縦軸と横軸、時間軸と可能性

今を生きる人の集いに参加してきました。
噂に聞いていた以上の濃い時間と空間であり、どう言葉にしていいのか分からないほどの混乱を山ほどもらってきてしまいました。
 
月曜日の早朝に帰ってきましたが、まだ、身体がぼーっとしてます(笑)
 
 
 
きっと、あの場所で過ごしたどの瞬間も「今」だったんだなぁ、と。
時間がコマ割され、自分の求めている講座へと出られるようになっているのは普通です。
しかし、講座が始まって見ると、その講座を受講しなにかをしたい、という未来への期待も、自分の過去にひきづられる事もなくなります。ただ、その瞬間、その場を楽しむ事ができました。
まさに、「今」です。
 
 
 
ただ、この「今」はそこに集ったたくさんの方がその瞬間を共有した事で生まれた空気に助けられたもの。この「経験」がこの先、間違いなく、自分の「今」を常に感じられるようになるためのきっかけになるはずです。
 
「今」を感じた事で改めて見えてきたのは自分の中に生まれる過去と未来のこと。
最新の脳研究によると、記憶というのは「その都度」、頭の中で作られるものらしいです。つまり、脳研究の場でも「今」しかない、と分かってきているって事でしょうか。
 
 
 
どんなに頭で「今しかない」と知ったとしても、この身体で感じて見ると、明日はあるし、1年後も間違いなくあります。そして、いつか、死ぬであろうその瞬間も。未来は頭の中で作られ続けています。
 
自己啓発、宗教のような世界では取り越し苦労はしてはいけない、といわれます。そして、それは皆、良く分かっているはず(笑)。
分かっていても出来ないのはなぜだろう・・・、ここに生きていくことの難しさがありますよね。
 
 
 
身体はそんな「問い」に対して答えをくれます。
今日は自分の中に生まれる時間の話をしますね。
 
 
 
最近、骨盤をどう使えばいいのか、という事が分かりました。
本屋さんに行けば骨盤をどう使えばいいのか、というのは山ほど見つける事ができます。しかし、多くの場合、知ってはいても、なぜ、そうでなくてはいけないのか、よく分かっていません。
実はこの骨盤は「横方向の自由」を生むものだったのです。
 
 
 
 
心と身体は一つです。一つであるから、それぞれに生じたストレスや喜びは瞬時に関係を作ります。
自分の頭でどんなに「自由」を願ったとしても、身体そのものが「不自由」つまり、「動けない」状態であれば、自由を感じられるわけがありません。
 
骨盤の働きに気づく事が出来たからこそわかったのですが、どうやら、この数十年、私は一歩も横に動けていなかったみたいです。
横に動けないからこそ、目の前に広がる道は1本しかありません。その目の前に障害が出てくれば力の大小で片つけるしか方法がなかったんです。
 
でも、横方向へと自由に動けるようになれば、今度は「かわす」事が出来るようになります。その「自由さ」が骨盤を締め、身体のアソビをとる事で感じることが出来るようになります。
 
 
 
もちろん、中には戦いたい人もいるでしょう。
この話を中高生の若い人にしてみると、反応が薄いんです(笑)。
現実に動きとしては力がぶつからず、理想的な動きに近づきますから、求めていた技になるんですが、どうも、食いつきがわるい(笑)。
きっと、彼らはもっと「衝突」したいんです。そして、衝突しても負けない強い力が欲しいんだと思います。
確かにスポーツや勉強といった、決まったルールの中で生きている子達ですから、横にかわすという発想がないのかもしれませんね。
 
でも、大人になれば、ルールはどんどん消えていきます。むしろ、新しいルールを作る側になる事を要求されます。
大人にこそ必要なのが横方向への柔軟性だと思います。
 
 
 
横の話をしましたが、縦方向は簡単です。
前を向いたり、後ろを見たり。縦の方向は自然としてしまう時間の流れだと思ってください。
 
このまままっすぐ前に出ていいだろうか?と考えて見ると、ちゃんと頭に答えがやってきます。このままだとぶつかりますよ、と。
問題はここから。
 
答えが分かっていても、なお、そこに居続けてしまうんです。
なぜなら、それは、物理的、身体的に、この身体を横方向へと動かせないから。
 
 
骨盤の動きに気づく前の私は地面を足で蹴るか、腰に頼って動こうとしていました。
これらの動きは「ねじれて」しまうんです。
ねじれてしまうというのは、「その場」ですから、目の前からやってくる力にどうしてもぶつかってしまいます。
今でこそ、それを感じられるので、まずは横に・・・とわかりますが、動くという事自体を経験していなかった時には、どうしても、衝突ありき、になってしまっていました。
 
 
 
横方向の動きは「可能性」です。
相手の力に合わせてみれば衝突ができるし、少しかわせば、当たらずすれ違う事ができます。
好きな人や大切な人とはまっすぐ正面からぶつかればいいし、苦手な人とは少しずらして、すれ違えばいいわけです。
でも、普通、こういうのって逆になりますよね(笑)
 
 
 
現代に生きていれば山ほどの知識が嫌でも入ってきます。そして理解という消化のできないまま過ごさなきゃいけないわけです。
これまで私がやってきたアプローチは純粋な武術、武道とは違うかもしれません。
その理由は子供の頃からなじんできた少林寺拳法が教えのある武道であったからかもしれません。
自分の中の気持ちをどう納得させるか、その迷いが出ていた時に出会ったのが甲野先生でした。
 
 
甲野先生はひたすら「身体」を見る事を教えてくれました。
少しずつ、「自分の身体」を感覚的に知る事で、自分の中にあったたくさんの知識に納得ができるようになったんです。
 
最近、このアプローチは「武」ではなく、「瞑想」だな、と思うようになったんです。
なにをどうする、というよりも、それぞれ、一人一人が自分の内面に目を向けてみれば、それぞれが持っている経験や知識から、また、新しい力が出てくるのを確信しています。
 
手を合わせて稽古もしますが、それは誰かと争い、競うためではなく、その瞬間の自分を感じるために試すものです。うまくいかないものが見つかれば、そればまた糧になり、うまくいくものが見つかれば、安心です。
きっと、私たちの体や心、頭の中にあるたくさんの経験と知識は一生かかっても消化できないはず(笑)
ならば消化そのものを楽しむのもいいんじゃないかなぁ、と思っています。
 
 
 
気楽に体と向き合えるように、競い合う事の必要の無い「瞑想」の時間を作りました。
ただ、この瞑想は目を瞑ってなにもしない、というわけではありません。
むしろ、普段のままの自分を観察する事のできる目を作りたいと思っています。
稽古、練習、瞑想の時間をわざわざ作ればどうしても、無理が出てきます。
でも、普通に過ごす日常全てを観察する事の出来る目を手に入れれば、いつでもどこでも、楽しい発見をする事ができます。
 
 
 
武術は生を求めるものなら、瞑想は死を肯定的に認める事かもしれません。
なにかに気づいてしまった瞬間、それまでの自分は古い自分となります。体はそこにあっても、それまでの古い心は死んでしまうからです。
あらゆる手を尽くして、体が死ぬ直前まで、楽しく居続けたい。それが私の願いです^^
 
 
 
お手伝いしてくれる方もみつかり、まずは掛川、名古屋で行います。気楽にお越しください。
2013/11/06(水) 名古屋 PM7:00~PM9:00
 
 
 
そうそう、甲野先生が11月4日に名古屋へ来られます。
こちらも受付中ですので、ご確認ください。
甲野先生の名古屋講習会 (一応定員あります。)

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