長引いた風邪も収まり、すっかりカラダがリセットされたように軽やかです。
ご心配も頂きましたが、おかげさまで風邪をひく以前よりもカラダの事がよく分かるようになりました。ありがとうございます。
それにしても、今回の風邪は本当に不思議な感じです。
なにもしていないにも関わらず、膝も曲がらないほど痛み出しましたし。
その膝も左から始まった痛みが1週間ほどで収まったかと思えば、一日を開けて今度は右に出てきました。
ちゃんとカラダは交互に守っているんですね。
その膝ですが、痛みの元になった原因がなんとなくわかったんです。
今回の膝痛はなにも原因となる「行動」がなかったんです。思い出せる限りを思い返しても、ダメ、思いつきません。
それが、今朝ウトウトしながら布団の中で寝返りをうってわかりました(笑)。
寝返りをうち、カラダを横にしたとき、上にある脚の膝に脚の重さがズシッとかかって負担になっていることに気づきました。
そのまま逆へと寝返りをしてみると、やはり、おなじように負担がかかっていました。
この二ヶ月ほど、皮膚へと興味が移り、どうすれば筋肉に頼らず動けるかを無意識のレベルで探っていたのかもしれません。
これまで自然とこの膝が壊れないように筋肉が守っていたのかもしれません。
熾きている間では肌に意識を向けることで、筋肉に頼らず動くことができていたのでしょう。
ただ、寝ている間となると、どうしても、肌に任すと言うよりも、筋肉に力を入れて守るしかないのでしょう。
その無意識に守ってくれていた膝の筋肉が抜け始めたのかもしれません。
結果、寝ている間に脚の重さが膝に集まり、痛みを生み出したのではないかと・・・・。
まぁ、どこにもこんな証拠があるわけでもないのですが、自分自身の中でこれ以上無いほど納得できる力の移動があったわけです。
納得すれば、どんな痛みがでても、大丈夫。怖くないですから。
今、私は「大人の武道塾」という練習会を始めています。
名古屋、大垣、浜松と各地でカラダの不思議さを楽しんでくれればと願っています。
その大人の武道塾ですが、目的がないんです。
イヤ、無いと言うよりも、うまく言葉にならない、といった方が良いかもしれません。
でも、今回カラダを少し壊したことで、改めて、このカラダを感じながら生きることの大切さをしりました。
きっと、甲野先生に出会う前の私であれば、風邪を引き苦しくなれば、誰かとってくれないかと探し、膝が動かなくなれば、誰か治して元の通りに動かしてくれる人はいないか、と探したはずです。
実際に探す行動はしなくても、心の中ではその風邪や膝からくる痛み苦しみから逃れたい、と弱気に支配されてしまっていたはずです。
でも、違うんだなぁ、って改めて感じました。
今回は膝も風邪もじっくり、自分を観察してその経過を見ていることが出来ました。
そしてその観察が出来たおかげで、自分のカラダをいかに動かせばいいのか、という事にも気づくことができ、具体的にも刀の形を活かす事で通常では考えられない速さを出すことが出来ることを知りました。
大人の武道塾って、自分の身に起こること全てを糧に、人生を楽しく生きるために使ってもらいたくって始めたものだった、と少し言葉になったんです。
もともと、この大人の武道塾で行っている稽古の「仕方」は私が甲野先生に教わったときの形そのままです。
それはまさに通常の練習、講座、セミナーとは真逆の方法でした。
普通、練習や稽古、講座、セミナーはなにかを手に入れるために行いますし、参加者もそれを求めてやってきます。
しかし、そのお互いの同意の中で受け渡されるモノは本当の意味で自分のモノとは違っているはずです。
ある場面にだけ有効な安易なものかもしれないんです。
武術以外のものであれば、そういった「出来る」感覚ってのを楽しむこともありでしょう。楽しさを求めて行っているのですから。
しかし、武術は自分にとって不都合におもえる瞬間をどう、大切にできるかを変えるものです。
自分の中で納得がなければ、アタマでそれが必要なんだと念じたとしても、カラダやココロは絶対についてはきません。
生きるって事は自分自身にとって、誰かに変わってもらう事の出来ない大切なものです。
その生き方を楽にしてくれる方法はあっても、それが自分の人生に有効かはやってみなくてはわかりません。
ぶつかり、躓いたときに何度も立ち上がれるだけの気持ちを持っていればいずれ、納得のいく生き方にたどり着くでしょう。
しかし、誰かに楽にしてもらおうと思いつつ、探し求めてしまうと、いつか、立ち上がれなくなってしまいます。
自分自身の中にあきらめを作り出してしまえば、そこから抜け出すのは簡単ではありませんから。
甲野先生に教わったのは全ての梯子をはずすような練習方法でした。
カリキュラムもなければ、やらなければいけないこともありません。
なにも守るモノがないどころか、常に今の自分を観察し、捨てていくことを求められたような気がします。
気がします・・・、というのは、その学び方すら、言葉にして強制された事は一度も無いからです(笑)。
甲野先生はひたすらご自身の技をより働きのあるモノへと進化をさせ続けていました。
そして、時にはそれまで言われたこととは真逆だったとしても、そこに遠慮は全くないんです。
短気な人であれば教わっていたことが間違っていた、となれば怒りがこみ上げてくる人もいるはずです。
まぁ、実際に稽古にこなくなる人もいるわけですから、きっと、この練習法を嫌っている人もいるはずです。
面白いのはそうした状況にも甲野先生は気にせず、ひたすら自分自身のカラダだけを見続けていたという事です。
甲野先生を追いかけるのに、なにも正しいことがないんですよ(笑)。
いったい、なにを手がかりにすればいいんでしょうか!
