今を五つに分けてみた

先日、足裏から力が跳ね返ってきている事に気がついてから、動き方はもちろん、今、自分が見ている世界についての考え方がグルグルと変わってきた。この考え方が正しい、とは言わない。ただ、今自分が感じている事をそのまま言葉にしておこうと思っている。

なにが正しいのかはわからないけど、今目の前にある世界が身動きの取れない窮屈なものではない、というのは間違いがなさそうだ(笑)。

幸いにして文化センターなどでたくさん、話をする機会を得ている。7年ほど講座を持っているけど、一度として同じ講座をしたことがない。いつも、その時一番興味のある事を材料に、身体を動かし、感覚を渡していこうと思っている。
どうも、これは相当変わっているらしく、動き系の講座でありながら、覚えなくてはいけない動きもなければ手順もない。毎回行う基本練習はもちろん、準備運動すらしない(笑)。

そのおかげか、常に、真剣勝負というか、新しいなにかを追い求めていく、という習慣を持つことができた。
自分の中に新しい動き、感覚が生まれたと同時に、人に伝える、という作業をしているのだ。

いつのまにかこんな感じの稽古になり、そこから新しい発見がさらに続くようになってきた。まぁ、だから一時期、ブログにも書ききれなかったんだけど(笑)。なんとか、書き出すスピードも上げていこう、と考えて、今、こうして、身体の感覚を確かめながら言葉にしている。

今日のお話は「今という瞬間を五つに分けて考える」という事。

どうやら、「今」という瞬間は身体のどこで受け止めるかでいくらでも分けられそうだ、というのが見えてきた。ただ、無数に・・・と考えるとさすがに伝えにくいので、大好きな五行思想に当てはめて「五つ」にわけてみた。

五行思想は世界を「木・火・土・金・水」という流れで切り分け考えていくもの。今日は単純に番号をつけて私の世界の見方がどう変わっていったのかを書いておく。

一応、五行との関係では「水」を1番とした。水行が1番、木行が2番、火行が3番、土行が4番、金行が5番だ。

「早さ」という点で考えてみると1番が一番早く、一番遅いのが5番。甲野先生に出会う前の私は5番の世界にどっぷりとつかり、身動きの取れない世界で苦しんでいたらしい(笑)。

その5番の世界というのは言葉の世界、マニュアル、手順の世界だ。動きを手順で表し、説明する。技ができないのはその答えになる手順が間違っている、と思っていた。しかし、現実は違う。間違いがあるのではなく、その手順を自分ができない、というだけの事だ。
せっかく得たマニュアルが使えなければ他のマニュアルを探す。ずっと、この繰り返しだった。
きっと、探し続ければ、なにか見つかったかもしれないけど、そのマニュアルには賞味期限がある(笑)。皆がそれを持ち、使うようになったら、その技は有効でなくなってしまうから。

現代はそれを「検索」という技術でいくらでも探せるようにして絶望を交わしている。しかし、実際にはなかなか難しい。どこかで、自分には無理かもしれない、とあきらめてしまう心ができてしまうかもしれないから。

私が甲野先生に出会ったのはちょうど、そんな気持ちになっていた時。いろんな技の手順を聞き、練習してみたものの、うまく使えない。だから、新しいマニュアルを探すつもりで甲野先生をみつけたわけだ。
しかし、甲野先生にはその普通のマニュアルがなかったのだ(笑)。
先生の言われる言葉一つ一つ(力を流す、受ける、肩、肘、手首、ねじらない、うねらない・・・)は見た事があっても、実際にどうやっていいのか、どううごいていいのかが全くわからないのだ(笑)。

それでも、そこにとっても魅力的な力を感じ、まねをしながら追わせてもらった。きっと、これ、子供が親を真似て成長するのと似ているんだと思う。少しずつ、「自分の身体」を認識するようになってきたのだ。

自分ってなんだろう、と考えてみた時、それは頭だけ、言葉にできるものだけが自分だった。生年月日、住所、氏名、学歴、職歴、趣味・・・など。
しかし、稽古を通して見えてきたのはそれまで、気にした事がなかった、「身体」だった。肩や腰、肘や膝、手首や足首、どの部分もちゃんと使い切る事無く、なにげなく生きてきた自分がいたのだ。
動きを通して、ちゃんと使えば、身体が自由になるとわかり、もっともっと、この身体を知りたくなり、いつのまにかそれまで経験した事のない意欲を持って稽古していた。

