力の賞味期限

こんにちは、山口ジュンです。
いつも、自分勝手な解釈に付き合っていただき有難うございます。
頂けるメールに背中を押されている、というのを実感しています。
普段の稽古で考えている事、求めている事をそのまま表現できればと思って書いていますので、なにを言っているのか、わからない、と思ったときには遠慮なく、聞いて下さい(笑)。そこからまた生まれてくるものがありますから・・・。
 
 
 
では、今日のお話です。今日は力の出口についてお話をします。

自分が考えている以上に私たちの身体と心は大きな力を持っている、というのはこれまでお話してきた通りです。

力がある事はわかりました。では、この大きな力をどう使うのかが問題になってきます。

今考えているのは、私たちに与えられている大きな力は「腐って行く」、のではないかという事です。賞味期限があるんです(笑)。
 
 
 
ただ、腐って行くだけならばそれを捨てればいいのですが、どうも捨てるのにもコツがいるようなのです。

ついつい自分の持っている力や知識はため込み、それを良い事と思ってしまいます。しかし、それでは自分の中にどんどんと古くなってしまった力や知識がたまってしまい、元気を奪われてしまいます。
 
 
 
たとえば知識。新しくなにかを学んで、知った時にはワクワクした気持ちもそこについて来ています。しかし、その喜びは時間と共にどんどんと衰えていってしまいます。衰えを感じながらも、自分の立場を守るためにその知識に頼るようになってしまえば、どうでしょうか?
 
 
 
力もそう。力を求めてトレーニングして、得る事ができれば達成感という喜びもそこに味わう事ができます。そんな楽しく、元気な状態であればパフォーマンスも上がって当然です。でも今の力を維持しなくては、と思ってしまえばトレーニングに意欲もわきません。これ、危ないです。わかっていればまだ、マシですが、自分の弱さを認める事は難しいですよね。
 
 
 
だからこそ手放すこと、捨てる技術を身につけなくてはいけないのです。

力でいえば、新しく、身体の使い方に気付いた事で得た力はそれを伝える事で手放していると言えます。もし、勝負の世界にいるとしたら、どうしても自分の力の源の秘密は隠してしまいたくなるかもしれません。

しかし、隠すとは溜めるという事。そのうち腐ってしまいます。自分の力の源をさらけ出す事で、結果としてさらに有効な力が自分の中に存在している事に気づく事ができるのです。
 
 
 
話すとは手放す事、どこで聞いたか忘れましたが、本当にそうだな、と実感します。
 
 
 
ほんの数年前からの自分からすれば信じられない変化を遂げてこられた、というのも、気付いた事を言葉にしてわたして来たからです。そしてそうする自分を勇気付けてくれる仲間がいたから。

いや、最近ではこのブログもそうですね、感謝しています。
 
 
 
力の話から書きましたが、気づきという知識もそれに囚われずに手放して来たからこそ新しい気づきを得られているのを実感します。
 
 
 
なぜ、こうも上手く、苦労なく歩いてくる事ができたのか。それはもう、師匠のおかげです!甲野先生はいつも、新しい気づきと共にやってきます。稽古の中でも今の自分を手放すことを惜しみません。その姿を間近でみてこれたからこそ、捨てる事にためらいがなくなったんだと思います。

素晴らしい技を見せてくださる人、教えてくださる人は多いのですが、自分が伸びていく途中、たとえそれが苦しさと共にあるような時も、すべてを見せてくれる人はいませんでした。足跡を残してくれたからこそ、怖れずに自分も今もっている力や知識を手放しながら歩く事が出来ています。
 
 
 
その稽古の形を大切にしたいと思ったからこそ、カラダラボの講座では「しなくてはいけない事」が少ないのです。毎月、私が持っていっている気づきはこういう事も出来るみたいですよ、という報告であり、強制ではありません。本当は教える自分はいない方がいいんです(笑)。

ながく続いてきている講座ではそのスタイルが形になってきました。先日はなぜか僕の恋愛観が話題になっていましたし。生徒と一緒になっておしゃべりをしている講師がまとめる講座はちょっと異常です(笑)。
 
 
 
言葉は単純だからこそ難しく、今の自分のレベルでしか受け止める事ができません。それでも残してくれた事に感謝をしたくなります。今こうして残している言葉も、今の自分のレベルなんですね。恥ずかしい思いもありますが、手放す事でまた違った楽しさをお渡しできると信じて、ドンドン進みます!
 
