キャスター構造について

久しぶりに稽古日誌。
最近気づいたことをちょっと残しておきます。
 
 
 
このところ、とっても良い稽古が続いています。
理由の一つはあれこれ考えず、ただ、カラダと向き合う時間を増えているから。
一緒に5時間、6時間、話を共にしてくれる仲間がいるってものすごくありがたいです。お互い、それぞれのカラダの感覚に向き合い、掘り下げている、というのを感じます。
そこには正しさはなく、ただ、それぞれが「今」感じている事をひとつひとつ、納得して、消化している感じです。こんな学び方があるよ、って子供たちにも伝えられたらいいのに、って最近思うようになりました。
 
 
 
 
さて、カラダの感覚の話です。
今、一番興味を持って研究しているのは「キャスター」構造についてです。
ご存じの通り、キャスター構造はどの方向から力を加えられても、地面に接してさえいれば、力をうまく流すことのできる構造です。
現在ではありとあらゆるところにキャスターをもった商品、製品を見つけることができますよね。便利ですもん。
 
 
 
実はそのあらゆる方向からの力を受け流すことの出来るキャスター構造が自分の体の中にもあるのです。
股関節がそうです。
この事自体は何年も前から甲野先生から伺っていました。ただ、それは知識としてのレベルでしかなく、実際にカラダで表現できるモノではありませんでした。
 
 
こういう事って今、多いですよね。
情報量がハンパない時代です。知ってはいるけど、出来ない、そんな事山ほどあります。
むしろ、うまく行かないことのほとんどがどうすればいいのか分からない、という知識不足を原因とするものよりも、知ってはいるけど、出来ない、という経験不足を原因とするものです。
 
ネットにつなげて検索をすれば多くの解決方法を知ることが出来ます。一つの悩み、問題に対して、たくさんの解決方法を苦もなく、手にい入れる事ができます。
しかし、その一つ一つは実際に自分のこのカラダを通して、行動していかないといけません。
ここに落とし穴があり、このカラダを動かす術を忘れてしまったせいで、なにをするにも一歩遅れてしまうのです。
 
さらに悪循環だなぁ、と思うのはそのうまく行かない部分をどんどん、代わりに代行してくれるようなサービスが出てくることです。ニッチを探せと、新しい仕事、ニーズを起業家は常に探しています。
 
 
 
もちろん、それで、出来なかった事は出来るようになります。
しかし、それは、ある特定の部分だけを代わりにやってもらったものです。自分という本質は変わっていません。むしろ、出来ない自分、という意識がどんどん大きくなってしまうのかも。
 
武術的アプローチが有効なのは、カラダに新しい刺激を与え続ける事ができる、という点です。いってみれば、安全にどんどん、たくさんの経験をすることができるのです。カラダって経験することで、一瞬で世界を変える力を持っています。
 
なにをするには「初めて」の事って緊張します。だからこそ、最初の一歩が怖くて出せないんです。
特に、現代いって痛みを嫌う時代です。だからこそ、小さな失敗もしたくない、と思いつい、「なにもしない」、という行動を選択してしまいます。
この「なにもしない」という選択が習慣となり、何十年も過ぎてしまったら・・・、いやぁ、怖いですねぇ、依存しなくては生きていけない人になるんですから。
 
 
 
ただ手を上げる、そんな小さな行動を通して、自分が出来ない、と思いこんでいた枠を壊し続ける、それが武術的アプローチです。
そして、その手を上げることを人と競い合うことに使うのではなく、ひたすら本当の自分を捜すために試しあう事が「瞑想的」なんだ、と気づけたことで、さらに、僕の心は平和になりました\(^o^)/
 
 
 
 
昨日、一昨日の大人の武道塾での稽古、そこで気づいたいくつかの事を書いておきます。
分からないところがあれば遠慮なく聞いて、試しに来てください。
 
研究の中心にあるのは「キャスター」の原理です。どこから力がやってきても受け流せる構造をカラダのどこかに作ることが出来れば、ストレスに対しておびえなくても、ただ、自分を信じて任せていけば良いようになりますから。
 
 
 
実は私たちの股関節はそのキャスター構造を持っています。
外反母趾で足指が痛かったり、膝や腰、股関節に痛みが出てくるのは、股関節のキャスター構造を知らないことから、それぞれの部分ががんばりすぎてしまった事から来ています。
この考えを自信を持ったのは、私自身、長年の姿勢の癖から右膝が痛くなり、体重を支えきれなくなってしまったのが、股関節を意識して動きを変えてみたところ、ぴたりと痛みが消えてしまった、という経験からです。
 
 
 
面白いのは、ただ消えただけではなく、それまで出来なった動きが出来るようになってしまった、という事。改めて、病気やケガって本当の自分の力に気づかせてもらえるプレゼントのようなモノなのかも、と思っています。
 
 
 
股関節を働かさせるためにはまず、なにより、股関節について知らなくてはいけません。
いや、今言った「知る」とは知識としての問題ではなく、実感としての股関節がどこにあり、どう力が流れ、ぶつかっているのか、という事です。
何となくですが、もう、みんな自分の骨ってどんなものか知っていますもん。後は経験だけです。
 
 
 
