興味を持つという事とは

気がつけば、ブログの更新がひと月振りです。
改めて、自分のブログを読み返して見ると、たったひと月前の事が遠い昔のような感じがして不思議です。
 
 
 
前回、「猫背」について書きました。
肋骨を背骨とつなげる事で、腰に負担をかけずに、体を動かせる事に気づいたんです。
もちろん、それは今でも有効ですが、それを意識して行う、というよりも、自分の体をちゃんと使おうと考えて見ると、それ以外はありえない、そんな気持ちです。なぜ、これまで、ずっと、こんな事に気がつかなかったのか・・・よくわかりません。
 
 
 
振り返ってみると、甲野先生とお会いしてから18年、ずっと、こんな感じでした(笑)。
出来なかった事ができるようになり、そこに成長を感じていました。
意識をして勉強していた時には出来る気配すらなかった事が、教えてもらう、という姿勢を止め、自分の体の感覚を求め続ける事をしてみたらどんどん出来るようになっていきました。
 
信じられないかもしれませんが、そこに「努力」も「苦労」もありません。ただ、ひたすら、自分の体に生まれてくる新しい感覚を楽しみ、何が変わっているのかを探っていったら「いつの間にか・・・」なのです。
 
 
 
不思議なのは、それまで絶対に「無理」と思えた事が、気づき一つでなぜ出来ないと思っていたのか不思議、という気持ちになれるんです。
そう、まるで、自転車に乗れるようになった感覚です。
 
 
 
先週末、金曜の深夜の稽古、土曜の大人の武道塾と濃い稽古をすることが出来ました。
大人の武道塾は決められた技も手順も練習もなにもない時間です。ただ、ひたすら今その瞬間やりたいことだけを求めるんです。
いつも「発見!発見!」といっているので、またか、と思われる人もいるかもしれません(笑)。でも、新しい感覚に気づき、出来なかった事が出来るようになる、自分の体を通して、自分の事がわかってくる感覚は興奮するな、という方が無理です(笑)。
 
 
 
週末の稽古で気づいたのはなんと頭蓋骨!
その中心にあり、多くの骨をつないでいる蝶形骨という骨があります。
その骨を意識して、動いて見ると、それまで動けなかった精度で自分の体を動かせるようになりました。
 
 
 
心と体は一つです。
こんな言葉は良く聞きます。でも、それを実感して、生き方に実践している人がどれだけいるでしょう。多くの場合は気持ちよくなれば、健康でしょ、みたいな感じです。
これ、感情が振り回されちゃったら、体が悪くなっても当たり前じゃない!って言っているのと同じです。
 
武術は違うんです!
武術は最初から、目の前に「敵」がいます。敵がいるところから始めるんです。敵がいれば当然、心に「嫌」が生まれますよね。その「嫌」をどう、自分の中で消化し、受け入れ、行動するかを求めているんです。
 
 
 
蝶形骨で動いて見ると、そこに感じるのは「興味」です。
自分が興味を持ったものに向き合っているときの滑らかさを感じました。
 
 
 
考えてみて下さい。
目の前の嫌な仕事を片つけようとする時と、待ちに待った楽しい事を行う時を。
気持ちを隠し、面に出さないようにしても、なかなか全てを隠す事はできません。体には現れてしまうんです。
 
この時の違いこそ、蝶形骨だ!と自分の中に確信が生まれました(笑)。
 
 
 
ここ大事です。
人生の中で「自分の中で分かった事」があるかで幸せって変わってくるんです。
なにかが「出来る、出来ない」ではなく、「わかっているか、わかっていないか」なんです。
分かっていれば失敗は学びになり、どんどんよくなります。
でも、分かっていないで失敗や成功を経験しても、それはいつか来るどんでん返しに敵わないから。
 
 
 
蝶形骨は眼の奥にあり、蝶の形をしています。左右に羽を広げている形をしています。
この左右の羽を意識して、どちらか一方を先に行きたい方向へと流すんです。
すると、もう片方の端が自然と導かれて行きます。片方の端に隠れる感じなんですが、伝わりますか、この感じ(笑)。
 
 
 