5番が頭の世界だとすると、4番は身体の世界。自分の身体をすこしずつ取り戻す事でどんどん速く、軽やかになれる。

実は、ほんの2ヶ月ほど前まで、ずっと、この4番の世界にいた事がわかった(笑)。この20年近く、常に新しい発見の連続で世界を拡げて来たと感じていても、それは、まだまだ小さく閉ざされた世界にいたって言うんだから、もう、笑うしかない。西遊記で出てくるお釈迦様の手のひらで遊ばれる孫悟空の気持ちがよくわかる(笑)。

3番の世界は「念の世界」。自分が「ある」と思ったものは形はなくとも、力を持っている、という世界だ。パントマイマーが作る壁はまさにそれ。身体を使い、目の前に「想像の」壁を作る。その壁は「ない」けれども、ちゃんと作ると人はそれを「ある」と認識してしまうのだ。
4番が自分だけを考えた世界だとすると、3番の世界は相手と自分との見方を想像し、共有するものと言える。

実はこういう世界も普段、当たり前に経験している。
オバケを怖い、と思うのは自分の心の中にそれがもう、出来上がっているから。
すでに、「出来上がっている」のだ。

こうなると、4番の身体で抵抗するには難しい。抵抗するには見たくない、と見ないのではなく、現実に、この身体に引きずり落とす必要がでてくる。怖い、といって目を背けてしまえばもう、恐れに取り込まれてしまう。どういう恐れが心に生まれても、身体には窮屈さとしてしか現れない。その窮屈さを身体を使って、動かすのだ。身体が動く、とわかれば、心にある恐れはもう、恐れなくてもよくなっているはず。

心と身体、と考えると、つい、心の方を有難がってしまいがちだが、違うのだ。身体を手がかりにする事で、自由を手に入れる事ができる、とわかれば、未来は明るくなってくる。

そして、もう一つ、心の恐れに負けないですむ方法がある。
それは、2番のタイミングをつかむ事。
心に恐れが生まれるのは3番の見方で動いているから。それよりも「ちょっと前」に2番の世界があり、そのタイミングで動いていると、恐れを作る暇はなくなってしまう。恐れ自体を作らないで済むのだ。

2番の世界は跳ね返りの世界。どうやらこれは便利な現代を作り上げてしまった事で見失ってしまった世界らしい。
舗装もなく、山道ばかりで、便利な機械や乗り物もない時代ではどうしたって、「環境」を意識し、使いこなさないと暮らしていけなかったはず。
それが便利さの名の下どんどんと新しい機械を取り入れ、環境を変えてしまった事で、筋肉の力だけで暮らせるようになってしまった。4番、5番の世界がそれだ。
確かに機械やサービスを使う事で作業効率はよくなり、行動範囲も増える。しかし、2番の世界で生まれる跳ね返る力を無視をして暮らしていれば、どうしても身体に負担がかかり、壊れていく。

腰痛や膝痛なんかは2番の世界で生まれる跳ね返る力と筋肉の力の衝突で生まれているんじゃないかな、と推測している。実際、跳ね返る力に乗り、身体を動かしているときには身体の緊張は抜け、楽に動けるのだ。

跳ね返る力は身体が地面と衝突する事で生まれている反作用の力。
この世界には間違いなく重力がある。この身体が地球に引かれ、地面と出会い衝突した瞬間、外へと跳ね返る力が生まれていたのだ。これに全く気がつかず今の今まで暮らせていたのだから、本当に不思議(笑)。

しかし、これはどうやら、ものすごく、なじみ深い力らしい。
バスケットボールのドリブルを考えて欲しい。まさに、あれが跳ね返る力。ボールが地面に触れた「瞬間」跳ね返る力が生まれている。ドリブルを巧みに行う人は、その跳ね返る力のタイミングで動いているはず。

だから、子供の頃、ドリブルができなかったのだ(笑)。
考えてみると実に当たり前。すでに生まれている跳ね返る力を考える事無く、自分の筋肉を主とした力であわせようとしても、絶対的に遅いのだから。
スポーツを楽しめる人は普通にそのタイミングで過ごしているのだ!

