先週末の道場の子供たちとの遠征から、怒涛の一週間が過ぎました。帰省ラッシュに巻き込まれながらの大会参加は大変でしたが、引率してくれた先生、父兄の力に改めて感謝したい気持ちでいっぱいです。
帰省ラッシュも大変でしたが、何より気になるのが連日の猛暑。先日岐阜では「40.9℃」の信じられない気温が観測されたそうです。このお盆休みに妻の実家へと帰省したのですが、いつもは夏でもクーラーのいらない気持ちのいい山の中なのに、名古屋に負けず劣らずの暑さが・・・。名古屋よりもまし、と言い聞かせつつ山の中で充電してかえってきました。
久しぶりに自分を見つめる時間を、すごす事が出来て、今までの事、これからの事、自分の事、世の中の事、色々と考える時間となりました。
特に木々に囲まれた冷たい川の中で空を見上げながら、プカプカと流されていると町の中にいたときよりも大きな事を考えてしまいます。師匠の甲野先生が言われていた人間にとっての自然とはなにか、ずっと考えていたつもりでも今回ほど切実にそれを意識した事はありませんでした。
とにかく矛盾をはらんでいる世の中でどう生きていけば良いのか。見方によってその考えはコインの表裏のように立場が変わってきます。自分以外の情報が氾濫をして、その周りによって自分が形作られているような生き方はしたくないなぁと・・・。
大きい事、小さい事、色々な決断を日々しているけれどもその一つ一つに自信が持てたら、生きるという意味も見えてくるのではないかと考えてきた。おそらくこれは先週のアクテノンでの気づきからきているのだと思う。あれからずっと自分の中の無意識の大きさに気づき、それを意識の中でどうにか活かすことができないかと考えている。例えば足を一歩出すのにも無意識ではそれを上手にこなしていたとしても、いざそれを意識するととたんに動きが小さくなってしまう。
この時自分がドコに足をだせば一番納得がいくのか、考えるのではなく、感じるように頭の中で検索をかけると見えてくる線があります。そこに足を置いてみると、なるほど、ここしかないなという気持ちになる。ぼんやりとしか手がかりがつかめないし、一人稽古でそれを確認するにはまだまだ力不足でなんともいえないけれども、今までのように「頭」で考えて工夫するだけでは見えてこないものが見そうな気がします。
もう少し頭を整理してまとめて行きたいと思いますので、次回、26日の定例稽古会にはまとめれるように急ぎます。
それにしても川から上がった後、改めて日差しを浴びると地球という親から叱られているような気持ちにさせれました。自分に何が出来るのか、一人一人が真剣に向き合う事が必要なんでしょうね、たぶん。
ラブリーボーダー
月号で加藤夏希ちゃん着用
これまで住民ら
「同性愛」は