甲野先生に同行させていただいた「若手経営者」への講演会。武術そのものには興味のない人へどのような切り口で話されるのか、じかに感じたくて同行をお願いさせていただきました。
技そのものを「稽古する」会ではないので、いかにその人たちのココロに届かせるのかを見せていただきました。稽古会でも言われていたと思いますが、今の先生の動きというのは「過渡期」だそうです。どう変化していくのか、ご自身でもわからないそうです。
普段は今一番真剣に取り組んでいるものを材料に色々と組み立てていくそうですが、その材料があまりにも「普通の」考えからは飛躍していますからね(翼や蹴りの事です)。この20年ぐらいで一番困った、と言われていました。とはいえ、横で見ているとそんなに困っているようには見えないし、むしろ何かを模索しているようで、楽しそうに見えてしまいましたが・・・。
その講演の中でココロに残ったのは「なにを選択するか」という事。ちょうどその日の午前中、先生の後ろの「それ」を見つけたばかりでしたから、自分が「見る」という事をずっと考えていたからかもしれませんね。
自分が選択するとは、どこから何を見ていくかを決めるという事でしょう。人間は見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞こえない、といいます。「あれを見なさい」といわれても、形そのものをみるのか、その後ろにある考え方をみるのか、その人の中で必要としてしているものしか見えないはずです。
そして世の中では形として現れてこないものばかりですよね。その形として現れてこない不安を「科学的根拠」という所に安心をもとめてしまうように思えます。
まずは自分がみている枠を広げていく事。その広がった中で「なにを」見ていくかを決めていきたいと思いました。カラダからのメッセージは強烈です。その感覚に振り回されてしまうことも多いですが、一つ一つを経験にしていければいいなぁ・・・。