- 意味を追うよりも先に感情をクリアにして行こう!カラダの稽古で行っていた事はそれだったから。なぜ自分は襲われたんだろう?と考えるよりも、ただ、カラダのこわばりを消す事を意識する事で「結果として」救われるんだから。武術だからこその発想かもしれない。
- 捨てようと思うと、怖くなる。でも楽しいものを探していると、いつの間にか手放している。
- それは自分の信じているものを捨てる覚悟と同じこと。
- なにかがすごいのではなく、人間がすごい。
- おはよう!寝ぼけている時の方が、普段考えない事に気付くんだよね。今、ふと、「意味を考えない」という事を思いついた。
- @egginsky 鏡をみていると客観的にいられるんですが、現実的に体に力がかかって痛みになって来るんです。その痛みのような感覚に振り回されると、冷静さはなくなっちゃいますね~。こんな答えでつたわりますでしょうか。
- @egginsky あぁ、そうですね。この前、鏡をみながら鏡の中の自分を動かそう、っていう稽古を考えました。それでも、武術ですから、現実の世界に引き戻されるんですよね、そこが稽古なんだろうと思います。
- @egginsky なんとく、先に体はわかってるのかなぁ、と思ってます。目は口ほどにものをいうように、体は正直だなあ、って(笑)カラダの方が賢い!というのは大きな気づきでしたね。
- カラダの稽古から興味を持ったのがココロです。ココロの稽古からでもきっとカラダに興味が出て来ると思います。両方から探していけばより「自分」に近づけると思います。今度はもう少し、ココロの構造について話しますね、お休みなさい。
- この毎日の小さなストレスで、自分が気づいた構造や法則の確かさを強めていくと、自信が深まってきます。そして、いざという時、つまり、感情が強くゆれた時に、そのまま振り回されるのではなく、一秒ぐらいで戻って来れるようになれば、楽になりますよ。
- ちなみに僕の最近の心の稽古の定点観測技は「布団上げ下ろし」と「風呂掃除」です(笑)。こんなこと!ってもんでもめんどくさいなぁ、という気持ちが出てきますからね。いかに、これを当たり前としてできるか、色々試しています(笑)
- カラダの稽古でもおんなじです。いきなり刀を前にして、それをどうかわすのか、なんて難題を定点観測の技にしたら、いつも失敗ですよ。そんなの全然楽しくありません(笑)変化がわかり楽しくできるものがいいですね。
- 認識をしても、それをどうにも出来ない!と思えると辛さは倍増するかもしれません。でも、仕方ないですよね、構造や法則がわかんないんですから。でも、敵を見つけるところから始めないと、やっぱりダメですからね。小さな事、ダメージの少ないものから始めましょう。
- 自分が嫌だなって思う事。小さな事でも良いんです。他人には小さな事に見えても、自分にとっては嫌な事なんですから。その毎日の嫌な事、苦手な事を自分がどう感じているのか、まず、「認識」してみましょうね。それが稽古の一歩目です。
- カラダに諦めを強く持ちすぎているのかもしれません。そういう人はココロから入っていきましょう!ココロの方は敏感になってますからね。自分が苦手だと思っている事、嫌だなと思っている事ってありますか?しかも、それが毎日あるなら、ベストです。
- まずは自分にとっての定点観測をできる技を作る事です。カラダに興味がある人は、動きを伴う技でそれをすればいいですね。でも、最近は動く事ってとにかく敬遠されています、残念ですけど。
- そのコントロールを楽しみながらやってしまおう、というのが稽古です。いきなりいろいろな悩みが消えてしまうかもしれません。でも、消えない事も多いです。悩みは消えなくても、そのうちできるようになるんだろうなぁ、という希望が生まれるんですね。構造、法則がわかるからです。
- 心の稽古、感情のコントロールから考えてみれば、私たちの生活全部に関係しているのはよりわかると思います。あらゆる事は感情と関係しています。仕事、学校、人間関係、子育て、おかね、夢や希望、全部自分の感情のゆれで楽しくもなれば辛くもなります。
- 身体操法はなにか一つに使うものではなく、身体を通しての感情のコントロールみたいなものですから、なんにでも使えます。だからこそ、介護やスポーツ、それもジャンルを問わずに興味を持ってもらえるのです。音楽や子育て、健康にまで、ひろがっていますからね。
- 構造というのは法則と言ってもいいかと思います。宇宙の構造、法則です。かっこよくなってきました(笑)言葉ひとつでイメージって変わります。自分の心に対しても色々試して見てください。ネガティブに思える事も強みにも変える事が出来るかもしれません。
- 気づく事が出来たらあとはそれを捨てる練習をします。それが稽古です。わかった!といっても心配が消えなければ身体の時とおんなじで捨て切れていない、という事ですね。でも、なかなか捨てきれないとおもいます。だからこそ、捨ててもいい、と思える「構造」が必要なんです。
- 安心だからこそ力が抜ける訳です。心もおんなじなんです。自分の感情が揺れたときにはそこに、力みのようなものがあります。自分の心がネガティブなのかポジティブなのかに気づくチャンスなんです。
