カカトを踏む使い方 その3

 新しいつま先の使い方でできる事が広がりました。最初は左右への飛び出しぐらいにしか使えなかった動きも、検証を続けるうちに、より細かな操作が出来るようになってきます。だんだんと身についてくるようになるんですね。
 
  ひと通り、日常生活の動きや普段稽古している技に応用して、その効果を楽しむとそれまで「楽しかった」つま先の操作の中にも「ものたらない」場所が見えてきます。楽しかった事がつまらなくなるわけですから、損したように思えますが、実はこれが次へのステップへの信号なのです。
 
  自分の中にまた新しいものを見つけてやろう、という気持ちが生まれて来なければ次の成長は無いからです。自分が身につけた技、出来るようになった技を捨てる事はなかなか出来ないかもしれません。私自身もそうでしたからよく分かります。それでもココは声を大きくしてぜひ伝えていきたいところです。
 
  「今のカラダの使い方を手放す事で新しい自分が見えてくる」、という事を。
 
  さてこれほど早くに「つま先」の使い方に物足らなさを感じてきたのは、やはりココロの中で「カカト」をどう使うかが引っかかっていたからでしょう。つま先の動きも今までの中では一番速くて強い動きだったものの、どうしてもこれをこの先何年もずっと稽古していく気にはなれなかったのです。
 
  だからこそ、自分の中の細かな力みが分かったのかもしれません。つま先側だけでは処理しきれない重さに力んでしまっている場所が気になってきたのです。
 
  つま先を意識する事で、「貼りつく」感覚はずいぶんと分かるようになりました。次にする事はこの「貼りつく」感覚を「カカト」で出せないかという事です。カカトをただ降ろすだけでなく、接地してからすこし「押し出す」ようにしてしてみました。
 
  すると以前試した時では分からなかった「貼りつく」感覚がすこし生まれてきているように感じました。ただ、実際の動きとなると使いこなすところまでは程遠く、結果だけを求めてしまうと、「つま先」に頼りたくなりますが、もちろん後戻りはいけません。
 
  こういう姿勢で稽古していると、よく人から「先生は潔いですね~」と感心してもらえる事があります。そこは胸を張って威張りたいところですが、そんなにすごいわけではありません。これまでの稽古を通して「何度も」自分が変わる体験をしたからこそ、今の自分が大事にしているものを「手放す」事が出来るようになっただけです。慣れてしまっただけなんですね。
 
  なかなか伝えきれませんが、カラダの稽古の隠れたメリットはこういう考え方が身につくという事もあるのではないかと思っています。実生活の中、特に仕事の中で「手放す」習慣を身につけるという事は難しいですよね。失敗してはいけない、という怖れや不安がありますから。どれだけ自分が成長してもっともっと大きくなれるから・・・と言われても現実に自分の失敗を想像してしまえばなかなか手放せません。

  それがカラダの稽古でなら身につきますから。ウソだと思って試してみませんか(笑)?

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