【稽古日誌】選挙、ピダハン、腰痛、大掃除。

この日曜日、選挙にピダハン特集、大掃除、そして甲野先生とお話をさせていただいたり、慌ただしさいっぱい!
自分の頭の中にいろいろと騒がしいことがフツフツと沸いてくると、それに伴って身体も心も変わってくる。
急激に変わってきた動きのせいなのか、腰がぎゅーっと痛くなってきて立ち上がるのも大変。
 
 
 
古武術をやっているからケガや病気から解放されるって事じゃないんです。
むしろ、病気やケガってのは人を成長させるタメの力になるって実感が出てきました。
 
 
ずっと、考えてきたんです。
病気は力だって・・・。
ただ、それを学ぶことが出来ても、実際にそれを確信として思えていられるかって大きな問題ですからね。
 
今感じている腰痛。
これは大きな病気やケガをお持ちの方からすれば、もう、とっても、些細な事でしょう。
ただ、私にとっては、ものすごく身近な問題ですもん。
この身体に出てくる痛みをどう受け取るのか?
アタマではこの腰痛はありがたいモノなんだ、力になるぞ!って考えても、心の奥の方にすこしでもイヤだなぁ、って気持ちがあると、気分がよくないものです。
 
ただ、今回の腰痛はいい感じなんですよね〜。
もちろん、痛いんです。
こたつから立ち上がるのも、車を運転していても痛いですし。
ただ、立っているだけでも痛いんです。
 
でもね、面白いのは、この状態でも、刀が交わせるんです。
先日アップした動画の時にも腰痛って出てましたから。
でも、刀を前にして、拳をしっかり動かしてみると、自分が拳の中の一点、労宮っていうツボになった感じがするんです。
その感じを持ったままでいると、相手の振り下ろしてくる刀の速さに間に合ってくるんです。
 
でも、この時、ちょっとでも意識がいままでのまま、つまり、胴体に残ってみると、足も止まってしまって動けません。
改めて、私たちってのは「身体と心と意識」で出来ているんだなぁ、って感じます。
 
 
 
心と身体はわかりやすいですよね。身体はそこにあるし、心は痛みや喜びとして感じているから。
でも、もう一つ、意識ってのがあるんだと思うんです。
意識も言葉自体は顕在意識、潜在意識、無意識など、色々と語られて、「ある」事は分かるじゃないですか。頭では。
ただ、その意識ってのが「これ」って見つからないので、いざというときに、その意識に振り回されてしまうんだと思っています。
 
 
 
武術において意識とは視点、見方なんだと、分かってきました。
例えば、刀を前にしたとき、怖いと思う気持ちがあります。
その怖さが出てくる理由は自分が刀の前にいて、斬られるって思うからです。
でも、これは、胴体が自分だと思っているとき。
胴体って大きくて力がありますけど、動けないんです。
その動けない感じが刀に対して怖さを持ってきてしまいます。
 
でも、この時、拳、労宮に自分がなっている、って見えると、今度は刀を振り下ろされても逃げる、交わす事ができるって感じるんです。
もう少し、速さを実感できれば、交わすだけではなく、その瞬間、相手を取り押さえることもできるでしょう。
 
この違いって意識、自分をどう見るか、ってところにかかっているんです。
 
 
 
選挙がありました。
自民党が圧勝です。
前回の選挙では民主党でした。
きっと、このままの選挙制度が続けば、こんな感じで、勝ったり負けたりが繰り返されるんだと思います。
なかなか自分の思ったように未来はやってこないですもん。
 
思い描いた未来がやってくれば幸せですけど、そうならないのも運命です。
でも、その運命に流されっぱなしでは幸せになれませんよね。
 
この時、力を発揮するのが意識です。
社会に対しての自分をどうみるか、です。
 
社会を敵と見なすかどうかは置いておいて、自分自身が、やってくる未来にストレスを感じているって事はわかるよね。
そのストレスを無かったことにはなかなか出来ません。
消費税はイヤって思うと、どれだけ勉強しても、賛成にはまわれないもん。
なんにでも良い面と悪い面がありますからね。仕方ありません。
 
 
 
だからね、そのストレスに対して、自分が負けていない、って見ることが大切なんです。
その負けないってのを「力」でもいいし、「速さ」でもいいから見つけるんです。
 
労宮になるってのは、速い自分を見つける方法です。
怖い、って思ったときって、必ず、身体がそこに居着いて、動けなくなっています。
この時、手、拳を振ってみるんです。
すると、だんだん、自分が速く、動いている、って気がしてきます。
 
もともとアタマの回転が速い人がいますよね。
どんな状況でも、なんとかなるだろう、なんて。
TPPで日本という国が大変になりそうでも、外国へ出て行き、どんどん、世界で仕事をすればいいんだ、なんていえる人。
そういう人は怖くないんでしょう、きっと。
 
大切なのは、自分がどんなストレスにあっても、動き続けていけられるか、です。
 
 
 
武術の技は自分をストレスの中に置くものです。
そのストレス下でちゃんと動けるかを教えてくれるモノです。
 
この先、未来はなかなか読めません。
私は身体を見ることで、どんな未来も受け止めよう、って思っています。
どんな未来が来ても、その時、相手をする自分の身体は一番ピークな自分です。
その思いが感じられるようになって、ものすごく、平和な気持ちになりました。
 
  
 
なかなか普通ではない考えですけど、普通ではうまく行かなくなったなぁ、って思った人、あきらめそうな人はちょっと、試してみてくださいませ。

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