金曜日のアクテノン。音大にかようEちゃんが朝の忙しい時間を割いてきてくれる。
彼女はとても聞き上手で、こちらが話す事全部丸ごと受け入れてくれる。最近彼女もカラダを意識してピアノに向かう事ができるようになったというし、今までよりも多くの感情を表現できるようになってきたような気が・・・ということ。
運動とピアノ、畑違いなように見えても、彼女の変化は納得できる。だってカラダが分かってくるとは自分がわかってくるのとおんなじことだから。もっともっとまだ自分の中に隠れている知らない自分に驚いてください。
そういえば彼女のピアノの先生がこういっていたそうな。
「あなたが弾くんじゃなくて、ピアノが歌うように・・・」
と。素敵な言葉です。さすがピアノの世界、長い年月多くの人たちが研究・研鑚を重ねてきただけあります。それはすごく大切な事でしょう。
似たような事は昔から色々と考えてきました。例えば目の前にある「コップ」。これを持ち上げたときに、自分が上げるのか、コップが持ち上がる動きに自分が引かれていくのか。
もちろんコップは勝手には動きません。だからこれはおバカな話だ!・・・と一蹴しないでください。自分の中の気持ち、意識は少しずつかえる事ができるんです。
また、それを認めることができたとしても、実行に移して確信をもつのは難しいかもしれません。なかなか「できる自分」は認めたくないからね。
最近セノウエ君がいい言葉をいっていた。僕の近頃のお気に入りだ。
「できるにレベルがあるとは知らなかった。」
最初彼が入会したとき柾目返ができればやめてもいいと思ったそうだ。この時の彼の頭の中は「できるかできないか」「○か×」なわけです。実際稽古してみると柾目返しを「あぁこれかぁ」とできるようになるのはそれほど難しくない。
だからやぁめた、となるかといえばそうじゃない。今できた事に飽きてくるのだ、自分が。もっともっと奥の世界が知りたくなる。結果としてどんどんと動きが変わってくる。決して○×ではないのだ。もちろんはるかにできる人がいれば、今私たちの稽古していることなど、「×」といいたくなるだろう。でも大事なのは自分で掘り下げる事だからどんどんと稽古していこう、自分に正直に。
コップの話に戻ればコップが上がっていく感覚にもレベルがあるのだ。そんなわけが無いと一蹴する前にその動きのレベル1を考えてみようよ。「何かをする」「しようとする」動きの中に意識があるんです。
ついつい稽古していると自分の動き方に集中してしまうけれど、自分の気持ちをもっと自由にする必要もありますね。
何気ない彼女の一言だったけど、思いのほか大きなヒントになりました。
そういえばアクテノンの世話人をしてくれているイトウ君。彼も自分の気持ちを自由に使う名人。得意なのは「絵」なのだが、そのアイデアを出すためにいろいろな事を工夫している。昨日も見せてもらったが、なんだか魔法、まじないのよう。でもそれはれっきとした技術だそうで、NHKで見た、と言っていた(笑)。
つまり彼もまた自分ができない、そんな事あるわけない、と思わずに自分で試してみたのだろう。そして気づいた、なにかあると。教えてもらうよりも刺激的だと思う、気づくのは。
この話を深夜稽古の時に話すと「筆道法」やら「おふでがき」やらと話がすすむ。さすが・・・。