上達のための足跡

【身体感覚の足跡】武術と絵描き

外側の話はややこしい。体験してもらえば、そこになにか「ある」事が伝わるんですが、どうしても言葉だけでは伝わらないときがあります。まさしく、見ている人には見えるけど、見ていない人には見えないものかもしれません。裸の王様みたいだな(笑)。
 
でも、意外や意外、絵を描く人にとってはあぁ・・・という話みたいです。私に絵心が全く無いのに共感してもらえるところがあるのが不思議ですね。
いったい、なにに共感してくれたのか?
実は絵にも外側があるというのです。
絵を描く時に時々裏返して全体をみるようにしてデッサンの狂いをみる事があるそうです。また、対象物を描く時にはそのものを描くよりも輪郭だけをみて描いたほうが先入観が入らなくていいそうです。
 
おぉ、まさしく、それです!
言われたとおり、手を手を見ないで、外側の輪郭を見ながら描いてみると、途中まではなにを描いているのか、これでいいのか、自分でもわからないのですが、ある程度書き終わった瞬間、ぶわっとそこに、手が現れました。なるほど・・・こうやって描いていたのか。
 
でも、こんな事はきっと、初歩の初歩です。
そういえば武術も相手の拳や剣、動きに惑わされてはいけない、といわれます。でも、つい、見ちゃうんです。その剣や拳を。
一生懸命になればなるほど、ゴールから離れていたんだなぁ、と実感しました。
一生懸命の向かう先を外側へと向ければ、一歩前進です。
きっと、いろんな技術に外側の教えってあるんだろうなぁ、と思います。そういう人は応用はすぐできますよ、試してみてください。

【身体感覚の足跡】世界が違ってみる外側という見方

目の前にコップがあるとします。
そのコップを見ているとき、自分の意識は「コップ」に目が行きます。
 
同じように、目の前に「相手」がいるとします。その相手が自分の行く道を邪魔をしています。そのまま真っ直ぐに進むと当然、ぶつかります。相手と自分との間に「圧力」が生まれてくるんです。
 
相手と「物理的に」衝突したとき、そこに圧力が生まれるのは当たり前に思うかもしれません。でも、人間は物理的な存在だけではなく、精神的な存在でもあります。なんだか「あっち」の世界の話に聞こえるかもしれませんが、間違いなく、身体的なお話ですから安心してください。
 
実は目の前の空間は「相手の身体そのもの部分」と「相手の身体ではない部分」に分かれます。
相手の身体そのもの部分というのは、文字通り、相手の事です。
相手の身体ではない部分というのは、切絵のように、相手の部分を切り出した背景です。
言葉にするとこんな感じですが、実は自分が「なにを」見ているかというのは、相手と共有している事に気づいたんです。
 
自分が相手の身体を意識して衝突すると、相手もその意識にあわせてちょうど良いタイミングで抵抗してきます。だからこそ、止まるのです。
でも、自分が相手の背景、外側を意識してぶつかると、相手は物理的に衝突した瞬間も、あれっとなり、うまくぶつかれないのです。
 
武術的に見ると、ものすごく、不思議です。
でも、生活の中ではこういう事ばかりかもしれないなぁ、と思いました。
お互いの価値観って違います。同じ事を体験しても、良かったと思う事もあれば、残念と思う事もあります。また、自分の中でも時ともに、考える事は変わってきます。目の前のこと、と言いつつ、それは背景の方を気にしているんでしょう。
 
でも、時として、つい、目の前の事にいついてしまう事があります。特に、嫌なものに出会ったときには反射的にです。そういう事をすることがあるよ、と武術は教えてくれました。冷静であればわかるんです。でも、嫌なときって感情的になってますから、頭はあんまり働きません。一度でも、自分が見ているものに「外側」がある、というのを経験すると、面白いと思うんだけどなぁ・・・。文字通り、世界が違って見えます。

【身体感覚の足跡】全ての選択は間違いという確信

手のひらの動きを相手にしてもらって、その技を受けると、自分が「今だ!」と思って動きを起こしたときにはもう、遅く、対応できないものになっているのを実感します。遊びの技なら面白くて楽しい。手品をみて笑うようなものだと思います。でも、実際の生活の中ではどうなんだろう?と考えてみると、ぞっとしました。
 
なにしろ、これだ!と思った事はもう、古くなっているかもしれないし、その答えが確信的であればあるほど、その自ら出した答えに居着く事になります。
 
第三者的にみていれば、あぁ、あれは意地を張っているなぁとわかるでしょうが、自分の事ですからね。本当に自信のあることは信頼の置ける人から言われても反発が生まれます。
 