この2日間の稽古で新たに確信したこと、それは、太ももの大きな筋肉は動くために使うのではなく、股関節に大腿骨をぶつけ続けるためにつかう、という事です。
 
股関節はキャスター構造を持っているんですが、その時、タイヤになるのは大腿骨の方です。つまり、地面は骨盤、上にあるんです。
そのまま脱力をしてしまうと、だらんと下へと体重はながれ、指先や膝で体重を支えなくてはいけなくなります。
 
それを防ぐために、ふとももを引き上げる作業が必要なんです。
すこし、お尻の方へぐいっと引き上げます。すると、股関節に「圧」が生まれ、意識しやすくなります。さらに、背中の筋肉を使って、上からも股関節に体重をかけていきます。
サンドイッチ式に力をぶつけることにより、股関節がわかるようになるんです。
 
ここまでくれば腰の力も抜くことができ、楽になれます。
最初に腰の力を抜けないのは自分のカラダを支えて立ち続けるという大役をしてしまっているからなんです。その役目を股関節に渡した瞬間、腰が解放された事がわかり、自分の持っている潜在的な力を信じることが出来ます。
日本人に腰痛患者が多いのもあぁ、当たり前だなぁって思いますもん。
 
 
 
股関節でキャスターの事が分かるようになると、カラダのアチコチにキャスター構造があることが分かってきました。
人間の体って複雑に見えるけど、関節のパターンとしては意外にシンプルなんだなって分かりました。
 
人間の関節のパターンは4つ、背骨系、股関節系(キャスター)、膝系(ヒンジ)、足首(組み合わせ)ぐらいしかないですもん。
腕で言えば、肩胛骨がキャスター系、肘がヒンジ系、手首が組み合わせ系です。外からの力を肩甲骨に流すことができれば肘に負担をかけずに、相手の力も利用することが出来てしまいます。
最近、テニスもしないのに、肘に痛みを感じるテニスエルボーと診断される人が増えているそうですが、知らないんですね、力の流し方を。力の集まりやすい肘や膝が壊れるのも納得です。
 
 
 
ただ、それも、キャスター系に動き方を変えれば負担は一気になくなります。痛みがあるからこそ、気づくこともできるし、変えるための必然性もでてきますから、反射的に痛みを嫌ってあきらめるのではなく、すこし、観察してみてください。
 
 
 
まだまだキャスター系はあるんです。
それは指の第三関節。
 
ぼけ防止に有効だと言われる指回し運動、あれはまさに、キャスター構造の修練です!
 
 
 
キャスターって一つあれば力が流せるんです。小さなモノでも。
この体重を支えるという事でも、股関節だけではなく、指の第三関節でも可能です。
キャスターの働きを出すにはヒンジの動きを消すことが大切です。膝や肘、使いやすいからつい、使っちゃうんですけどね・・・。
 
 
 
 
長くなってきましたが、続けます(笑)。それぐらい充実してるんです。
手指にキャスター構造があることを実感して、第三関節から動けるようになってみると、「手が動く」事に驚きました。
それまでは手を動かすには肩や腰を使い動かすことしか知らなかったんですから。
つまり、クレーンゲームのように、カラダを使って手を動かし、手は握るため、掴むために使っていたんです。
 
 
しかし、第三関節が使えるようになると、手そのものが動き出します。気配なく、トップスピードを出すことが出来ます。おそらく、ブルースリーのワンインチパンチや中国拳法の寸打、昔日の達人の何気ない動きで人が飛ぶような技はここを研究すれば一歩近づけるはず・・・わくわくしちゃいます!
 
 
 
改めて常識って怖いな、って思います。
例えばボールを投げるとき。
回転力を増すために手首のスナップを利かせることが大切だ、と言われます。でも、違うかもしれません。第三関節が固いままで無理に手首を効かせれば負担は一点にかかりケガをしてしまうし、そもそも、力が出ません。
どんなにがんばろう、という気持ちがあっても、結果がついてこなければあきらめになりますもん。
 
 
指のキャスターを意識すると、それまで越えられなかった壁をひょいと越えらます。この経験こそ、自分を信頼するためになにより大切なもの。
自分って存在がよくわからない、それも、どれだけ能力が隠されているのかわからない、そんな見方が出来るようになれば楽しいに決まっています。
 
 
 
技として使えばスポーツでも、武術でも介護にでも有効です。
でも、私が求めているのは、楽しい時間を生きることです。なにも変わらなくったって、今、自分が行る場所が楽しい、って思える自分でいれればなぁ、と思ってきました。
そして、それは間違いなく、可能なんだ、って事も分かってきました。
常識とは真逆でなかなか伝えられないジレンマはありますが、それも、また稽古です(笑)。
 
手を通して、感覚を通して、これからまた、伝えていきたいと思います。
 
 
 
あっ、そうだ、もう一つ、楽しい感覚があったんだ。
相手とふれあったときに肌に生まれる感覚。相手との摩擦が生まれたときに、そこに小さな無数のキャスターをイメージすると、衝突そのものが生まれなくなる、なんて感覚が昨日の最後に出て来ました。また、ちょっと、アタマを整理して書きます〜。
 
長々と失礼しましたm(_ _)m

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