甲野先生の講座に行ってきました!

 甲野先生の講座に行ってきました。
 横浜のカルチャーセンターです。
 60名を超えるぐらいでしょうか、
 会場内には「興味」の気配が満ちていました。
 
 一受講生として甲野先生の話を聞き、
 動きを見るのは久しぶりです。
 もしかしたら10年ぐらい経っているかもしれません。
 集注して、甲野先生の動きをじっと見つめ・・・、
 いや、じっと見つめてから「外し」、
 動きを身体で感じてきました。
 
 時折「外す」感覚があるものの、
 やはり今の自分の身体では
 捕らえきれないらしく、見えません。
 いくつか課題を頂きましたが、
 この種をしっかりと育て上げられるか、
 不安が残ってしまいました。
 
 
 
 しかし、講座終了後、
 ロビーで先生としっかり話をする機会があり、
 自分の中に残っていた不安や疑問をそのままぶつけてみました。
 もう一度、ゆっくり技を受けてみました。
 
 今自分が興味を持っている「ズラス」感覚。
 これは良い感覚も悪い感覚も全部「ダメ」と考えて、
 感じたところから、あえてずらすところからスタートをしています。
 
 ずらしてみることで、「アタマ」が働きすぎずに、
 「カラダ」に動きをゆだねることができるのです。
 結果として気配が出にくい動きになっていきます。
 
 今の自分のレベルは「ズラス前」に「合わせる」必要があります。
 相手と「合う」からこそ、「ズレル」わけです。
 自分のできる限りの動きをしたことによる「自信」が
 相手とつながる感じを持たせてくれるのですが、
 先生を前にしたときにはあわせられません・・・
 
 目はこちらをしっかり見ている、でも気配なのか、意識なのか、
 普通の人には感じる何かがありません。
 ずらされたときには気になる感じでもないんです。
 
 どう言葉にすればいいのか、
 帰りの新幹線でずっと考えていました。
 
 「散っている」、この言葉なら合うかもしれません。
 先生からくる視線が細かく割れて、 目の前に散らばっている感じです。
 その細かなものを感じようとすると、こちらの意識も散っていきます。
 
 普段頼りにしている意識が散ってしまえば当然、
 どこに自分をおいて良いのかわからなくなります。
 それが「崩れ」になっていると考えました。
 
 甲野先生はカラダを割って使う、
 という言葉でご自身のカラダを表現されていました。
 散ったときに感じた感覚は意識が割れる感じです。
 
 どこにでも行きそうで、居着かない。
 相手とやわらかく一つになる感じです。
 
 とにかく多くのことを考え、気づかせてさせてもらいました。
 ちょっと前の自分ならばきっとここまでは「見えなかった」はずです。
 おそらく自分の中でなにかを見て、
 感じる精度が少し細かくなったからですね。
 
 妄想といわれてもかまいません。
 甲野先生に出会う前の自分は妄想すら出来ませんでしたから。
 自分の夢、自分のやりたいことって何だろう・・・
 それも描けなかった自分が嫌いでした。
 どうすればいいのか、その答えは誰かに教えてもらうものではなく、
 自分の心と身体が感じていることに気づいてあげることだったようです。
 
 
 追伸
 2月22日の甲野先生の名古屋講座は満席となりました。
 ただいまはキャンセル待ちになります。
 http://www.karadalab.com/modules/eguide/event.php?eid=124
 ご了承ください。

SNSでもご購読できます。