そういう事が「ある」というのを知っていても、なかなかうまく過ごせないから、大変です。特に、今の世の中「素晴らしい答え」がある、と思っている人も少なくありません。いや、むしろ、頭で答えなんかない、って知っていても、自分の事となると、なぜか、素直になれません。
 
気づく方法はただ一つ、経験です。
実際に痛い目に遭いながら学ぶ事もいいでしょう。でも、実は世の中便利になりすぎて、実際に遭ってみたときにはものすごく大きな問題になっている事があります。実は現代は小さな頃から小さな出来事で痛い目に遭えなくなってしまった世の中なんです。
 
子供にとって武術の技は直接魅力がないかもしれません。大人の目線から見れば余計いらなく見えるかもしれません。だって、戦う必要ってないんですから。でも、武術はケンカをして勝つための技術ではなく、自分を見つめなおすための方法です。この自分というのがシンプルで「身体」の方から見ていくのです。
 
これが正解、と思っても、技をくらってしまうばあいがあります。この時、素直に自分の動きの未熟さ、つまり、身体と心の未熟さを知る事ができると思います。自分の中に生まれた「なぜ」は強いですよ~。子供の頃だれもが持っていた好奇心を思い出させてくれるのが武術です。←これ、確信を持った答えなんですけど・・・(笑)

【身体感覚の足跡】相手の虚をつく簡単な方法

手のひらの感覚が高まり、意識的に動かせるようになってから、おもしろい技が出来るようになりました。技と言えるかどうか微妙なんですが、相手の意表、武術的には「虚」を狙う技です。
 
普通相手のスキをつくために様々な動きを組み合わせたり、戦略を練って戦います。武術に限らず、スポーツもそうですね。でも、この技は正面からただ、単純に手刀で切り込むだけです。
 
単純に、気配を出しながらですから、当然相手は簡単にその手を払おうとします。でも、この「分かりきった」動きがミソになります。相手が簡単だと思った攻撃の軌跡を変えるのです。この時、軌跡が変化したとばれてしまえば当然、相手はそれに対して対応を変えてきます。相手にばれないように、軌跡を変えなくてはなりません。
 
なんだ、やっぱりむつかしいじゃん・・・と聞こえるかもしれません。
でも、手のひらを使うとものすごく、簡単なんです。
 
不思議と攻撃をすると、それが受けられるのか、決まるのかなんとなく、わかります。会話をしていてもそうですよね。なんとなく、今、話がかみ合わなかった、ってわかりますよね。それと同じです。手刀を飛ばしながら、受けられる、と感じた瞬間、手のひらをモゾッと動かすのです(笑)。
 
これだけで、相手は手刀に触れた瞬間、あっ、と体勢を崩します。
無意識に色んなバランスを人間はとっているんだなぁ、と不思議に思ったのを思い出しました。これも楽しい遊びです。練習のときはちゃんとタネも相手に教えてあげてください。でないと、性格が悪くなりますから(笑)。

【身体感覚の足跡】溶けたアイスとコマ

回る事の威力に驚き、数日クルクル回りながら稽古もしましたし、生活もしました(笑)。子供達も負けずに回っています。ふと、回っている自分が変なのか、これまでの自分がおかしかったのかを考えました。
 
大人ですから、目の前に目標が見えれば、まっすぐそこへ行こうとします。この時、身体の声を聞くことはありません。そこにあるんだから、と最短距離を進みます。これ、まっすぐです。
 
でも、回っているほうが気持ちが良いです。楽しい事はそのまま、嫌な事にも囚われずに進んでいく事ができます。もしかしたら後退してしまうこともあるかもしれません。でも、回っている最中は気になりません。むしろ、自然に進みたい方向へと修正しようという気持ちになります。
 
ただ立つ、という事を考えて見ました。
外から見れば止まっていても、自分の中で動いている、というのはありかもしれません。
でもそんな事気にしなくても、もともと私達の身体は止まることなく、動き続けています。
でも、止まっている自分をみて、動いていない、と考えてしまっています。
ゆっくり、1分、3分、5分かけてゆっくり、この身体が回っていると考えたらどうだろう?そんな事を考えながら立っていた、止まっている自分がメンドクサイ、と思えるようになりました。
 
きっと、動いているんです。人は。
でも、無意識に力が入って、ぐっと止めているんですね。
気持ちが変わって、止まっているのは変だ、と思えたときから、楽になりました。
 
リラックスというのはグタァ~と溶けたアイスのようになるのではなく、クルクル気持ちよく回れる身体の事だと思います。