時間とはカラダのことではないだろうか? その2

こんにちは、山口潤です。

前回、「時間とはカラダのことではないだろうか?」という事を書きましたが、もう少し、違った方向からお話をしたいと思います。

悩みは時が解決してくれる、日にち薬、という言葉を聞いたことはありませんか?時間が悩みを無くしてくれるんです。どうでしょう?考えてみてくださいね。1年前の、3年前、10年前の悩みって覚えていますか?おそらく、覚えている人はいないはずです。そして、その悩みがなくなってしまったとすると、なくなってしまった原因もよくわからないはずです。時間の威力って絶大なんですね。

さて、「時間とはカラダのことではないだろうか?」という点から考えれば、悩みはカラダが解決してくれる、という事になります。どうでしょうか?

こう考えてはいかがでしょう?
 
 
悩みがあったとします。大きな悩みです。ご飯ものどを通らず、布団からも起き上がれません。それでも、今、生きています。このままご飯も食べられず、動かなければもちろん、死んでしまいます。死んでしまえば悩みは悩みではありません。でも、生き続けていくとすれば、いつかご飯も食べなければいけないし、ずっと布団の中にいるのも気持ち悪くなるはずです。気がつけば食欲も出てくるでしょうし、なにかの拍子で笑ってしまえば、その流れで動けるようになってしまうかもしれません。カラダが元気よく動いて、食欲があるのに、悩みに押しつぶされている姿は似合いませんよね。世の中、似合わないことは存在しないそうです。

おそらく、結果的に悩みは悩みでなくなっているでしょう。

悩みは時間が解決してくれるのは本当かもしれません。ただ、その時間をなにもしないで「待つ」のはどうかと思います。なぜなら、僕達はカラダの大切さ、運転の仕方を知っているからです。悩みを持つ事がいけないのではありません。生きている人間ですから、色々な事に悩むはずです。それでいいんです。

ただ、その悩みをじっくりと受け止めたのならもう、手放してもいいんじゃないでしょうか?悩みに苦しめられる必要はありません。そして悩みを手放すために、よく動くカラダを使うんです。
 
 
型のお話をしましたね。自分の周りには型が存在し、その型こそ、自分の実体の様な気がする、というお話でした。それまで実体だと思っていたこのカラダは力みやすい、つまり悩みやすいカラダのようなのです。時間もすぐ起きた現象に居つかされてしまい、止まってしまいます。

型を意識できると、その居つきやすいカラダはからっぽの様な感覚があるんです。結果として、軽く、扱うことが出来、どんなに抑えられても動き続けることができます。

悩みで苦しい時というのは、このよく見える方のカラダがぐっと気持という見えない力で押さえつけられている状態です。見えなくて、触れないチカラですから、柾目返しのような通常の稽古よりもよっぽど難しいです。ただ、出来ないわけではありません。普段から、柾目返しのようにシンプルな動きで自分のカラダを動かし続けることをしておけば、イザという時にでも、あせらず、取り乱さずに、対応できるようになります。
 
 
 
というわけで、柾目返しで「時間とはカラダのことではないだろうか?」という事をお話します。

あらためて、この単純につかまれた手を上げる、という技が自分を成長させてくれる事に驚きました。時間、という問題もすでに含まれていたのです。そして、技が上手く行く時にはその「時間の問題」をちゃんと解決してくれていたのですね。ただ、気づかなかっただけなのです、このアタマが。
 
 
 
例えば、右手をしっかりと抑えられるとします。左手でも両手でも構いません。動かないように、しっかりと抑えます。抑えられれば当然、どうしよう?と考えるはずです。この時、その抑えられている力が普段の自分の力よりも超えている場合は「困ります」。当たり前ですが、自分の力よりも弱い、と認識できれば、困ることなく、そのまま上げていけます。

困った時が悩んでいる時と同じ状況です。困ったのは「今」ですが、その困った時は時間が経つにすれ「過去」になります。1秒前、5秒前に困った事が「今」も変わらず、自分を困らせている事になります。

これ、過去にひきづられている、と考えるとどうでしょう。1秒、2秒、という単位ですからわかりにくいかもしれませんが、もし、これが何日も・・・という風になれば十分立派な悩みです。悩みを大きく育てている状況ですね。
 
 
 
困ったと、認識した瞬間にカラダが止まってしまったわけです。そして、そのカラダを動かすことなく、ずっと、その瞬間のままであり続けるのです。カラダは時間でしたね。困った瞬間から時間が止まってしまったわけです。時間を止めてはいけません。抑えている相手も知らないほど、密度の濃い時間を渡しましょう。つまり、カラダをしっかりと見つめ、動かしてみるのです。うまくカラダを軽く、居つかせないように出来れば、それまで困っていた時とは逆に、そのまま手があ上がっていきます。
 
 
 
最初から、この濃い時間を扱える事が出来れば、抑えられたときには困らなくて済んだんです。わかっていますから。自分が入ったことの無いほどの濃い時間にはやはりそれなりの困った瞬間が必要なのかもしれません。苦労は買ってでもしろ、と言いますが、こういう意味でなら、買ってもいいかなぁ、と思います。ただ、日常生活ではやはり、つらいはず。だからこその「稽古」なのです。稽古を通じて、しっかりと自分が今気づいている枠を飛び出す訓練をしておきましょうね。

前回にもお話しましたが、価値を見出さなければいけないのは、時間です。自分のカラダがよく動いていると実感できる時間です。技をかける側でそれを体感できないのであれば、
技をかけられ、崩れている時に、その感覚を覚えるようにして見てください。人間にはそれができるのです。
 
 
 
どんなに美味しい料理を食べても、毎日食べれば必ずそれを分析する余裕が生まれてきます。いくら、最初に声も出ないほど驚いてもです(笑)。必ず、飽きちゃうんですね。飽きるというと、言葉が悪いのですが、経験を認めると、もう、そこに驚きはありません。その時がモノにするチャンスです。

本当によく出来ていると思います。技をかけられる事が稽古なんだなぁ・・・そんな事を考えました。

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