友達の友達は友達、と言われます。でも、実際には目の前の人にイライラしたり、好きになったり感情はめまぐるしく動きます。好きになるのはいいでしょう。ラブが拡がれば世界は平和です。でも、イライラが連鎖しているとしたらどうですか?
例えば目の前の人にイライラしてしまった。そのイライラに任せてその目の前の人を攻撃してしまったとします。その攻撃を受けて、目の前の人は負け、自分は勝ったとしても、ここで終わらないよ、という話です。
負けた相手はそのイライラ、不平不満を家や学校、会社へともって帰ります。そしてそのイライラをそこでぶつけるかもしれません。きっと、そのぶつける相手はその人よりも弱い人です。
この時、イライラの種として考えると、3番目にイライラを受け取った人は自分のイライラも関係している事になったりしないだろうか?という事です。
まぁ、世界は繋がっている、って話ですね。これをそんなことまで考えてられるか、と一蹴する事は簡単です。でも、イライラを積み重ねても自分が楽しく過ごせないかもしれない、と考えてみる時間を作ってもおもしろいと思います。
やっぱり私はこれを武術の中で試しました。「ありがとうの術理」で少し書きましたが、相手の事を思い、相手を否定するのではなく、力が欲しいのならどうぞ、という気持ちで向き合うとなぜか、身体に力がわいてきます。
力には流れがあります。その流れの向きを内向きではなく、相手に渡します。すると、また、どこからか力が戻ってくるんですね。なんていうのかなぁ、元気になるというか・・・。
情けは人のためならず、という言葉がありますが、まさにそんな感じです。