ただ、世の中はどんどん身体を使わないようにできている。若いときには考える事無く、跳ね返る自然の力に乗れていたのが、老いる事や怪我をする事で、だんだんとできない事が増えてくる。そのできなくなって来たときに3番や4番、の力でなんとかしようと考えても遅いのだ。
あまりにも自然すぎて見えないのが2番の世界。しかし「地面」がある事で生まれる力が「ある」と意識しながら動いてみると、明らかに考えて動くレベルとは違うものがある事に気づけるはず。

それに気がつければ、車が転がっていくように、自然にそって動き、暮らす事ができそうだ。車は恐れを作らない。環境である地面の斜度に合わせてただ転がっていくだけ。そういう動き方を意識する事ができれば、恐れを作らず、ただ、自然にそって、と言える様な生き方ができるんじゃないか、とものすごく期待しているのだ。私の興奮が伝わるだろうか(笑)。

そして最後に1番。これは、身体も地面も考えない頭の上にある北極星のようなもの。
ひたすら一つの事に意識を集中していると、身体は勝手に動く。時間さえも気にならない瞬間はきっとこの1番の世界。気がついたら、そこにいた、っていう世界。

火事場の馬鹿力のようなものもこれかもしれない。大切な将軍の鷹を追いかけていった鷹匠が崖も川も気にせず追いかけ捕まえた後、自分の進んできた道のりに驚く、っていうのはまさに、これ(笑)。

言葉で書けば簡単な事も大人の頭で意識をそこにとどめておくのはなかなか難しい。手がかりになりそうな事もあるので、この先稽古を重ねて、もう少しうまく言葉にできたらなぁ、と思う。

ちなみに1番の動きでかけた技は「冷たい」。相手にしてもらっていない感じがするらしい。2番は逆に「温かい」。それは自分も相手もともに同じ地面の上にいるからだろう。地面を揺らすように動く事で生まれる力は波の高いところの舟のようなもの。同じ場所を意識できるから一体感がある。

手がかりになるかはわからないが1番の技は上に、2番は地面ぎりぎり下に意識がおかれる。うまく技になっているんだろうか、と考えたとき、気になるものが上にあるのか、下にあるのを相手に聞いてみると、目安になると思う。

さて、お付き合いいただきありがとうございます。
書き出してみて、読み返し、自分でもうんざりです(笑)。
とにかく世の中は不思議、人間は不思議だ、という事です。
そして、さらに、それを楽しむ事ができるのだ、という事です。

きっと世の中はさらに便利になっていくはずです。どんどんと身体を必要としない世界ができあがるでしょう。やってくる未来はどんなんだろう、とわくわくしている自分もいます。怖いのは便利さによって退屈を生んでしまう場合です。すべき事がなくなってしまったら生きていく気力がなくなってしまいますからね。

私は甲野先生に出会い、身体がある事を教わりました。
身体があるからこそ感じられるものが「ある」とわかると、どんなに落ち込んでいても一気に楽しい気持ちが湧き上がってきます。
ぜひぜひ、興味を持って、自分、相手、環境へと気持ちを拡げてみてください。絶対に「なにか」が見つかるはずです。もし手を合わす機会がありましたら遠慮なく聞いてください。そこからさらに「なにか」が見つかるのを楽しみにしています。

山口潤の動きを体験する方法

このウェブサイトで紹介している動きは全て、誰にでもできるものです。

理由は" 体そのもの "の使い方だからです。

これまでたくさんの" 方法 "を学んできたと思います。身につけられた方法と身につけられなかった方法、いったい何が違うのでしょうか?

私はそこに現代人が忘れてしまった" 体の使い方 "だと感じています。

便利でなかった頃は体を頼りに生きていくしか方法がありませんでした。でも、今は体を使うよりも、機械やサービスを活用したほうが効率的です。効率を重視してきた結果、多くの人が体の使い方を忘れてしまったようです。

実際、私の講座にはプロとしてお仕事をされている方もよく見えます。他人の体は治せても、自分の体の動かし方は苦手なようです。私がお渡しするのはある意味" 超アマチュア "な技術です。だからこそ" 誰にでもできる "のです。

各地に講座もありますし、出張稽古も受け付けております。

 

山口潤プロフィール

3歳から父の影響で少林寺拳法を始める

18歳で中部大学少林寺拳法部に転籍。学生連盟の仕事を通して少林寺拳法の楽しさを知りました。

22歳、大学卒業の年、甲野善紀先生に出会い衝撃を受けます。

その後、父の道場に戻り指導を始めながら身体感覚の研究稽古を始める。(以来、ずっと、新しい発見が続いています。)

10年ほど前、父から少林寺拳法の道場を引き継ぎました。

少林寺拳法の全国大会に愛知県代表として出場したとき、肩を壊しました。それがきっかけになり、それまでの仕事を辞め、身体の楽しさを伝えることを仕事にしようと決意をし、カラダラボの活動を始めました。

コネもビジョンもなかったのですが、思いが伝わってくれたのか、定期稽古は名古屋、浜松、掛川、大垣に、文化センターの講座は名古屋を中心に10か所ほどに増えました。ありがたいことです。

活動の場面はいろいろと増えておりますが、毎日、ずっと、体に目を向け、声を聞き続けています。


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