- 抑えられているストレスに対して、大丈夫だ、という事がわかると、力みは自然に取れてきます。逆にいえば、わかった!といっても身体が力みっぱなしであれば、わかっていない、という事です。
- 力んでいるというのは、そこに力まなければいけない不安があるからなんです。その力みに対して、どうするか、そこに注目して稽古して行ってください。
- 複雑な事をするんではなく、とにかく観察です。自分の身体はどうなっているのか。わかりやすいのは方向です。自分の身体が力んでいるのか、力が抜けているのかという方向です。
- 人前で話す事が仕事になりなれてきたか、といえば全然です。相変わらず、ドキドキして、赤面もします。でも、そこに構造があることがわかったので、戻って来れるようになったんですね。だから、誰でもできるようになる、というのを信じているんです。大丈夫ですよ。
- 人前で話すという事もそう。人の前に立つともう、顔が真っ赤になってしまって、考えていた事は全部飛んじゃていたんです。でも、赤面して心がグラグラ揺れたときには身体もコントロールを失います。カラダの運転の仕方を知って、稽古していたらいつのまにか「講師」が仕事になってました(笑)
- 心の構造に気づいたのは最近ですが、気がつかない間に僕の中には大きな変化がたくさん生まれていました。カラダを通してでも、感情のコントロールも身についていたんでね。どっちからでも良いんです。生きていく事に楽しさを感じられるようになれば。
- 心でいえば、それまで感情を動かされていた事に対して、「普通に」対応できるようになっていれば、それは進化ですよね。そんな進化が毎日起こる訳です。できない、と思い我慢する必要はありません。なかなかみんなすごい自分を持ってるんですから。
- この時、役にたっているのが定点観測出来る技があるかどうかです。手を上げる技が僕の定点観測の技です。それまでできなかった条件でもできるようになっていたら、それは確かになにかある、という事がわかる訳です。
- 伝えたいのは答えではないんです。これは身体操法の稽古とおんなじです。常に自分の感覚を進化させ続ける事。つまり、構造という理解を深め続ける事です。たった一ヶ月でも言葉の上ではまるっきり反対になっている事もあります(笑)でも、それはより深い理解ができるようになったという事なんですね。
- 僕はこれまで感情に振り回されて生きてきました。でも、身体が動くようになるにつれて、感情面でも落ち着いてきたのを実感しています。これまでカラダを通して伝える事を主としてきましたが、感情の構造ならネットを通じても伝えられるかな?と思うようになりました。
- ですから、定点観測出来るものがあるとわかりやすいんです。目的は構造に気づく事なんですから。もちろん構造なんか知らなくったって、結果を出せる人はいます。そういう人を天才と言います。うらやましいですね(笑)
- これ、心でも一緒だと思いませんか?つい自分にとってストレスな事に出会ってしまうとネガティブな感情に振り回されて冷静さを失ってしまいます。そのときの感情にまず「認識」しよう、というのがココロの稽古です。まぁ、その感情が動いた時には身体も必ず力んでますから、やっぱり一緒の事なんです。
- カラダから稽古から学んだことはまず、認める、という事です。具体的には力んでいるカラダに気づくという事です。普通はビックリしちゃうんですね、自分の対応出来る以上の力に攻撃をされると。でも、目的を「認識」にすると自分の力みに気づく事が出来ます。
- 構造や仕組みが分かってくると、安心が生まれるみたいです。今できなくても、そのうち出来そうだなぁ、って。自分の可能性を感じるんですね。どうやら心にも構造や仕組みがあるみたいです。勘定のコントロールといったらいいでしょうか。それを伝えていけたらなぁ、と考え始めています。
- これまで身体操法の講座や稽古を通してカラダから自分に向き合う方法があるよ、と伝えてきました。方法ではなく、自分という存在の構造、仕組みを伝えてきました。
- 心と身体は一つのものですから、身体で自然体が表現できれば、心にも平安、安らぎが生まれているはずです。むしろ、知識だけで自然体だと言い張っても、心がグラグラ不安に揺れていたらそれはニセモノですよね。
- 敏感で繊細でしかも鈍感。この状態を表現出来るようになると、どんな情況でも自由に身体を動かす事が出来るようになります。抑えられた事でビックリしてしまえば、なにも出来ませんからね。どんなに抑えられても、平気、それを昔の人は「自然体」と言ったんでしょうね。
- ココロが揺れる、つまり感情です。ココロが揺れない、というのは鈍いという状態ではなく、敏感に、でもそれに揺らされない、つまり鈍感な状態を求めています。矛盾してますよね(笑)でも、身体操法の稽古ではそれをしているんです。
- 僕はそれを家族や職場の人間関係、もしくはお金のような毎日向き合わなくてはいけない「存在」のような気がしています。そのココロの揺れをよく観察して、ココロが揺れずにすむようなココロの使い方を身につけてください。
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