚を認識していない人にとっては、非常に面倒で、手がかりのないインチキなものに見えてしまうかもしれないなぁ、と思っていました。最初の一歩のハードルがどうしても高いんです。私に覚悟や使命感があれば強く発信をし続ける事が出来たかもしれませんが、私自身、強制される事が苦手な人間ですから、ちょっと無理なんです(笑)。

無意識に「がんばれば」なんとかなる、そんな気持ちしか手段はなかったんですが、筋肉をバラバラにする感覚が全く違った希望を与えてくれました。一人の強いリーダーが世界を変えるのではなく、一人ひとり、小さくとも、無理をせず、やれる事を行っていく事で、緩やかに世界は変わっていく、そんな可能性もある事を確信しました。

私自身は身体感覚の虜です。それが仕事にもなりましたし、自分が気づいた事をシェアするのも大好きです。24時間、いや、夢の中でも稽古をしていたいぐらいです(笑)。でも、そんな変な人、あまりいません。皆普通に、それぞれの人生があります。

しかし、大きく変えるだけが選択じゃないんだなぁ、と思ったんです。ちょっとでも、身体に興味を持って、意識をしてくれるようになれば、すこしずつ広がっていってしまう事はあるはずだ、それがわかりました。この時、下駄や箸や着物はとっても役に立ちます。下駄の効用として紹介しましたが「誰でも」下駄を履く事で姿勢が整い、しっかりとした立ち方ができ、地面や重力と喧嘩をせずに動く事が出来るようになります。その変化を自覚したならば、身体に興味が絶対にでてくるはず。日常生活の中で下駄を履いてもいいし、靴を履いていたとしても、なぜ、下駄のような軽やかさがでないんだろう、疑問を必ず持つようになります。そういう小さな身体への興味が少しずつ広がっていけばいい、そう思っています。

今、多くの人にとって身体は重荷です。身体を意識する機会がネガティブなものばかりになってしまっています。だからでしょうか、心に向けてかなり過剰な介入をしてきます。テレビや映画、そういう娯楽的な演出も泣かせば勝ち、みたいなものが増えてきました。確かに泣く事で解放、発散となり、身体は緩みます。でも、わざわざ、扱いにくい心からそれをしなくても、身体そのものを動かす術を身につければ、いつでも、身体はリラックスさせておく事が出来るようになり、いらいらする時間をドンドン減らす事ができるようになります。ポジティブに身体を意識する、靴を履くたび、箸を使うたび、その瞬間の身体の感覚を楽しめる人が少しでも増えてくれたらなぁ。

私たちは大人です。私たち大人をお手本にして子供は育ちます。大人である私たちが人間の証である身体を嫌っていたら当然、子供たちも身体に自信を持てなくなってしまいます。特別な事を言わなくもいいんです。自分自身が自分の身体のことをすごいと思って一緒にすごす、それがまた、小さな影響を彼らに残すはず。ちょっとした事で世界は変わる、そう確信しています。だって、ロボットになりたい人はそんなに多くはないと思うんですよね。便利なものが溢れる世界になるのは仕方ありません。でも、そのとき、ちゃんと、人間らしさも楽しめるようにしたいものです。

筋肉の話かと思ってページを開いた方には変な方向へと話が進み、???となってしまったかもしれません。それでもこんな最後まで目を通してくれてありがとうございます。感覚ってなんだろう?そんな疑問を持ってくれるだけでも世界は変わっていくと思います。もう、読んでくれただけで応援になっています。ありがとうございます。

山口潤の動きを体験する方法

このウェブサイトで紹介している動きは全て、誰にでもできるものです。

理由は" 体そのもの "の使い方だからです。

これまでたくさんの" 方法 "を学んできたと思います。身につけられた方法と身につけられなかった方法、いったい何が違うのでしょうか?

私はそこに現代人が忘れてしまった" 体の使い方 "だと感じています。

便利でなかった頃は体を頼りに生きていくしか方法がありませんでした。でも、今は体を使うよりも、機械やサービスを活用したほうが効率的です。効率を重視してきた結果、多くの人が体の使い方を忘れてしまったようです。

実際、私の講座にはプロとしてお仕事をされている方もよく見えます。他人の体は治せても、自分の体の動かし方は苦手なようです。私がお渡しするのはある意味" 超アマチュア "な技術です。だからこそ" 誰にでもできる "のです。

各地に講座もありますし、出張稽古も受け付けております。

 

山口潤プロフィール

3歳から父の影響で少林寺拳法を始める

18歳で中部大学少林寺拳法部に転籍。学生連盟の仕事を通して少林寺拳法の楽しさを知りました。

22歳、大学卒業の年、甲野善紀先生に出会い衝撃を受けます。

その後、父の道場に戻り指導を始めながら身体感覚の研究稽古を始める。(以来、ずっと、新しい発見が続いています。)

10年ほど前、父から少林寺拳法の道場を引き継ぎました。

少林寺拳法の全国大会に愛知県代表として出場したとき、肩を壊しました。それがきっかけになり、それまでの仕事を辞め、身体の楽しさを伝えることを仕事にしようと決意をし、カラダラボの活動を始めました。

コネもビジョンもなかったのですが、思いが伝わってくれたのか、定期稽古は名古屋、浜松、掛川、大垣に、文化センターの講座は名古屋を中心に10か所ほどに増えました。ありがたいことです。

活動の場面はいろいろと増えておりますが、毎日、ずっと、体に目を向け、声を聞き続けています。


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