9/13 月一定例稽古

日曜日は名古屋で月一の定例稽古。文化センター枠とは違い、好きなだけ時間を取れるので、求めている本来の稽古が「伝えられ」ます。どうしても「講座」や「講演」はその時自分が思っている事、感じている事を伝えるだけで時間が来てしまいます。「自分から」稽古するところにも楽しさがあるのですが、目の前に「先生」がいると遠慮しちゃうんでしょうね、きっと。

この月一稽古はその「自由」を探すために行っているようなものです。自分がやりたいことって何だろう・・・それに気づくための時間だと思っています。講座のように親切ではないし、丁寧でもありません。ただ、感じたこと、思ったことは気兼ねなく聞ける環境だけは整えているつもりです。

実はこの月一の稽古会では「分かった」という答えは渡したくないと思っています。答えにしてしまうと、そこに居ついてしまうから。答えではなく、よくわかんないけど、確かそう・・・という方向が「次」へと向かわせてくれます。答えが無いからこそ、次に向かうための勢いをなくさずに求め続けていけるんですね。

あとちょっとで分かりそうなんだけどなぁ・・・という時の楽しさが一番元気がでてきます。

それにしても昨日の稽古ではセールスマンがモノを売るための仕組みとして話をずっとしていたのは我ながら驚きました。もちろんカラダの動きを通してです。考えていたわけでもないのに、話し始めたら、どんどん「分かって」いくんですよね。話をしているときには自分自身では自分の言葉を信じているんです、完全に。でも絶対この理論が「正しい」と思い込むとダメな事も知っています。だからこそ、稽古を通じて何をするかといえば、自分の仮説を壊す「なにか」を見つけるわけです。

自分の正しさを補うのではなく、自分の隙を見つけて補っていくのが稽古ですから。

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