ナンバの動きで自分の無意識がわかる

今日ふとしたことで、改めてナンバの動きが大切なんだという事に気が付いたので少しお話をしておこうと思います。
ナンバ歩きで有名になったナンバですが、厳密な意味でのナンバの定義はどうやらないようです。今日これからお話するのも細かい定義の話ではありません。
ナンバ動きと無意識の働きについてのお話です。無意識や潜在意識といわれる世界については、映画や漫画の世界にもテーマとして取り上げられるほど身近になってきました。しかし頭でわかってきたとしても、実際にその無意識を扱いながら、この体で表現をする方法はあまり知られてはいません。
武術の世界は怖いという感情がつきまといます。この怖さをどう扱っていけばいいのかというのが、まさに無意識を扱うということなのです。頭で怖くない!と、考えたとしても、実際に体は怖さで、緊張して動かなくなります。
この時動かない体を無理に動かすのではなく、体にとって自然な動きを表現したい。そのための稽古こそ武術なのです。
いろんな方法があるかと思いますが、私は無意識に自分がどんなことを感じているかということを、常に意識しています。この15年の間に、自分が気がつかなかったことに少しずつですが、気づくことができました。しかし無意識の世界は気がつけば気が付く程、まだまだ奥にとんでもない広さが広がっているように感じます。
普段稽古の際に気を付けているのは、当たり前という気持ちにならないようにするということです。当たり前というフィルターが自分が見えてない世界の入口を隠しているみたいです。
当たり前のワナにはまらないようにするためには、動き方を通して自分自身を見守っていく事が非常に有効だとわかりました。
それこそ当たり前のように歩き、立ち、手を使います。大人である私達にとっては、日常生活の基本動作は当たり前であり、そこに強力な無意識が存在しています。
なにか特定の技術ができないというレベルの話ではなく、自分自身が生きて行く上で基本となる動き方自体を注意することが絶対に必要なのです。
特にこの数十年、人類史上最も体を使わなくなってきていると、考えてみてください。便利な機械やサービスが広がってきたおかげで、体を使うということを本当に忘れてしまっています。
自分自身を深く見つめてみたいのであれば、今の当たり前だと思っている動き方をまず、見つめてみてください。
とはいえ、この時代自分の動きの不自由を感じることは難しくなってきました。だからこそあえて、体に不自由さを要求するのです。その不自由さこそ、体を回さない、捻らない、踏ん張らない、と言ったナンバの動きなのです。
着物を着ていれば自然に身に付くこのナンバの動きも、ゆったりとした楽な洋服を着てでは強く意志を持たなくては、つい普通に、今まで通り、当たり前の動きをしてしまいます。しかしだからこそ、いいのです!
意志を持って不自由な動きを試してみる中で、見つかる感覚こそ、それまで自分が気が付いていなかった無意識の世界の感覚なのですから。
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