人は必ず、成長している。

時々ふと、思いつく事があります。
古武術の稽古をし始めてからです。きっと、身体の事が分かる事につれて、感じる事が増え、閃く事につながっているのかな?
 
 
 
 
ツイッターを初めてよかったなぁ、と思う事の一つに、思いついた瞬間、すぐに言葉にしておける、という事があります。
本来の「つぶやき」とは違うので、フォローして下さっている人には暑苦しさもあるかもしれませんが、こういう形でなければ、まとめる事のできない頭なんです(笑)。
 
ただ、ツイッターは後から見るのに非常にみにくい(笑)。
リアルタイムが基本ですからね。
ブログにまとめておきます。
(まとめてみると、やっぱり、ブログに書けよ、って感じのことでした・・・)
 
 
 
 
 
 
20年前に比べて、今の時代の出会いの数は抜群に増えているはず。
実際には顔をあわせていないネットを通しての出会いも含めれば、ほんの10年前では想像も出来ないほどの縁の数だろう。
不思議なのはそのたくさんの縁を僕らは自然に受け入れ、普通に毎日を暮らせるようになってしまっている事だ。この適応能力ってすごい!
 
 
では、これからの20年は?来るべき未来に向けてはどうすればいいんだろう?
答えはもう、出ている。
やれることといえば、自分自身を深く掘り下げ、精一杯出し切りながら生きる事だと思う。
 
 
 
自分自身を掘り下げる機会こそ、経験。
そして、経験は命のかかる場面でないと得られない。
今、そんな事を考えている。
安全に身をおいてしまうと、つい、考えに計算が入ってきてしまいそうで…。武術はその計算がたたない瞬間を教えてくれるものなのだ。
 
 
 
そして、もう一つ、今考えていること。
それは、人は必ず、成長する、と言うこと。
この成長は、見方の話。
自分が感じている世界の次元がドンドン上がって死んでいくんだろう、という事だ。
たくさんの縁を受け入れたと同じように、年齢共に、いつの間に次元を上げていってしまうと思う。
 
 
 
拙い説明で申し訳ないが、こんな感じ。
モノゴコロがつくと、欲しい物が増えてくる。
あれが欲しい、これが欲しい。有るか無いかで世界を見ている。
有り無しの世界から、次にくるのは流れの見方、ボリューム的見方の世界。
もっと、お金が欲しいし、もっと、能力が欲しい。
ビジネスやスポーツを通して、自分の持っている能力を高めていくために努力をするようになる。
百年前ではいざ知らず、今の世はスポーツでも、お金でも目標を持ち、努力をすると、ドンドン上昇していける時代だ。
しかし、これで、終わらないのが人生。いつまでたっても、死ぬまではゴールはやってこない。
限りなくお金があれば、誰にも抜かれない能力があれば幸せになれるかというと、それは違う、とすでに多くの人が気づいている。
 
 
 
ボリュームの次元の次の次元。それはきっと、バランスの次元。
働き者の日本人。お給料と能力を求めて24時間働けますか?と頑張っていた。
そこから、時代は変わって、福利厚生、休みを重視して、家族との時間、プライベートの時間にも、目を向けた。
これは、自分という存在のバランスを取り始めてきたからではないだろうか?
 
 
 
バランスを考えるとき、三角形を考えるとわかりやすい。「仕事」と「家庭」と「現実」の三つだ。
三つの要素のバランスをとるには2つある。
突出したものをカットしてみることと、突出したものにあわせて、広げてみることです。
 
 
 
「知識」と「経験」と「現実」というのも、バランスの次元でみた世界。
今は知識、情報に溢れた世の中。
いま、バランス的に整わせるには、ネットを遮断して、落ち着く時間を過ごすことが有効なのかもしれない。
また、あえて、経験をしに、外へと出て行くことが有効なのかもしれない。
バランスを考えなくてはいけないレベルの人は、もう、量だけを求めては喜びは得られなくなっていると考えた方がいい。
 
 
 
そして自分自身のバランスが整ってくると見えてくるもの。
それは自分以外の人たちです。
自分は幸せでも、他の人はそうではないように見える場合がある。
また、自分よりも、もっと、幸せに見える場合もあるかもしれない。
そこにも、ボリュームやバランスの見方とは違う見方があるはず。
 
 
 
おそらく、それは違いを違いとして見ない、という見方。
ピラミッドのように、上から下を見て、共通点を認める、高さのある世界。
例えば、親からみれば子供たちは等しく大切な存在だ。
親が子を見るときのように、自分と他人、その間にある違いを上から優しく見守ってくれる大人の見方ができる人がいるかもしれない。
今、「自分」だと思っている自分の見方を捨て、大きく大局を求めるレベルもありそうだ。
 
 
 
 
難しく書いてしまいましたが、逆から考えてみてください。
自分が死ぬ直前。自分はいったい、何を求めて、死ぬんだろうと。
あれがない、これがない、と死ぬでしょうか?もっと、もっと、増やしたい、とか思うでしょうか?
この世で手に入れたものをあの世へは何一つ、持っていけそうに無いんですよ。
また、バランスを整えて安らかに離れたいと考えるでしょうか?
それとも残された人たちとの関係でしょうか
 
 
 
便利な機械が増えて、感覚は鈍くなっていく現代人ですけど、心の感性は逆に敏感になっていくかもしれません。本気で幸せってなんだろう、って考えてみましょうよ。自分が本当に求めている幸せってなんだろうって。

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