9/14 操体法にて

早いもので操体法を学び始めて2年がたちます。
この2年で操体法から学んだものは何だろう?

技術も学びましたが、実際に覚えている「手順」だけを使って直せることは多くありません。
・・・多くない、というよりも治ってしまう不思議はあるけど、痛みがなくなることと生きることが楽しくなることはイコールではない事に気づいた事が大きなことです。。

なにも治せなかった頃には治してあげられれば・・・と思っていたけど、今はちょっと違う。
せっかくそこにある「痛み」を自分のものとしてどうすれば感じ取ってもらえるのだろう・・・そんな事を考えています。

痛みの痛さ、というよりも、痛みから生まれる感情に興味が出てきました。
きっかけは最近稽古で遊んでいる「あの板」です。二重曲面で作られているただの板、この板が生む働きが面白い。

ちょうど稽古のテーマが「無心」なのは偶然なのか、必然なのか?
あの板に乗ると、なぜか強く、しっかりするのは試してもらったとおり。

操体法的に板に乗ってカラダを回旋させてみました。
これが、よく廻るのです。
何も無いところで廻してみると、引っかかるところが出てきますが、それが出てきません。
痛みも減っている、という事になります。

なぜか・・・?
ここからは仮説というより、私の解釈。
あの板は人が作ったものです。しかも手で。一彫り一彫り丁寧に。
その板に足の裏を載せると、足の裏の緊張が抜けます。なんだか「探っている」感じです。

足の裏が「ここどこだ?」と情報を探っているんでしょう。
そこに自分の無意識が集まり、結果としてアタマが色々と考える余裕がなくなるのではないか、そう考えました。

この板を触っていて思ったことがあります。
そういえば今は全部「人工」のものだ!という事。
床も地面も、自然なものはほとんどありません。
土の地面であっても、私達は靴でそこを歩きます。

この板の手触りはある場所の床に似ている気がします。
ある場所とは、「お寺」です(確かめてはいませんが・・・)。
長い年月を多くの人たちが集う中で自然と生まれたであろう、床のくぼみ。
この柔らかいカーブと二重曲面が似ているような気がしてきました。

自分のカラダが無意識に受け取っているもの、それを意識できた時に生きている事にありがとうと言いたくなります。

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