催眠術のような話

こんにちは、山口潤です。寒くなりました!朝起きるのがいきなり修行です(笑)。

ちょっと今日のお話は日記では説明をしにくいお話です。

というのは「見る」という眼のチカラのお話だからです。ただ、面白い!誤解をされる怖さもありますが、自分の眼のチカラを知って、大切に使ってくれる人が一人でも増えればなぁ、と思って、思い切ってお話します。よくわからなかったらすいません。後で、質問でもなんでも下さいませ。
 
 
 
さて、どこからお話をしましょうか・・・
結論から言えば、自分がどこを見ているか、という事は相手にも伝わっている、という事です。

それを意識しているかどうかはわかりませんが、確実に相手の「カラダ」には届いていることがわかりました。なにげなく、人を見たときに、自分が見ている見方が相手にどんな影響を及ぼしているのか・・・考えた事はありますか?
 
 
 
以前、「人は認めたように育っていく」という日記を書きました。自分が認めたことを相手はカラダで受け止めて、その認め方に引かれるように、ココロの方向も変わっていくというお話でした。

この時は「見るチカラ」を言葉にするのがまだ怖かったのか、「触れる」事で、相手の意識をカラダの外へともって行きました。触れられているところを基準に自分の「外側」がある、という事を認識してもらいました。

実は、「触れる」だけではなく、「見る」という事でも、相手の認識が変わってきます。こんな実験をしました。
 
 
 
まず、相手に手を出してもらい、手が上に上がらないように下へと押し付けてもらいます。この手を上げるのですが、この時、自分の「中指」を使って上へと上げるようにします。なぜ中指かといえば、それだけ腕力を使わなくてもいいんだ、という事をカラダを通して感じるためです。

前回は「触れて」いました。つまり、相手の手をこちらの手で優しく触り、カラダの外側を意識してもらったのです。意識が外へ向けば、自然と通常使っているカラダの内側への意識が弱まり、結果的にチカラの入れられない状況がやってきます。だからこそ、軽いチカラで手を上へと上げていけるようになるわけです。

今回は「見る」チカラです。見るだけで、相手に外側を認識してもらわなくてはなりません。触れた瞬間には相手の中にいつもとは違う感覚、つまり「ズレ」を生じさせていなくてはなりません。あくまでも「実験」ですから、触れ方を工夫するのは止めておきます。
 
 
 
普通に、手をみて行うと、相手もそれがわかるんでしょう、抵抗する事が出来ます。この普通が「全て」と思ってしまうところに問題があります。視野が狭くなっているんですね。実は、今見ているものがドーナツの穴のようなものだと考えられるかどうかの稽古なんです(笑)。

つまり、今見ているものはもしかしたら「無い」という事です。目の前に存在して疑う事が出来ない、この手を「無い」として考える事が出来るようになるようにアタマを柔らかくする稽古です。アタマの体操です(笑)。

身体操法の面白いところは、それをカラダを通して表現するところにあります。自分が考えたように動く事が出来なければ、まだ、半分、という事ですので、出来ているか、思っているだけなのかがよくわかります。
 
 
 
さて、実験の続きです。
この時、お互いの認識が「手」を実体としてみているからこそ、そこに手が現れてきます。今日は「見るチカラ」の稽古です。いったい相手のどこを見ればいいのか・・・。

この時、手をからっぽとしてみて見ます。前回はそれを手でそっと、型を作るようにして、相手に意識をさせましたが、手で行ったことを眼でおこなうのです。相手に触っていないのに、相手を動かす術なんです。カッコイイですね(笑)。

上手く相手の手じゃない部分を見る事が出来ると、これが催眠術にでもかかったかのようにすぅ~と楽に指先で手を上げる事が出来ます。まぁ、催眠術の経験もないですが(笑)。えっ!なんで~?というギャップが楽しい技ですので、触れることに飽きたらぜひチャレンジしてみてください。
 
 
 
触れずに相手を飛ばす技を時々「映像」で見ます(笑)。そういうのは前提条件が厳しくって、あんまりそのままを信じているわけではないので、あってもなくても構わないですが、自分の見るチカラはあって欲しいし、無い、と言い切ってあっては困るのです。

例えば、0点を取ってきた子どもがいるとします。夜遅くまでゲームや漫画ばかりで遊んで、勉強もせずに、夜更かしのために朝もなかなか起きなくて、0点を取ってくる子どもがいたとします(笑)。さて、どうします?いや、なにがみえますか?

もう、突っ込みどころ満載ですから、どこを叱ってやろうか・・・と考えるかもしれません。自分では「この子のため」と思って叱ったとしても、夜遅くまで勉強もせずにいるから0点を取ってくるダメな子ねぇ、と考えてしまうと、そういうダメな子が眼に映ってきます。そうやって見られているのをその子のカラダはちゃんと受け取ってしまっているんです。

この見方が普通だと思うんですよ。だって、勉強せずに遊んでいたから0点なんです。当たり前です。でも、そこをダメだと思うことが危なかったという事です。親であれば、わが子が生まれてきた時の喜びってわかりますよね。もう、そこにいてくれさえすればいいような喜びです。その時の思いをからっぽの手を見るときには見ている気がします。

自分があなたが生きている、存在している事が本当にうれしい、と見るチカラは相手のカラダにはちゃんと伝わっていていると言う事がわかれば、下手な見方はできません。つい、ダメなところを周りの大人と同じように見てしまえば、その子もきっと自分はダメだなぁ、と思ってしまうからです。
 
 
 
核家族という言葉も最近は当たり前になったのかあまり聞きません。子どもたちにとってコミュニケーションできる大人が少なくなっているかもしれません。自分を認めてくれる大人の存在ってもしかしたらすごく大きいのかなぁ、と考え始めています。

もちろん、お父さんやお母さんは重要です。でも、毎日一緒にいるからこそ、よくないところも目に付きやすいです。武術で言えば、自分を倒しにくる目の前の敵をありがたい友達として見る事が難しいように、普通にダメに見えるところはつい、ダメだと見てしまいがちです。

そう考えると、お正月にしか会わなかった「あの叔父さん」なんかはとっても重要です(笑)。

大きくなったなぁ~、立派になった!と褒めながらお年玉までくれるのですから(笑)。きっとその人は、その子の大きく育ってくれてよかったね、というところしか見てません。存在しているだけで君はいいんだよ、という部分をたまにしか会わないからこそ、よく見てくれているんじゃないかなぁ・・・、そう思います。

そんな人が一人もいなくなってしまうとなると、どこを頼りにしていいかわからなくなってしまいます。道場で出会う子どもたち、その子どもたちをどんな目で見ていけばいいのか・・・決して叱らなくなるわけじゃありません。叱るんです。でも、見ているところは気をつけなくてはいけない、そんなお話です。
 
 
 
知識として眼の力があるよ、というのはすぐに伝わります。僕がお話した事をそのまま疑いもせずに受け取れるような人であれば、実験する必要はありません。でも、なかなかわかっても信じきれないのが人間です。でも自分が体験した事ならばそれは受け入れやすいはず。自分の眼のチカラを体験する為の実験です。他にあればまた紹介しますね。
 
 
 
長々とお付き合いしていただき、ありがとうございました。浮かんだ疑問は遠慮なく、聞いて下さい。

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