【思いつき】舌打ちでまわりを見続ける

あたらしく「思いつき」というカテゴリーでブログを書く事にしました。
実は、毎日、ずっと、身体のこと、心のこと、変なことばかりを考えています(笑)。昔から考える事は嫌いではなかったような気がしますが、なにせ、言葉にうまく出来ないし、モヤモヤを抱えていました。
 
 
 
「稽古」をするようになり、「身体感覚」という武器を手に入れました。この武器がすごいんです!それまでモヤモヤとしていた問題がどんどん自分の中で解決していくんですから。まるで、「鍵」です。自分の中の疑問は自分の身体の感覚が開けてくれるみたいです。
 
 
 
ただ、日本語の能力だけはなかなか上達しません。まぁ、それでも、小学校の頃は作文が全くかけなかったのを考えれば、こうしてブログも書くようになり、ツイッターでもぶつぶつつぶやくようになりましたら、これでも、進歩してるんです(笑)。
 
 
 
実は、このレベルの日本語でも言葉にするのは一苦労なんです。自分の中にポッと生まれた感覚がひらめきになり、そこから自分の持つ知識と混ざって少しずつ、言葉になっていきます。
去年ぐらい前まではそのひらめきの間隔がいい感じだったので、言葉にする事も出来ていましたが、今年に入り、どうも、ひらめく事が多すぎて、うまく言葉にまとめられないアイデアが溜まってきてしまいました。
 
 
 
もちろん、自分の中でモヤモヤさせて置くことは気持ち悪いので、いつも、考え続けています。その結果、そういうことだったのか・・・と確信を得るところまでは行くんですが、それはココロどまり、納得したはいいけど、伝える言葉が追いつきません(笑)
 
 
 
稽古のときのように、雑談をしながらであれば、自分の中の確信がぽろっといい感じのたとえとくっついて言葉になる事もあるんですが、それを期待して待っているわけには行きません。
 
 
 
ふと、どうせなら、おもいつきのまま、そのまま、言葉にしてしまおう、と考えました。
どうやら自分の中の「言葉」というのは「正しい」という条件つきだったみたいです。もちろん、正しい言葉なんてありませんが、まず、自分の中の納得を得た上で言葉にする、無意識にそれで縛っていた気がします。
だから、おしゃべりが苦手だったのかぁ・・・と(笑)。
 
 
 
 
「思いつきブログ」は、自分の中にひらめきが起こった瞬間に思ったことを書く事にしました。ここで大切なのは「中身」ではなく、その「瞬間」、「タイミング」です。こう考えると、私の中にある正しさの鎖も「タイミング」という点で正しくなります(笑)
 
そんなわけですから、このカテゴリで書く内容は今後、どんどん中身を変え、真逆なところへとたどり着く場合もあります。それでも、恥を忍んで、こうして、頭の中をさらけ出すのは、「自分の頭と身体を使ってみると楽しい」んだ、という事を伝えたいからです。
 
もちろん、この中で書く事について「わからない」と聞いてもらってもかまいません。むしろ、その質問よって、さらに自分の頭が整い、いい言葉が出てくるのを期待しています。
 
 
 
正しさは保障できませんが、身体の感覚から出てきたアイデアは動きにはすぐに影響がでます。それまでの技、動きとは違った感触で崩す事ができるとおもいますので、技を受けるときにちょっと、思い出してもらえるとうれしいです。
 
 
 
 
では、ついさっき、思いついたことを。
それは、舌打ち。舌打ちをし続けながら暮らしてみたらどうだろう、という事です。
舌打ちってのはあまりいい事ではないですよね。それでも、この舌打ちが「発散」としては非常に有効なんじゃないか、と思ったんです。
 
つまり、「発散」であればなんでもいいと思っています。
おしゃべりな人はずっと、しゃべっていたらいいんです(笑)。
踊りたい人はずっと、踊っていればいいんです。
 
私は昔から、収束型、とにかく受け身な性格です。稽古していれば発散型になれているかなぁ、と思う時もありますが、ふっと、気を抜くと、受身になって、外からの刺激に反射的に反応している気がしたんです。
 
 
 
自分の中で反射的反応を起こしてもらうと、不安を持った自分がすぐに顔を出してきます。駄目な事と、わかっていても、受身状態が続くと、つい、それをしてしまうのです。
自分の事を考えるのではなく、相手の事を考える。相手の身体をじっと見て、自分の身体のように感覚的に捉えると相手の身体を揺らす事が出来るようになってきました。身体が揺れると、体重が動きます。その結果、相手を動かす事ができます。
 
 
 
この方法は相手からも気づかれにくいので非常に有効な方法なんですが、「相手」が必要になります。気を抜いているときにはその「相手」がいなくなってしまうんです。相手を見失ってしまうと、気持ちが自分に向いてしまい、反射が起きます。なんとか、したいなぁ、と思うようになって、ふと、「まわり」も動かせるんじゃないか、と思うようになってきました。
 
 
 
実はこの世界は「自分」と「相手」と「それ以外」で出来ています。いや、そういう考え方があり、それをなるほど・・・と私は気に入っています。
普通、問題があると問題そのもの、つまり、「相手」が気になります。私は自己否定型だったので「自分」を気にしすぎたんですが、「それ以外」にはなかなか気づけません。
大きな視点でみれば、まわりにまで目が行くのかもしれませんが、問題に直面してしまっているときには、なかなか視点を上げるのは難しいです。
 
 
 
その「まわり」も自分の身体と同じように揺らしてみれば動くような気がしてきました。「まわり」が動けば、「自分」もそれにつられ動いてしまいます。結果的に「相手」も巻き込まれてしまう、というわけです。
 
 
 
舌打ちはその「まわり」を意識するためのきっかけです。
小さく「とぅっ」と舌を打った瞬間、周りを気にする事ができます。ボーっとしているときにはついつい、流されていたものが、自分で、その瞬間を作れる気がします。
まわりに巻き込まれている、というのを意識すると力みが減るのを感じています。自分の身体への意識が減るのですから、なんとなく、理にかなっていそうです。
 
 
 
舌打ちっていうのも迷いがないものです。「あー」とか「うー」とか言えばそこに気持ちが入って迷いも生まれます。でも舌打ちは速い。音がパッと生まれて、余韻なく消えていきます。
 
イルカなんかは超音波を出してまわりとのやり取りをする、っていいますよね。水の中に暮らしている彼らは常に「水」という「まわり」を意識しているんだろうなぁって。
全然、関係ないかもしれませんけど(笑)
 
 
 
 
というわけで、思いついたことを思いついたままに書かせてもらいました。
さて、どう育っていくやら。
ありがとうございます。
 
 
 
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