第2、4水曜日は鳴海中日文化センターの講座の日。
月に2回あるので、細かく術理の移り変わりを解説できて、私も頭の中の整理ができて助かっています。
ただ、だんだんと、受講生の受け取るレベルも上がってきているのか、なかなかマニアックになってきてしまいました(笑)。
もちろん、初めての方でも全然、大丈夫!お近くの方はぜひ、お越しください。
昨日も見学の方も一緒に手を合わせて楽しく練習して帰られました。
入会されたようですので、手をとり。しっかり導いて行こうと思います。
さて、道具の術理も話もだんだんと説明が板についてきました。
話を聞いて、分かりやすい、というのは考えなくてもいいので、受け取る側は楽なのですが、反面、自分で考えなくなる、というデメリットもあります。
このあたりはどちらがいい、というわけではありません。
どっちも役に立つんです。
術理が生まれたばかりの瞬間は自分でもなぜ、相手が簡単に崩れ、倒れるのか、分かりません。
自分の身体の感覚、その動きに伴う心の動きを言葉にするのは甲野先生が私にしてくれた事です。
基本をつくり、練習のパターンを作れば、指導も楽だし、私の変わりに教えてくれる人をつくり、組織的な基盤を作っていく事もできるはずです。
一般的な指導の方法はこちら側でしょう。
しかし、これでは、感動がありません。
頭はなにをすればいいのか分かっていますが、身体が反応しないのです。
分からない術理の話を聞くと、頭は迷い、混乱します。
その時、身体は救いを求めるように、情報を集め始めます。
この瞬間、身体の感性は高まり、言葉にならない感覚を受け取っていると思います。
言葉は便利ですが、つい、イメージを固めてしまいます。
昔の日本語は空想、イメージを多用させるように設計されていたような気がしますが、現代の言葉は直接的です。
どうしても、自分の感覚よりも、言葉のあらわす意味の方が強くなってしまいます。
よく、介護の動きを指導している時、脚の位置、手の位置を聞かれます。
きっと、今までの練習方法がその手足の位置を決めることを大事だと言われてきたんでしょう。
実は、どこでもいいんです。
身体が無理なく、気持ちよければ。
でも、身体が気持ちいい、という感覚が分からないみたいなんです。
大丈夫、こう言ってる私も分かりませんでしたから(笑)。
マニュアルよりも、感覚だったんです。
時間はかかりましたが、身体に感覚がある事がようやく、分かりました。
気づくまでの時間は人により違いますが、誰の中にも感覚はあります。
ただ、その感覚を使うことなく、暮らしていける世の中になってしまったので、忘れているんです。
マニュアルがダメか、というとそうではないんです。
感覚が分かるようになった事で、それまで知っていたマニュアルが俄然、光り輝いてきました。
どういう事かと言うと、手の位置、脚の位置、身体の起こし方というマニュアルは、そのマニュアルを作った人の身体の感覚「込み」で作られていたんです。
そのマニュアルが言葉になったのはその方法が「有効」だったから。
まさか、役に立たない、使えない動きをマニュアルとして採用するはずありませんからね。
「作った人」には有効だったんです。
実は手の位置だけでは足らないんです。
手の位置は同じでも、その時の身体の感覚がバラバラだと力を発揮できないようになっています。
外見上は同じでも、内面が崩れているとダメだ、という事です。
このギャップを埋める作業が「身につける」という作業なのだと思います。
しかし、現代は忙しい時代です。
この身につけるまでの時間を奪ってしまったのです。
手順を聞いた瞬間、できる事を求められてしまう時代です。
感覚が「ある」事を知ることで、身につける時間をぐっと縮める事ができます。
この身体の感覚を高める練習はどこでも、いつでもできます。
仕事をしながらでも、食事をしながらでも、車の運転、電車の中にいても、です。
今、このブログを読んでくれてる、この瞬間にもです。
今、なにを使ってこのページを読んでくれていますか?
パソコンですか?スマートフォンですか?
手に持っているスマートフォンの重さを感じてください。
指先に触れているスマートフォンの感じを味わってください。
パソコンのモニターに集中していると思いますが、座っているお尻の圧力を感じてみてください。
お尻の上にある腰に力は入っていませんか?
座りながら、ちょっと外へと意識を広げてください。
どんな音が聞こえますか?
その部屋の気温はどうですか?
日々、いろんな刺激に囲まれ、私たちは暮らしています。
エアコンがあり、きれいなオフィスがあり、好きな音楽を聴いていられる環境を作ってきました。
自分にとって心地よいものに囲まれていると、つい、外からの刺激を気にしなくなります。
これに甘えすぎると、刺激に対して鈍感になってしまうのです。
感覚を見つけ、広げる作業はどこでもできます。
古武術の稽古法は新しい術理を聞いてその瞬間、変わることができ、上達を感じられるような稽古で、練習量無く上達ができる「楽な稽古」のように見えますが、違うんです。
実は「稽古量」が頼りになる稽古法なんです。
えっ!と思われる人もいるかもしれません。
だって、文化センターの講座は月に1,2回しかないじゃないか・・・と。
その1、2回の稽古でお伝えしたいのは手順ではありません。
自分の中にある今まで感じた事の無い「感覚」です。
その新しい感覚に興味を持ってもらい、毎日の生活を感覚主導で過ごしていって欲しいと願っています。
感覚主導で過ごしてみると、その感覚が蓄積されていきます。
毎日、24時間という時間が全く無駄になることなく、すべて、稽古になるんです。
朝目覚め、顔を洗い、ご飯を食べ、歯を磨き、通勤し、仕事をして、家に戻り、夕食をとり、余暇を楽しみ、寝る。
この毎日の暮らしの一つ一つが自分の感覚を磨く機会になるんです。
イメージしてくださいね。
感覚を気にせず、ただ、毎日を流されるまま暮らして20年経った時と自分の感覚を気にして20年経ったとき。
暮らしぶりは変わらず、同じ事をしていても、その20年から学ぶ量って全然違うと思いませんか?
今、ちょっと見方を変えるだけなんですよ、本当に!他になにもいらないんです。努力すら、いりません。習慣になれば良いんですから。
時々、ちょっとしたコツで一気に上達する瞬間があると思います。
この時、そのコツが上達させてくれたのではありません。
あくまでも、それまで蓄積された自分の感覚がちょっとしたコツであふれ出し、動きが変わったんです。
これは時間の力を借りた稽古法です。
これから死ぬまでの長い時間、全ての経験が自分の糧にできる稽古法です。
もう一度、今、自分が感じている事に注意を向けてみてください。
まずは3日気にしてみてください。たくさんの気づき、発見が得られると思いますよ。
今日も本当は「道具の術理」を詳しく説明しようと思ったんです。
道具の術理から「かわいい子には旅をさせる術理」に変わり始めているからです(笑)。
くどいぐらいの日記になってますが、これに懲りず、また、お越しください。
ありがとうございました。