【稽古日誌】常識が壊れる瞬間を経験しよう

ちょっと別の事を書こうかと思ってたんですが、また、おもしろいアクシデントというか、偶然があったので、気持ちの熱い間に書いておこうと思います。
 
先週、車をぶつけました。日記にも書いたはずです(笑)。
自動車保険のロードサービスは無料で付いているけど、使う機会なんて全然なかったのに、今日、また、使う事になってしまいました。
 
今朝、名古屋では久しぶりの雪景色に興奮しつつ、早めに家を出ようか・・・と車のキーを廻したところ、キュルキュルキュル・・・・、エンジンがかかりません!!
バッテリーが原因なのは分かっているんですが、ちょうど、車を止めていた場所がわるく、もう一台の車からコードをつなぐ事も出来ない状態だったんです。
 
 
 
あれこれ、方法が頭に浮かびましたがが、時間的な問題もあって、諦めて、ロードサービスに電話をして、助けてもらう事にしました。
30分後、到着したロードサービスの方にバッテリーをつなげてもらって、エンジンスタート。問題なく、簡単に解決しました。
 
話しやすい、好印象の方だったので、帰り際、どのあたりで仕事してるのか、って聞いてみたところ、なんと、地元の方で、なおかつ、ずっと前、きっと、20年以上前に私の父の少林寺拳法の道場に通っていた事があるって!
なんという偶然。
 
車のバッテリー上がりはアクシデントで嫌われる出来事ですけど、偶然の裏には面白い出来事が隠れているんだなぁ、と実感しました。
 
 
 
仕事であれば、上がらないバッテリー、壊れない車、商品を目指して、日々、開発、改良をしていくでしょう。
日本の製品はそういうものが得意です。
でも、あまりにもしっかりとしてくると、今度は全てが計算できる世界になってしまいます。
 
 
 
地震や台風、自然災害は防げない、って言うけど、日本にいると、ちょっとした台風や地震はなにごともないように過ごせちゃったりして、本当に、すごい国だと思うんだよね。
 
日本の電車は遅れません。ちゃんと、予定通りに出発し、到着します。
時間通りに進めば、自分の時間に予定をどんどん入れられますよね。
結果的に毎日を効率よく、過ごしていく事もできるかもしれません。
でも・・・。
 
毎日がシステマチックになるってのは、同時に、退屈を生みます。
だからこそ、騒がしい世界に興味を向けてしまうのかもしれませんが、だんだんと、自分の生き方に窮屈さを生んでしまうかもしれない、って考えています。
 
 
 
子供の頃って、やればできるから、って言われますよね。
でも、だんだん、人と比べる事が多くなってくると、いつの間にか、自分の中に、出来る事と、出来ない事を作っちゃったりしますよね。
 
人間は無限の可能性を持つ、可能性の種子だ、って事を子供の頃から聞かされていました。
少林寺拳法の教えがそれでしたから。
 
でも、勉強できない、スポーツできない、出来ないこと、うまくいかないことだらけの中で「なんでもできるかも」なんて、無限の可能性を持ち続けるなんて、不可能です。
言葉では分かっていても、心の奥では早々と限界を感じてしまっていました。
そうなってくると、毎日は楽しいものではなくなっちゃいますよね。
 
 
 
いろいろな事を考え始めていたその時、甲野先生に出会ったんです。
時期もよかったんだろうなぁって思います。
ただ、技だけを求めていた時に出会っていたら、こんなにも追求し続ける事なんて出来なかったはずだから。
 
甲野先生に出会って教えてもらった技の中に「柾目返し」というものがあります。
この技はとってもシンプル。抑えられた手をただ、上げるだけですから。
少林寺拳法なら寄り抜き、合気道なら合気上げ、呼吸法、なんていわれているかもしれません。
まぁ、掴まれた手をどうするか、ってことですから、名前はどうでもいいんです。
 
 
 