でも、その「なにもなくなる」という感覚が自分のカラダに意識を持たせてくれるんだと思っています。
甲野先生にお会いする前の私は誰かの残した言葉、知識、秘伝を追い求めていました。
きっと、触れただけで人が飛ぶ秘伝があるんだ、と(笑)。
しかし、そんな秘伝はありません。
いや、たくさんの人がそのコツを残してくれているんでしょうが、結局それを行うのは私たちのカラダであり、ココロですから。
自分のカラダを信じられなくてはなにを行ってもうまく行くはずがありません。
もちろん、たまたまうまく行くことはあるかもしれません。でも、それでは生きていく上での不安が取れないですから。
甲野先生に出会い、学び、稽古を続けてきたことで、自分自身をカラダの方から信じることができるようになりました。
運動音痴、不器用、なにをしてもうまくいけなかったこの自分が今、こうして幸せをいっぱい感じながら生きていることが、夢のようです。
そしてその理由はまさに、甲野先生が教えてくれた稽古を続けてくることができたからです。
今、大人の武道塾でやりたいことはまさに、その「稽古の場」の提供です。
私は私のペースで、どんどん、自分のカラダを掘り下げていきます。
そして、こんな事が出来るようになったよ、とカラダの新しい使い方を共有しようとは思いますが、押しつけようとは全く考えていません。
そして、そこへの参加もとにかく、興味の向くまま、義務感を全く感じないままの稽古ができれば、と思っています。
ですから、自己紹介もなし、会員登録もなし、取得すべき基本も基礎もなにもなしです(笑)。
相手に気を使って、かかっていない技にあわせるなんてもっての他です(笑)。
でも、普通の道場でそれを行えば間違いなく居場所を失います。だって、先生、先輩のメンツが立たないですもん。
でも、なにも無いからこそ、自分の意志でなんでもできるんです。
稽古を続けていくと、これならできるはずだ、と考えそれを試させてくれる相手が必要だってわかるんです。安易に受けをとって、機嫌をあわせてくる人ばかりでは研究は進みませんから。
すこし話が脱線しましたが、そこに集う人が全員、自分自身がどう生きるのかを考えているからこそ、しっかりとした抵抗も出来、また、そこから新たな発見ができるのです。
その場で見つけた発見、感覚はまさに、自分から出たもの。教わった知識があるかもしれませんが、それは「種」です。自分のカラダを通してその種を育てたからこそ、芽が出て、自分のモノとすることができたんです。
とにかく、うまく言葉にできれば、一人一人が自分で良かった、と生きていけるようになるんだろうなぁ、と願いつつ、今日も、こうしてだらだらと言葉にしています。
ちょっとだけでも伝わってくれる人がいて、甲野先生からもらった恩をつなげていければ、と思っています。
自分のカラダは自分が考える以上にすごいものです。ぜひ、ぜひ、自分の可能性を信じて上げてください。お願いします。
遅くなりましたが、3月の稽古の予定も決まりました。
これまで自分が見てこなかった隠れていた自分をみる事ができますよ。
ぜひ、ご参加ください。
3月14日 大垣 17時から
3月20日 浜松 18時から
3月23日 名古屋 11時から
3月30日 浜松 17時から
毎週金曜日 名古屋 21時から
全て、途中参加、途中退席自由です。
詳しくはホームページでご確認ください。