甲野先生を招いての名古屋稽古会終わりました。
今、午前4時です。
大きなものを貰いすぎてしまったせいか、目がさえて眠れません(笑)
名古屋にしては久しぶりの講座だったのか、大勢の方に参加していただきました。
懇親会も40名近くの大宴会になり楽しかったです!!
申し込みに間に合わなかった方もいますが、すいません。
次回もまたあると思いますので、ぜひ、次のチャンスをお待ち下さい。
今回甲野先生をお迎えするにあたり、どうも、僕は悩みに呑まれていたみたいでした。
「みたい」というのは、それほど自覚がなかったから。
でも、お会いして、動きを体験し、お話を聞き、色々うかがっている途中、さぁ~っと目の前が開ける感じがしたんです。
その時、あぁ、今自分は悩んでいたんだぁ・・・と気づきました。鈍いですね(笑)
もし、この「気づかない悩み」がずっと続いていたかと思うとぞっとします。
知らず知らずの間に不安や恐れが出てきて、つい、弱気になってしまっていたかもしれませんし。
それがある言葉を聞いた瞬間、あぁ、そうかぁ!って思ったんですね。
もしかしたらこの言葉はみんなにも元気をくれるかもしれません。
今、こうしてたくさんの場所でカラダの楽しさ、不思議さを伝える経験をさせていただいています。
こんなこと仕事になるんだろうか・・・と始めた事も気がつけば、なんとかなってきました。
無我夢中でやってきたところに、少し、余裕が生まれたのかもしれません。
「自分は何屋なんだろう?」と。
もちろん、ある面では少林寺拳法の先生ですから武道家なのかもしれません。
でも、文化センターなどで実際に「戦い」を教えているわけではありません。
むしろ、この時代にどう楽しく過ごすことができるんだろうね、と一緒に考えているぐらいです。
もちろん、古武術介護の先生でも、スポーツの先生でもありません。
知っている技はいくらでも教えますが、それだけではないんです。
自分が伝えたいのはなんだろう?
幸せってなんだろう?って考えているから「幸師」?でもそんな言葉も職業もありません(笑)
自分が変わっていける事自体が楽しいですから、特定の「なにか」を見つけられずにいるのかも知れません。
それが今日、甲野先生とのお話の中で「職業、山口潤」というヒントを頂きました。
そうです、甲野先生はまさに、職業、甲野善紀なんです。
そして、甲野先生の周りにいる稀有な方たちもそう。
職業、私、っていう人ばかりです。
甲野先生に出会い、カラダを通して気づいてきたことは、このカラダ、この自分がいかに可能性をもった存在なんだ、という事です。
その自分こそが、一番伝えなきゃいけないし、伝えるべきものなんだ、と気づきました。
職業、私、という事ですが、自分がとってもすごいからそれで行こう!ではないんです。
マイナスも含めて私でいい、と思えた事がなによりほっとしました。
自分でも不思議なんですが、どうも、自己評価がかなり低いんです。
どんなに周りで評価をして頂いても、これぐらいでは・・・とつい、考えてしまいます。
その変な癖も含めて「私」なわけです。
カラダの感覚を学んでいると、そんな自分でも「今、この瞬間」、楽しく生きることは十分出来るわけですから、誰かの力にはなれるだろう、と思えてきました。
つい、いいところをみせよう、なんて弱い心も全部、自分です。
これからは勇気をもって、職業、山口潤を貫いて行こうと思います(笑)
僕の講座では伝えるべき基本はありません。
だからカリキュラムがないんです。(あまり理解されませんが(笑))
なぁんだ、今の自分でもいいじゃん!そう思ってくれることがなにより嬉しいんです。
そして、いつか、みんなが職業、私、で生きるっていうシンプルな事を一緒に楽しめたらいいなぁ、と思いました。
今日の稽古会を支えてくれた皆さん、ありがとうございました。
お礼もそのままに解散、となってしまいましたが、皆さんがいなければ楽しい名古屋稽古会にはなりません。
また、一杯やりましょう。