武術はシンプルなんです。
人間には無限の可能性がある、っていう人が多いけど、実際に手をちょっと抑えられて見ると、それをどうして良いか分からなくなるのも人間なんです。
頭では大丈夫、人間は可能性の塊なんだから、と言いつつ、あまりにも身体に近い問題には諦めてしまうんですね。
 
その「普通」では諦めてしまいそうな状況で、甲野先生は事も無げに、ただ、普通に手を上げられたんです。
その瞬間こそ、まさに、常識が崩れた瞬間でした。
 
 
 
今の世界の常識って何でしょうね。
これだけ、いろんな可能性が語られる時代だと、常識の外にあるものを経験するってなかなかありません。
毎日、忙しく、会社や学校に行き、テレビやネット、楽しいものがふんだんにある世界にあたらしくなにかと出会うための時間を作るのって、なかなか難しいですもん。
規則正しく目の前に楽しいものがやって来てれば、なかなか新しいものには出会えなくなっちゃいますからね。
 
スマートホンやツイッターやフェイスブックもみんな、新しいものです。
ちょっと前からすれば、常識では考えられないものだったかもしれません。
でも、そういうものって、こっそり、入ってきますよね(笑)。いつの間にか、生活に入り込んできてるんです。
 
 
そうじゃなくって、まさに、常識が壊れるって経験が生き方を決めるきっかけになるんだ、って思うんです。
私にとってのそれは、絶対に上がらない、って思っていた「手」でした。
 
きっと、武道に興味のない人、もしくは憧れを持っている人であれば、驚かないんだと思うんです。
なぜなら、武道の達人なら、それぐらいの事ってできるはずだ、なんて思ってるとおもうから。
 
でも、実際の場面ではそんな魔法のような人に出会える事ってほぼありません。
(関係者にはヤバイかもしれませんが・・・(笑))
特に、ただ、手を上げるだけですからね。
しかも、何度も、何度も、どんなに抵抗しても、ですから・・・。
 
 
 
なんでも良いんです。
常識が壊れるって事が体験できれば。
もしかしたらお化けをみるとか、UFOを見るとかでもいいかもしれません。
でも、なんとなく、思うんですよね。
今、UFOとかお化けをみたら、「やっぱり」いたかって(笑)。
映画の中で散々、UFO見てますし、お化けも見てますよね。
頭の中にはずいぶんと、予行練習が出来ているんです。
ぜひ、宇宙人のほうからも今の私の常識を超えるような現れ方をしてもらいたいと思いますが、どうなんでしょうww
 
 
 
お化けをみるとか、UFOをみるってのは大変です。まぁ見える人には当たり前かもしれませんけど・・・w
でも、この身体、特に、自分のこの身体がこんなにも動くのかってのは、大人であればあるほど驚きが大きいはずです。
 
なんども言ってますけど、子供の頃って本当に運動が苦手だったんです。
でも、気がついたら、運動が得意になってました。
その運動って走ったり飛んだり、スポーツをするレベルではなく、生活をするってレベルです。
駅まであるく、階段を上る、布団をしいたり、車を運転したり・・・生活って身体を使って動くってことです。そのありとあらゆる瞬間に動けてるなぁ~って喜びが出てくるんですよ。
 
 
 
この喜びが出てきたからと言って、誰かにほめられるわけではありません。
だって、それは誰でもできる、日常生活だから。
でも、そんな気がつかないところに、とてつもない喜びが隠れていたりするんです。
手を上げるってのはそういう喜びに気づくためですからね。
 
 
もちろん、介護にもスポーツにも仕事にも使えるのが古武術ですけど、いいんです、そういうものは。
効果だけを期待するのであれば、便利な機械やサービスが山ほどあるんだもん。
でも、自分の機嫌を良くし続けられる物ってあるのかなぁ。
たまたま、私は武術と出会って、人間には身体を感じるって力があるってわかったけど、本当にこれは、当たり前の力だからね。誰の中にもあるの。
根気良く、これからも伝えていきます。
 
 
そのきっかけをくれたのが、甲野善紀先生
1/6に浜松1/27に名古屋で講習会を行います。

SNSでもご購読できます。