古武術に学ぶお金の話

今日は「自然の法則」についてお話します。
なにをもって「自然」なのかを考えるのか難しいところですが、考えない、という選択はなによりもよくない事だと思います。考えまい、と思っても、無意識ではついなにかを考えてしまっていますからね。

さてどんな自然かといえば「循環」という事です。
 
 
 
 
雨が降り、大地に染み込み、川に流れ、海へと還っていく。雲が出来るのもそうなのかな、また、雨になって巡っていく。そこにとどまり続ける自然はありません。巡るからこそ、次がくるわけです。

自然を前にしたとき、そこにある巡るものに対してはみんなそれを当たり前に受け入れています。

しかし、私たちの日常の中ではどうでしょうか?
つい、自分の中に様々なものを留めようとしてしまっていないでしょうか?
 
 
 
 
僕は武術というのは極論を説いていると考えています。
今まさに、自分の命が脅かされている状況でどんな事を感じているのかを教えてくれるのです。常識だからとアタマを働かせてみても、実際に自分の命がそれで脅かされるのならば、意味をなしません。

思考停止、というのは止まっている事。これはなにも生み出しません。そのまま命を落とすのを待つだけですから。
では、他にはどんな自然が働いているのでしょうか?
 
 
 
 
巡るという事で考えてみましょう。
動きがあるのならば、流れていく方向があるはず。
自分を基準にして入っているのか、出ているのか?

襲われている状況で起こるのは緊張。
カラダにチカラを「つい」求めてしまいます。
こっちに来るな!俺を見るな!とは、出しているのではなく、自分の安全を「求めている」と考えられます。

緊張することで手に入るものとはなんでしょう。
まず、わかりやすい力が手に入ります。筋力ですね。
その筋力で手に入る安全もあるでしょう。
ただ、どの程度の安全かはわかりませんが。

それに対し、出て行くものとはなんでしょう。
筋力に頼れば疲労として外へ出さなくてはなりません。
緊張をし続ければ、それだけ体力を消耗します。
やがてその緊張は続かなくなります。

求めてしまう反応が無意識だとしたら命がいくらあっても足りません。
もっと他に助かる方法はないのでしょうか?
 
 
 
 
今日は「循環」のお話です。
先に求めてしまうから、出て行くわけです。
とすれば、先に与えてしまえば入ってくるのが「自然」です。

命を脅かしてくる相手に対してどう「与える」のか?
難しい事はわかっています。怖い、と思うことが普通であり、自然です。
その状況を乗り越えるための方法が「稽古」です。
自分のレベルで「与えられる」だけの緊張感で繰り返し試していけるわけですから。
 
 
 
 
カラダの感覚をよく確かめて、自分のカラダから外へとチカラを渡している事を「体感」する事ができれば、徐々にそのレベルを上げていけばいいのです。言葉では説明しにくいのですが、それほど難しいわけではありません。今、僕の多くの講座は平日の日中です。自然と武道経験のない奥様がたが多くなります。女性だからこそ感性が豊かなのでしょうか?アタマではわからない、と言いながら上手にカラダを動かしていまからね。すごいです。

与えるから入ってくる、という自然の法則をアタマではなく、カラダで確かめることが出来ればそれはどんどん確信に繋がります。「自然」の法則ですから、どこでもそれは成り立つはず、そう考えて見てください。
 
 
 
 
例えばお金。
お金に関して「循環」は昔から言葉にも残されてきました。
金は天下のまわりもの、損して得とれ、など、目先の動きではなく、大きな「流れ」に気をつけろよ、という事だと思います。

ある本には自分が受け取る報酬などのお金は、自分が与える事の出来たサービスや幸せの量だ、と書いてありました。そう考えると、お金は「ありがとう」という気持ちになって帰ってきているのかもしれません。
 
 
 
 
では、天下のまわりものというお金ですが、実際に自分がお金を使う時にどれだけ「ありがとう」をこめられているのでしょうか?

世の中はデフレです。企業努力で値下げにがんばり、モノの値段を安くしてくれます。自分の大切なお金を使うわけです。デフレはなぁ・・・と心配しつつ、自分の大切なお金を使う時には少しでも安く済むように考えてしまいます。100円のおにぎりを買うのにも、そこには自然の法則、つまり「循環」しているものがあるはずです。

確かにお金は相手に渡っています。でも、使えば使うだけ、お金持ちになれるか、といえばそうではないですよね。そんな単純ではありません。では、なにがどう、動いているのか?

行かないで・・・と思いながらお金を使ってしまうのと、こんなにいいものをありがとう、と思いお金を使うのとの違いがあるかもしれません。お金は大切です。しかし、使う時には使わなくてはなりません。先に、受け取るお金は与えたサービスに対する報酬だと言いました。じゃあ、おにぎりに対しても、まず、そこにありがとうという気持ちから入らないといけないのではないでしょう。
 
 
 
 
さて、ここで問題なのは「ココロの中」の動きです。
アタマでは感謝をし、与える事を一番に考える、というのはわかります。
愛ですよね、LOVEです。
愛が大切、ってみんな知ってます。

でも、自分のアタマだけがそれを行っているのか、ココロでもそれが出来ているのかを確かめる術を持たなくては危ないです。

ココロに生まれたことはカラダに現れます。そのカラダは稽古を通して実感として得ることが出来ます。カラダの感性を上げるのです。方法はなんでもいいんです。武術でなくても。自分の中で、外へと向かって渡している事が感じられれば。そこに自分の行いに対する自信を得ることが出来るわけです。
 
 
 
 
お金の話をしましたが、考えて行きたいのは「自然の法則」です。
自分の中に生まれるあらゆる問題には必ず「自分」が関係しています。その自分を信じることができるようになるための方法が武術です。いや、僕は武術でした。今の時代に武術?という人も多いかと思いますが、命を通して自分を考え、感じるわけですから、誰にとっても役立つことは間違いありません。大切ですからね、命は。

今の時代にあっても、悩みなく、ありのままを受け入れて楽しく、愛を与えながら生きていける人には必要ないかもしれませんが、どこかで無理をして、ガマンをしているかも・・・と考えている人には一つの方法としてあるよ、という事だけ覚えておいてくれればうれしいです。

では、また、聞いていただければうれしいです。
ありがとうございました。

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