 
 
えっと、今日は力の出口の話でした(笑)。なぜ出口が必要か、というのを説明しようと思ったらこんなにも時間がかかってしまいました。うん、腐ってしまうからです。
 
 
 
捨てる事が上手になればいいのですが、もっと楽で楽しい方法があります。

最近初めてアクセサリーを買いました。これまで全くオシャレには興味がなかったのですが、自分の中に無意識に動く力があった事に気付いたんです。以前にも書きましたが、それを「興味」という事にしました。

その興味に注意をしていると、普段の自分は外に向かう力が少なかったんです。例えば、感謝をするというのも興味を自分の中から外へ出すという行為です。捨てる、とは言葉が悪いので気持ちを渡す、といっておきましょうか。
 
 
 
嫌な時などはその嫌になる元になったモノや人に対して、不満という気持ちをわたしているわけです。

常にハッピーや不満を出し続けていれば本人だけは快適かもしれません。(ハッピーな気持ちをもらった人はハッピー、不満を受け取った人はかわいそう、という事ですね。)
 
 
 
では、どうですか?普段の自分は?以外と平穏無事で毎日の生活が「当たり前」になっていないでしょうか?

もしそうなっているなら、ドンドン在庫が腐っていっています(笑)。なんとかして捨てていかないとです!

オススメは今の当たり前を当たり前と思わずにハッピーだと思う事ですが、なかなか難しいですよね。自分だけの力でむりならば、力を貸してもらちゃいましょう!
 
 
 
で、アクセサリーの話です(笑)。本当にすいません、だらだら長くて。

どうやら興味の力は何にでも向かっているようなのです。例えば先日買ったのは小さな木の円盤をつなげた数珠のようなモノなんですが、これを身につけると、興味がそこに向かって行くんです。

おっと、大切な事を書き忘れました。腐って、たまってしまった力は痛みとして出てくる事が多いんです。気にする事もないストレスであっても、気になってしまう、というのもそうです。

カラダの外に出て行く窓として自分にあったものがあると、動きまでよくなるんですよね。女性がアクセサリーに興味を持って、求め続ける気持ちが少しわかりました。
 
 
 
求めて行くものが自分の興味が向かうものでならいいんです。でも、そこに欲だったり、見栄が入ってくると大変かもしれません。合わないものも、無理して欲しいと思い込んでいると余計にストレスがたまります。

小さい子供はココロのそこから自分の欲しいものを選べますよね。大人になるとそれができなくなってきます。やっぱりお値打ち品の魅力は大きいですから(笑)。自分のセンスを信じていけるようになれればどんなに楽しいんだろう、ワクワクします!
 
 
 
多分オーリング等の判別法と同じ原理なんだと思います。ことさら、不思議がってありがたがる事ではありません。ただ、自分が選んでいる事がアタマから生まれているものであって、カラダには無理をさせているかもしれない、と考える余裕があってもいいかなぁと。
 
 
 
知識がすべて、と考えてしまえば上達を期待する事はありません。それよりもカラダの力、ココロの力を認める事ができればずっと面白くなりますよ。だって、そういう力が誰の中にもあるんですからね。
 
 
 
お知らせです。
11月23日(月・祝)の甲野先生をお招きして行う、名古屋の稽古会は満席となりました。現在はキャンセル待ちで受け付けています。おそらく、数名はキャンセルが出るかと思いますので、もし興味がある方はメールを下さい。

jun@karadalab.com
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