重力って頼りになるぞ!

 重力の話をしようかと思う。
 
 最近の内観的技の影響か、ずいぶんと考えることが飛び出した(笑)。カラダを元に研究できてよかったなぁ、と思うのはどんなにとっぴな想像、アイデアも技を通して、その「確かさ」を感じられるんだから。
 
 その技を通しての研究があればこそ、次の術理に進める。どんなに頭で、「これはいいんだ!」と考えても、実際にこの世界で使えなければ全く意味がないもの。今、この瞬間、生きている時間を大切にしたいのだ。
 
 
 
 今、一番「確かな」こと、それは私たちの周りには「重力」があったのだ、ということ。
 しかし、その重力は普段全く生かさず暮らしていたんだなぁ、という反省だ。おそらく昔の日本ではうまく、この重力を使いこなしていたはず。自分の周りにはこんなにも「頼り」になるものがあるんだ、ということを肌で感じていたはず。
 でも、今の時代はものすごい機械が生活を変えてしまった。よくできた機械ならその中に「自然の法則」が入っているはず。私たちが「自然の法則」を感じる機会はぐっと減ってしまったなぁ、と思う。
 そんな生活が当たり前になって、つい、自分だけの力でがんばってしまう「癖」をつけてしまったのだ。
 
 
 
 重力に気がついて、感じたことがある。この「力」は決して逃げないし、裏切らない。どんな状況においても、私たちの周りにあり続けるんだなぁ、って。筋肉だけの力しかしらないままで、あれができない、これができない、って事を思っていたのか・・・。わかってしまった以上、このままではいられない。ちゃんと使わせてもらおう。
 
 
 
 重力ってのはいつ頃認識されたんだろう。物理学者にとって重力は大切なものらしい。この世の全てを計算によってあらわそう、と考えたときにはなくてはならないものだから。ちなみになんと、この世界には力は「4つ」しかないらしい!無限にあるように思えるエネルギーの種類がたったの4つって不思議だ。
 しかもその4つの中で重力と他の3つがなかなか組み合わされないとの事。重力と他の3つを組み合わせて「統一理論」を作ろうと目指してるんだって。
 
 
 
 難しい話はわからないけど、重力は他の力に比べて「小さい」んだとか。なんと、そこが統一させる鍵になってて、小さい部分の力は「別次元」へと拡散しちゃっているなんて!世の中はSFよりもSFなのか・・・いやぁ、世の中って不思議ですねぇ。
 
 これまで、カラダの感覚にはまってこられたのは、自分のカラダを通して世の中の不思議を感じられるからも知れない。知識を得た喜びではなく、カラダで「わかる」感覚。たった一つの気づきでも、それまで何十年もできなかった動きができるようになってしまうんだから。間違いなく、そこに「ある」という実感も得られるし。
 ネットを通じてどんな知識でも入れれそうな世の中だけど、全部、頭どまりになってると逆に苦痛になる。わかっているのに、なぜ、うまくいかないんだ!って。
 
 うまくいかないのは知識が足らないからじゃない、知識をさらにいれたら、また、やることがふえてしまうもの。世の中は結構単純にできているのかもしれない、今、そんな気がしている。その単純な一つが重力に頼ってみる、って事。
 
 
 
 チェックの仕方は簡単。押してもらったり、引いてもらえばいい。自分が居続けたい場所にいられるかどうか。外からくる力に負けないためにはこちらにも力がいるのだ。これは単純。力の大小だ。ただ、問題は「どんな」力を使うか。ここに重力が使えそうなのだ。
 
 重力って大きいはず。だって、地球の中心から月をひきつけておくような力だもん。そんな大きな力がタダで使えるのだ。電気の力を使うには結構なコストがいるけど、重力はタダだ(笑)。
 
 
 仏教的に人は誰でも救われる、と言われる。そう教えられたとしても、その「根拠」もやっぱり欲しい。単純に言われたことを「信じる」って現代人にはものすごくハードルが高い(笑)
 重力は誰に対しても、どれに対しても等しく、力を与えてくれるもの。あとはそれに乗るか、乗らないかの選択。こういうところを救われる根拠にしてみると、また、気分がいい。
 そして、この先、もっといいアイデアが見つかれば、遠慮なく、そちらへ向かいう。頭で考えていれば、行き先に迷うかもしれない。でも、私には甲野先生に教わったカラダがある。カラダがより、生かされる方へと進めば間違いないのだ。
 
 
 
 難しいことを書いてしまった。とにかく、カラダに感覚があり、それは自分のものになるのだ、と伝えたいのだ。ぜひ、稽古にお越しください。
 
 
 講座、稽古予定はこちらのサイトから。個人指導も受け付けています。

SNSでもご購読できます。