中村天風師の自伝小説を借りた。真夜中、少しだけ眺めるつもりで読み始めたら、ページをめくる手が止まらない。気がつくと、一気に全部を読み終えていた。
このところ、天風師の本を読み漁っている。そこに書いてある言葉は「当たり前」の事ばかり。積極的に生きろ、という事。子どもの頃から、親や先生から散々言われてきた事ばかりだ。
ただ、大人になってみると、積極的に生きなければいけない、と分かっていても、つい口にするのは消極的な言葉ばかり。
救いを外に向けてみれば口癖を変える事が大切、とのこと。まだ世間を知らなかった若い私はなんとなく始めてみた。しかしその思いは長くは続かず結局またそれまでの自分に戻ってしまっていた。
今カラダが少し動くようになり、それまで知らなかった感覚を意識できるようになって、自分の意識の向いていた方向が間違っていた事に気がついた。
言葉から始める、というのも同じなんだ!やっとそこにたどり着いた感がある。自分が嫌なところにフォーカスをすれば、どうしても嫌な気持ちが出てくる。嫌な気持ちが出てきたところに前向きな言葉はつかえない。弱かったから。
カラダの稽古を通じて見てきたものも、フォーカスの移動だった。抑えられた手を見て、イヤだな、と思う。どうしよう、困ったな、とも思う。稽古を始める前までは「光」が無かった。でもそこにはまだまだ可能性があった。カラダはちゃんと動くんだ、という光が。
アタマは消極的だったかもしれない。でもカラダはちゃんと動くように出来ている。ただ、その動くカラダを見てあげていなかっただけ。
カラダのどこをみるのか、その方向。ココロのどこをみるのかその方向。その舵取りをするのはアタマであり、言葉なのかもしれない。