【稽古日誌】覚えない、練習しない稽古法

今日は浜松の中日文化センター。
最初に謝っておきます。ビデオ、取れませんでした。
 
実は今日、古武術講座の体験会だったんです。
普段は稽古に慣れた人ばかり10名程度の講座で自由さがウリの講座なんですが、今日は部屋いっぱいに20人を越えてたかな?
とにかく、新しい人たちを前に、一生懸命、語って、感覚を楽しんでもらいました。
 
 
 
この浜松の講座は私が古武術を仕事にし始めて、初めての文化センターの仕事として頂いたところです。
気がつけば、6年目、当時からの方も見えて、とってもやりやすいです。
今日の講座も初めての方は私がべらべら説明をして、いつもの受講生の方は勝手に、自分たちがやりたい事をどんどん研究しててくれました。
甲野先生の道場で行われていた稽古の形そのものでした。
 
いよいよ、今日のお土産である車線変更の太刀どりを話そう、って時にはもう、すでに、事前に伝えてあった方から説明を受けていたんです。
私が振り下ろした刀をヒュッと交わされたときにはもう、びっくりです。
そんなに簡単にやっちゃうのって(笑)。
 
甲野先生の稽古に刺激を受けて、とにかく自由に研究をできる場所を作ろう、って思っていたものがいつの間にか、出来上がっていたのを感じてうれしかったです~。
 
 
 
初めての方への体験もいろんな動きを体験してもらえました。
どう感じたんだろうな、きっと、頭の中に???をたくさん作ったと思います。
なぜなら、私の講座には覚えるものがないし、練習をするものもない、って言っちゃいましたから。変な話ですよね。
 
でも、私自身がそれを大切にしてきたら、いつのまにか上達していたわけですから、それを伝えるのがやっぱり、スジかな、って思うんです。
 
 
 
覚えるものがないってのは、「正しい」理論に縛られるよりも、今、自分がなにを感じているのかを大切にして欲しいって思っているから。
でもね、話の中で手順に聞こえる部分もあるんです。そこを間違えると、なかなかうまくいきません。上手にそれを伝えられるようになれればいいんですけど、微妙なところで苦労してます(笑)。
 
例えば、車線変更の太刀どりであればこんな感じ。
 
相手が刀をまっすぐ下へと振り下ろしてきます。
この時、つい、足を止めて、頭や腰を動かして交わしてしまうと、身体がねじれ、その場にもっと、居ついてしまい、動けなくなります。
ですから、最初に気をつけるのはゆっくりでもいいから、前へ、【相手のほうへと進んで】いて欲しいんです。
 
この時のスピードは見えないぐらい遅くでもかまいません。
むしろそれぐらいの方が余裕ができるかも。
少し体重を前傾にして玉が前へと転がる感じにします。
この姿勢、動きが自動車で言えば駆動輪になります。
後、必要なのは前輪、舵をきる部分ですね。
 
この舵取りはコブシです。
片方だけでいいですからね。
右手を【ギュッと握って】、そこに意識を集めて見ると、右手のコブシがそこにふわりと浮いている感覚が見つかります。
身体に縛られないコブシは軽い動きが出来るようになります。
そのコブシが自分だと思ってください。
 
刀が振り下ろされた瞬間、コブシが自分だと意識していると怖さがなくなっています。
おもむろに、【コブシを横へと飛ばし】ます。
すると、そのコブシに引かれるように身体がスッとひとつ真横に移るんです。
 
この時、コブシがちゃんと浮いていると、真横にいけますが、肩に力が入っていると、肩を中心とした円運動が始まって、身体が廻ってしまいます。ちゃんと、真横に飛ばしてください。
 
真横に飛んだ時にも駆動輪である前進は止まっていません。
相手の太刀筋をかわした後は【すり抜けるように前へと進み】ます。
 
 
 
一通り書いてみましたが【】で囲まれている部分が手順のように見えるかもしれません。
でも、これは覚えなくてもいいんです。
大切なのは、コブシにちゃんと力が集まって、自分がコブシの中に入り込んでいられるかどうか、です。
その感覚こそ大切なのですが、皆自分の感覚に自信が持てないんですよね。
だからこそ、それを確かめるための技が必要なんです。
 
私はその確認のための技に柾目返しを使っています。
どんな発見をしても、まず、柾目返しで試すんです。
手を下へと下ろす浪の下もいいかもしれません。
シンプルで確認のしやすい技を使えばいいんです。
 
 
 
感覚さえちゃんと認識できれば、自然と動きは変わってきます。
太刀どりであれば、大きな体幹部が自分だと認識していると、それを足で動かさないと交わせませんが、小さなコブシが自分だと思えるようになれば、普通にしているだけで大丈夫ですもん。ちゃんとよける事ができるんです。
 
それは柾目返しや浪の下でも同じです。
肩や背中で手を上げている時にはそこに力が詰まると動きが止まります。
でも、自分がコブシであれば、ほんのわずかな隙を見つけて、相手の中へと入っていけますからね。
 
出来るようになった動きを説明すれば手順のようになるんだけど、あくまでもそれは、結果なんです。
だからこそ、なにかを覚えようとしてはダメ、だと思っているんです。
 
 
 
もちろん、覚えて、練習をして成果も出る人もいると思うんです。
いや、むしろ、そちらの形の方が一般的です。
本屋さんに並んでいるほとんどの技術書はそれですもん。
 
でも、私は筋金いりのネガティブ人間ですから(笑)。
どんなに丁寧、親切に教えられても、わからない・・・って思っちゃうんです。
 
そんな私を変えてくれたのが感覚だけを探し続ける稽古法でした。
 
 
 
ついつい、なにかを伝えよう、って思うと手順を伝えてしまうし、それが出来る事で生まれる期待感を渡したくなっちゃうんだけど、そういうのであれば、他の人でかまわないもん。
自分勝手な練習法もちゃんと受け取ってくれる人がいることで、ホッとするのも事実です。
本当に、ありがたいです。
ありがとうございます。

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