ワクワクする事をしよう!という言葉を聞いたことありますか?幸せに成功するためには、ただ、頑張るのではなく、ワクワクしている事をしよう!という教えです。長文になってしまいましたので、面倒な方は最後だけ読んでくださいませ。
言葉を聞くと、なるほど!とも思うし、なにかを得るためには頑張る、という選択肢しかなかった人には、そこに希望を感じるかもしれません。勢いだけで、ワクワクする事をしよう!と嫌な会社を止めても幸せはやってきません。
ワクワクで生きる、というのを、夢を叶えるために必要な教えだ、と多くの人が知るようになってきましたが、なかなか、それを実感できた、というのはあまり見ない気がします。理想と現実の間には大きなギャップがありそうです。
これまで、私たちは「頑張る」というのを教育されてきました。とにかく、努力を求められてきたのです。特に、ちょっと前までは、楽して儲ける、みたいな事も良くないこととしてみられてましたよね。成果主義になって、そうでもなくなりましたけど、なにかを達成するために、頑張る事を武器にしているのです。いや、頑張ることしかなかったというべきでしょうか?
私が「ワクワクする事」に希望を持ったのは「頑張る事」で成果が出なかったからです。もし、頑張る事でちゃんと思い通りの成果が出せていたのであれば、なにも、変える必要ありませんよね。でも、自分では頑張っているつもりでも、成果が出せなかったのです。
そこから逃げ出したくて、なにかを探したら、リラックスという教えがあり、ワクワクしよう、という教えがあったのです。それまで持っていたイメージと比べると正反対だったんです。
なるほど!今まで上手く行かなかったのは、リラックスをしていなかったし、ワクワクしていなかったから、ガマンをして、嫌なことをしていたからなんだ!と単純に思い込んだわけです。おめでたい奴です(笑)。
この時、単純に思い込んで、実践したみた方法が上手くいって、成果がドンドン上がっていけば、よかったのかもしれませんが、見事にこのリラックスやワクワクの教えもうまくいかなかったのです(笑)。
救いに見えた教えが、全く役に立たない、そう思うのには時間がかかりました。信じたくなかったんです。それを信じてしまえば、もう、自分にはなにも残されていないと思えるからです。正反対の教えを信じられなくなったときの辛さは、体験したひとでなくてはわからないものです。ワクワクしていよう、緊張してはダメだ、怒ってはダメ、と思うようにしようと考えれば考えるほど、心の奥ではダメなのを実感していきました。
私が幸運だったのは、自分を見つめるための方法に「武術」を使っていた事です。武術は常に自分の恐れを見せてくれます。武術を通してみる時間があり、日常生活もあるのでわかるのですが、私たちが過ごしているこの世界はドンドンと嫌なことや辛いことを隠してくれているんです。武術とは正反対の世界です。
武術には自分が気がついていない恐怖を自覚するために型があります。でも、日常生活は恐怖や退屈を便利な機械や新しいサービスがドンドン消してくれています。安易に依存してしまうと、低温やけどのように、ジワジワ自分にダメージが積み重なってきます。(低温やけどは治りにくい、これ、覚えておいて下さい。)
リラックスやワクワクもダメ、もちろん、頑張るのもダメ、どこにも行けない閉塞感がやる気をさらになくして行きます。その時、ある事に気がつきました。ワクワクしようと思っていたのは頭で、体ではなかったという事にです。
私たちは「考える」という事をとっても大切に教えられてきました。まず、やってみる、というよりも、失敗のリスクを減らしてちゃんと、計画を立ててから、行動しなさい、と。でも、計画を立てている時から、不安にかられてしまうこともよく有ることです。コンピューターが発達し、シュミレーションしてくれるようになり、予測の精度は上がったでしょうが、楽しくありません。立派なプランがそのまま、現実になることよりも、そうでない時の方が多いんじゃないかな?
言葉にすれば、考えるよりも、感じる、となるかもしれません。でも、この言葉もちょっと危ういな、と思っています。感じている、と考えてしまう性質を僕らの頭は持っているような気がします。頭ではわかるんだけどなぁ、と口にしたことはありませんか?本当にわかっているのなら、説明はいりません。ワクワクすればいいのはわかっているのに…必要なのはそこから、どう一歩を進めるか?です。
頭のワクワクと体のワクワクは実は違います。そこに気がつく事で頑張るのでもなく、ワクワクするのでもない方法が有ることが分かったのです。まぁ、それでも、体の存在に気がついてから改めてワクワクの教科書を読んでみると、そんな事も書いてあったんですけどね(笑)。結局、体の選択、体の求めている事がわかんなかったわけです。体に聞く前に、頭が決めつけていたんでしょう。
体が求める事があっても、頭はそれを拒否する場合があります。例えば、一緒にいて不愉快になる人がいたとしても、この人と一緒にいればなにかと、有利だからな…なんて考えたらもう、お終いです(笑)。仕事が嫌、と思っているのは、その仕事が楽しくないから。体が拒否をしているのに、頭でガマンをしています。
問題はこの次の対応です。ガマンするしか方法がないと、そのうち爆発します。自分の体は騙すことができません。単純に嫌なところから逃げればいいかといえば、そうでもない。だからこそ、どうしていいかわからなくなるんでしょう。逃げたら逃げたで、また、次の嫌なことがやってきます。
武術には敵が必要です。自分よりも強い敵に対してどう向き合えばいいのかを教えてくれていました。その方法が、体のワクワクを聞く、という事です。自分の体が喜ぶように、動き方を変え、考え方を変えていくのです。
怖いときには心拍数があがりますし、目も泳ぎます。この時、怖くない!と考えようとするのが頭です。でも、怖いものを怖がるな、というのはできません。頭からでは無理なのです。怖いのにはそれなりの理由がいりますから。でも、体に理由はいりません。体が落ち着いてくれば、頭は自然とそれについてくるのです。具体的には、横隔膜を下げる姿勢をとり、ゆっくり呼吸し、目を泳がせないように、目に力を入れます。すると、頭ではわからなくても、怖さがなくなっています。理由なんてありません。状況は変わっていないんですからね。こういうのを日常の嫌なことに当てはめてみるんです。21世紀的武術活用法ですね(笑)。
そういう事をこれまでは、現場で仕事をしながら覚えたんでしょう。今の時代は自然災害でさえ、すぐに、乗り越え、元通りの生活に戻せてしまいます。大きな災害もテレビを通してだと、対岸の火事です。
頑張るのか、楽しむのか?どちらもダメだった…それでも、諦めなくていいんです!どっちも、それ、頭なんですから。頭で考えてもダメなんだな、と思えるところが、最初の一歩です。頭に頼ることができるうちは体の出番はありません(笑)。ですから、必要な苦しさだと思って下さい。
長くなっちゃいましたが、言いたいことはシンプルです。ガマンもだめ、頑張るのもダメ、ワクワクに逃げてもダメ、逃げ道がなくなっても大丈夫。そこから、始まりますからね、という事でした。