地震以降、預言者があちらこちらで出没しています。
昔はクチコミでしか拡がらなかったであろう、予言ですが、現代では簡単に、誰でも、預言者になれます。
この私でもです(笑)。
占いはいつの時代も人気です。
ちょっとでも「先」の事を私達は知ろうとします。
占いを通して、未来を知っていた時、その通りになれば、やっぱりと思い、外れれば、占いが下手だった、と考えます。
自分にとって、良い占いは信じて元気をだし、そうでないものは気にしないでおく、それが出来ればなんの苦労もありません。
しかし、自信の無いものにとっては、良い占いも疑って見え、悪い占いはそうなってしまう、という不安と恐れに包まれます。
運命は自分の思うとおりに選べる、そう信じたくって、今、こうして稽古をしています。
自由なのか、決まっているのか・・・。どっちでも良いんです。ただ、毎日を楽しく生きるのはどうしたらいいのか?それを探しているわけです。
そこで、未来の話ですが、武術を稽古していると意外に簡単に「未来」は予測できます。
相手が攻撃をしようとする瞬間は感じられるのです。
それが1秒でも、0.1秒でも未来は未来です。
どんな攻撃が来るのかがわかるから、怖いわけです。
そういう意味で言うと、だれでも、未来予測はしていますね。
今日ここで話をしたいのは、未来だけが大切なのではなく、わかっても、わからなくっても、事が起こった瞬間、なにが出来るのかも大切だよ、という事です。
「突き」が来そうだ、とわかるのが未来予測です。
その「突き」をどうよけるか?それが今、なにをするかです。完璧に攻撃を読んだとしても、実際に動けなければ仕方ありません。
ちなみに、評論家は実践家ではありません。
今、言葉の時代になり、評論家が多くなりました。
普通の人でも、政治にも経済にも人間関係でも論じる事が出来るほど知識を持つようになりました。
この「先」、どうなるか?というのは多くの人がもう、わかるようになっています。
見たい未来を見る「技」もありますが、見ないほうが良いという「技」もあります。
未来を知ってしまったからこそ、その予言に囚われてしまう事もあるのです。
こんな稽古があります。
相手に棒を持たせて、打ってもらいます。
当然、怖いです。つまり、打たれるかもしれない、という予言を持ってしまったのです。これは確信に近い、予言ですね。
その怖さを持ったままで動くには相当の力が必要です。
逃げてもダメだ・・・逃げられない、となりますからね。
そしてもう一つ、こんな感じで試して見ます。
棒を見ると怖いのなら、見なければいいんです。見なければ予測をしなくてもいいのですから。
・・・でも、見ないようにしようと思って、目をつむったり、横をみても「ダメ」なんです。
きっと、「心の目」で見ているんでしょうね。意識がその棒に囚われていると、見ていなくっても怖いんです。
では、どうすればいいのか?
ちゃんと方法を見つけました。
その場でクルクルって回って見ます。回った後に、ぱっと棒が目に入ったとき、私達の身体は反射的にそれをかわしてくれるのです。頭とは違う経路で動いているんでしょうね。
これは「知らなかったから」できる動きです。
子供達は常に、クルクル回っています。
常に、彼らの目に映る世界は新鮮です。怖れも希望もないのかもしれません。
ただ、ありのままのその瞬間の世界を生きているんだと思います。
それに憧れ、大人になった今でも私は稽古を通してそこを目指しているんです。
言葉で「今ここ、この瞬間を生きる」と口に出すのは簡単です。
でも、口に出した瞬間、自分の頭はでも「できない」というのを感じているかもしれません。
考えた事、したい事、それを身体をとおして表現するにはこの身体の事をもっとよく知らなければいけないような気がしています。
ちなみに、武術は未来と現在、過去の全てを扱っているようです。
今日は未来と現在の関係について、お話しました。
また、別の機会で過去に囚われない方法をお知らせします。