すごい速さで戻ってきていたチカラに驚く。

循環する事で気づいた事を少し。

今朝なにげなく挨拶をしました。昨日、自分からチカラを出していくことの大切さをカラダの感覚で得たので、それを気にしながら、声をかけてみました。すごい速さで戻ってくるものを確認しました。その戻ってくるものが挨拶と言う「コトバ」もあれば「笑顔」というのもあります。巡っているものを感じた瞬間でした。

歩きながら、考えました。
挨拶がなくて気にしている人がいます。
気にすることで、出ていたはずの挨拶は見返りを求める、「奪う」行為になっているのかもしれない。相手を非難することで、奪ってしまえば、そこに思い描く循環は生まれません。

相手から戻ってこなかったのではなく、自分から出た挨拶と言う力は相手の中にある、生きていく中で生まれている穴に吸収されているかもしれません。その穴を埋めるために自分の力が使われちゃえば、挨拶として戻ってくる事はないでしょう。じゃあ、やることは一つ。その穴が埋まるまで、優しく、声をかけ続けるだけ、気持ちを出していくだけ、決して求めてはいけません。これ、武術的身体観察から生まれた一つの答えです。

太陽に向かって歩いていました。
まぶしい太陽、暖かい光、もらっているのを実感。ふと振り返ると、影が後ろへ伸びている。これも循環?この影を消すことはできません。影と共に生きていくしかない、そんな事を考えて散歩しました。

日陰に入ると、ぞくっとします。この寒さがさらに増すのですから、仕方ありません。冬の日陰は嫌われ者です。でも、夏の日陰は憩いの場になります。同じ日陰なのに・・・。

やっぱり人は現実を思考を介せずに受け止めることはできません。

今朝、般若心経の解説本を見ていて、一つの言葉が気になりました。
四苦八苦の一つ、五蘊盛苦というコトバです。詳しくは各自調べてもらうことにして、人間が生きている中で感じる事が盛んになりすぎることで苦にもなる、という事です。盛んにさせないようにただ、見守る、その時に集中させてもらえる存在が関節のような気がしました。カラダの中に気にさせてくれる存在があるんですから、ありがたいことです。

巡ることが自然の法則だと知っていても、自分がなにを得ているのかを実感できていなければ、なにもなりません。嫉妬や愚痴から始まってしまう人もいるでしょう。でも、この時代に、この日本という国に生まれただけで、それは大きな幸運をもらっていることなのかもしれませんよ。どんな境遇であったとしても、出すところからスタートをした方がよさそうです。

では、また。
ありがとうございました。

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