【稽古日誌】未来に期待しない!

テレビをつけるといつも、選挙の話が飛び交っている。
実は、国会中継が好きなんです。
選挙も嫌いではありません。
でも、この党がいい!ってのはありません。
どこが勝って欲しい、ってのもないしね。 
 
なにが楽しいかって人間の本性がぶつかっているのを感じるから。
まぁ、たいてい、口から出てくる言葉は嘘(笑)。
それを反省せずに、真剣に話をしているところが面白い。
 
昔、東大かどこかの学者さんたちの話で規則に対して、いかようにも解釈します・・・という笑い話にもならない話を聞いたことがあるけど、ここまで、科学が進歩して予測出来る社会を作ってきたけど、予測の出来ない最後の偶然性を持っているのが「人間」だと思うからね。
 
 
 
正しいこと、悪いこと、間違っていることなんかはわかりません。
今、正しく見えても、何十年か後、どうなってるかはわからないもん。
政治的な話をすると、みんななにかしらの意見を持ってるよね。
でも、20年ぐらいまえってあんまり、話題にならなかった気がするけど、どうだったんだろう?ただ、自分が歳をとったからなのかな(笑)。
 
 
 
今の政治的な衝突を見ていて思うのは、みんな「未来」の話をしてるなぁ、って思うんだ。
ここで過去の話って書いたかな?
武術が扱うこの身体が表しているのは「過去」。
これまでの生活が身体に現れてきているから。
 
それに対して心が見せてくれるのは「未来」。
誰だって未来を明るく楽しいものにしたいと思っているよね。
今、政治家は我が党は、私は未来の日本をより良くします、と大きな声でうったえています。
一生懸命なのはわかります。いろんな欲もあるかとおもうけど、その人の信じるものを出そうとしているのだから、まぁ、みんな応援したいと思ってます。
少なくとも、自分が政治をするよりもいい仕事をするだろうって感じです(笑)。
 
 
政治家は未来を語ればいいんです。むしろ、それが仕事なのかもしれません。
西洋化する前の政治ってどうだったんだろう?
未来を描く事ってあったのかなぁ。
 
というのは、武術というか日本が大切にしてきたものって身体を抜きに考えられないもん。
武術の世界は未来に期待をしない世界です。
もちろん、助かりたいとか、そういう事を考えることはあります。
でも、実際の闘いの場面で、明るい未来を期待しても、それを敵である相手が受け入れてくれるはずありません。
万が一、そんな事があったとしても、二度、それが続く事はありません。
たまたま助かった方法をまた期待するような不安定なものに頼る事ってできないでしょ。
 
 
 
だから、ひたすら、過去に入るんです。
過去ってのは身体だ、と言ったよね。
 
自分の過去って何だと思う?
この前、その過去について大きな見方の転換があったんです。
大切なことなので、もう一度、言わせてください。
いや、これから、きっと、何度も言わせてもらうと思うな(笑)。
 
 
 
みんなね、未来に期待してるの。
政治はもちろんそうだけど、新商品や新サービスもそうでしょ。
映画なんかエンターテイメントもそう。こんなに楽しい作品が来年、公開ですよ!、なんて。
 
もちろん、そこで期待感が出てしまうのが悪いって事じゃないんです。
未来を想像しちゃうことも自然だからね。
でも、その未来ってやがてやってくるでしょ。
その時やってきた未来が自分にとって期待していたものかというと、わからないし、もし、期待を裏切られてしまった時のがっかり感ってイヤだよね。
 
 
 
つい、未来を期待してしまうのは、あまりにもこの時代の未来を作る力が大きくなり過ぎちゃったから。
遠くの外国へ行きたい、と願い飛行機が出来ました。身体を運ばなくても、ネットを使えば、地球の裏側の友達ともコミュニケーションが「瞬時に」取れます。
これ、あたりまえにみんな使ってるけど、ものすごいことだよね。
 
なにかが「できる」って事を幸せって思いこんでると思うの。
西洋的な考え方で言えば、自分の周りにたくさんのモノがあるって幸せだと思うんだよ。外国の人なら、便利になって、豊かになることがそのまま、幸せって思えるかもしれない。
 
でも、日本的に考えると、モノがあるから幸せって事じゃないんだよね。
日本人って心の中にある世界も大切にするもん。
モノがあっても、自分の中に納得したものがなければ、ついつい、考え込んでしまったりするの。
 
 
 
単純に未来がバラ色になれば幸せならいいんだけど、安易に得た幸せをそのまま素直に喜べないんかもしれないの。
武術的に言えば、相手に勝つために武器をどんどん大きくしていくのが西洋的解決法なんだけど、日本は武器を進化させなかったからね。
その武器を扱う身体を大切にしてきてるの。身体が使えれば、自分の心の中に満たされる気持ちが生まれます。その納得できる心を得るために武術があるんです。複雑ですね(笑)。
 
 
 
未来に期待をすることなくどう生きるのか。
私が武術の中に見つけたのは「自分の過去」をどう考えるか、です。
生まれた日からが過去の始まりだと思うのは頭だけの問題です。
記憶があるところからがスタートだとすると、そこからの自分はきっと、プラスマイナスゼロです。
良い事も悪い事もあって、今の自分があるからね。
 
でもね、違ったんです!
過去の始まりは地球の始まり、宇宙の始まりかもしれないんです。
そこまで掘り下げられなくても、人間がここまで進化してくるまでに、色々あったはずです。猿だったかもしれないし、魚だったかもしれない。
いきなり、人が出てきた事は無いはず。
 
 
 
最初の生命がなんだったかはわからないけど、たまたま地球に生まれた命が膨大な時間をかけることで、ここまでやってきたんです。
ここにはプラスしかありません。
人であるだけで、ものすごい、時間の積み重ねをしているんだと気づきました。
 
生まれる前からも、自分はたくさんの時間を持っているんです。
未来に期待しても裏切られることがあるけど、膨大な過去は一度認めることができれば、感謝しかありません。
その膨大な時間を積み重ねてきた「自分」がここにいる、って考えてみると、この先の未来がどういう未来が待っていようとも、まぁ、なんとかなるかもしれないなぁ、って思えてきます。 
 
 
 
武術は単純に相手に勝つことが目的じゃないんです。
たとえ、勝ったとしても、そこに卑怯な事実があったりして得た命だったりすると、きっと、心の中に負い目を背負ってしまうはず。
だからこそ、過去なんです。
過去に感謝をしまくって生きていければいいなぁ・・・って本当に思います。
 
 
 
こんなややこしい話、今日も聞いてもらってありがとうございます。

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