コミュニケーションについて

 身体を通して自分を見ていくと、思いもよらなかったところにも影響が出てきます。その1つが『コミュニケーション』。もともと私は人の前に立つのが苦手、当然話すのも苦手、コンプレックスがありました。

 その私が今、大勢の人の前に立ち、話し、動き方、生き方を伝えています。自分の中で何かが変わったのは確かです。その『なにか』が分かれば同じように困っている人の助けになるのでは、と思いこれを書いています。
 
  最近では『空気が読めない』事が流行語にも選ばれるほど問題になっています。本当に空気が読めないのでしょうか。私はちょっと違うと思っています。場の空気、雰囲気と言うのは確かにあって、ほとんどの方は感じていると思うのですね。
 
  問題はその空気に自分が負けてしまっているのではないか、と思っています。『会議』を例にあげて考えてみましょう。最近では会議自体をうまく廻す方法もいくつか出ていますが、ほとんどの場合は出口が見えないか、答えありきの『報告会』になっている事が多いのではないでしょうか。
 
  それこそ『空気の重い』席では手を上げて発言するのも勇気が要りますよね。いろいろな事が頭を巡り、自分が言わなくてもいいや・・・と答えを出した経験ありませんか?私はあります、しょっちゅうです。その度に反省をしますが、なかなか『空気の壁』は破れません。本当に重いんです・・・。
 
  つまり自分の心が作った怖れで身体が動かなくなってしまったのです。一度動かなくなってしまえば、普段どおりにはとても行きませんよね。そしてその動かなくなった自分を当たり前だと思ってしまうからこそ、どんどんと自分を尊敬できなくなってしまうと考えています。
 
  自分の事を尊敬できなければ、人に対して優しくなれるはずがありません。相手の嫌なところが目に付いたり、自分が少しでも不利にならないように無意識に守ってしまいます。どんな自分であってもそれを認めて、次の一歩を踏み出す力に変えることが出来ればいいなぁと思っています。
 
  そのためには小さなところから『練習』しなくてはいけないのですが、その練習こそ自分を丁寧に見つづける『武術』の稽古が最適なようです。身体が動くようになり、出来ない時にも冷静に自分を見つめれるようになると、全てが自分の気づきのために繋がっているような気になります。
 
  自分自身の残っている可能性を身体で感じれるようになったからこそ、ココロに余裕が生まれたのかな。『自信を持って』とはよく聞かれる言葉ですが、自然に自信は生まれてくるものでしょう。ココロの問題ですから、形としてあらわす事は出来ません。ただ自分の中で大きな変化があったのは事実です。
 
  自分とはなんだろう、自信を持ちたい、そんな事を求めているなら、少しは力になれるかもしれません。試してみてください。

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コメント

  1. 可奈 より:

    こんにちは(URL変わってます・・)
    KYと、若い子の間で略されるくらいですね。
    もっぱらKYといわれるのは、空気読めないより「期待された反応を返せない」でしょうけど・・。
    自信は持てるようにがんばるもの、こころがけるものではなくて、
    自然とわいてくるもの、というのを私もひしひし感じています。

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