興味がある事に向き合ったとき、人は顔から動いているはず。
くんくん、犬がにおいを嗅ぐように歩くのもそんなイメージかも。
 
 
 
 
もしかしたら役者さんはこんな事、簡単にやってのけるのかもしれません。
まったく今日の無いものに興味を向ける事なんて簡単、と言うかもしれません、
でも、僕らは演技の練習なんてしてませんもんね。
 
でも、自分の体の事がわかれば、自分の体を使いきり、振舞う事が出来ます。
 
日本はお作法の国です。
時にそれは個性が無いものと見えるかもしれません。でも、それは間違い。お作法を通して、自分の体を使いきる事を伝えてくれているんだと思います。
 
 
 
心と体は一つです。
体を使いきることができれば、当然、心もしっかり、目の前の相手に向き合えるはずです。
私はずっと、自分の言葉が薄っぺらくって自信がもてませんでした。
だから人と出会う事にコンプレックスを持っているのかもしれません。
でも、こうして、少しずつ、体の事を知る事で、今、自分が行える全部を相手に渡せている実感が持てるようになってきたんです。
 
今の時代、刀で斬り合うことなんかありません。
精神的なストレスは大きくなっていますが、肉体的にはずいぶんと楽な時代になっています。
でも、だからこそ、自分の体の事が分からなくなり、結果、自分の心も見失って、自分がなんなのか分からない人が増えているように思えます。
 
 
 
先日、NHKで放送された甲野先生と堂本剛さんの番組でも「自分探し」としての古武術を語られていましたが、まさに、今、自分を知るために体から入る必要があると思います。
 
たくさんの知識を得ても満たされない心。
それをまた、頭でなにかをしようなんて、絶対におかしい。体でなら、そこに「ある」事がわかるんです。
 
 
 
この先、世界はどうなるんでしょう。
寿命は延びるかもしれません。もっと便利なものが生まれてくるかもしれません。嫌な仕事もしなくてもよくなるかもしれないし、食料の問題も解決するかもしれません。
でも、そうじゃない可能性も多々あります。
1000年後ぐらいの遠い未来はいろんな困難を乗り越えているかもしれませんが、目の前の30年ってあまり明るくないですよね。
 
でも、私は違うんです。
目の前にどんな事が現れても、なんか、体はそれを乗り越えちゃうかもしれないなぁ・・・と感じています。
私の回転の鈍い頭は答えをまったく出せないでいます。答えが出せないまま、時間だけを進めるって怖いですよね。
 
でも、私は頭だけで出来ているわけではない、って今は知っています。
この体の中にはまだまだ自分の知らない可能性が山ほど残っているんだ、って事を。
 
 
 
今私は40です。ふた廻りも上の甲野先生はいまだに気づきを積み重ねられ、生きることの楽しさを伝えてくれています。
たくさんの技も術も学んできましたが、なにより、先生の背中をみて生きていくことが出来た事が一番の宝物かもしれません。
 
 
 
今、カラダラボでは一人一人の稽古の場としての大人の武道塾を開催していますが、それ以上に、甲野善紀という人との出会いを提供している事の方が大切かもしれないなぁ、と改めて思いました。
出会う事によって伝わってしまう事があるんです。
甲野先生には9月にお越しいただいたばかりですが、また、11月始めにお越しいただき、稽古をしていただきます。
実は、甲野先生、前日に関西でお仕事、そして、この稽古会の翌日に岡崎でお仕事なんです。少し無理を言って、立ち寄っていただきました。名古屋という場所はお得ですよね(笑)
 
先日受付をし始めたばかりですので、まだまだ大丈夫だと思いますが、なにより、「感覚」を持っていって欲しいので定員があります。少しでも興味を持っていただいたのなら、ぜひ、ご参加ください。人生が変わってしまう・・・かもしれません。
 
 
 
よく頂く質問に「武道の経験は無いのですが、参加できますか?」というのがあります。
むしろ、なにも経験のない方にこそ、出会っていただきたいと思っているぐらいです。最近では未経験、女性の方も多くなり、時には半数以上がそんな方になる事もあります。
詳細はこちらのサイトでご確認ください。

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