精神世界、宇宙の法則

【心を軽くするために】ワクワクの力

なにかをしたいと思ったとき、どうすれば良いんでしょうか?
この問いに対して、その瞬間ワクワクできる事をしなさい、と多くの人が答えています。
さて、この「ワクワク」とはなんでしょうね?
 
たくさんの教えに「ワクワク」とか「情熱」とありますが、それがなんだかわからない、という悩みも多いと思います。
 
ワクワクや情熱って頭で考えても答えはいつまでたっても出てきません。私もずいぶんと考えましたが、さっぱりです。考えれば考えるほど、出来ない理由のほうが浮かんできます。
 
この問題を武術にそのまま投げ返してみました。
相手に攻撃をされている状態で、なにをすればいいのか?
答えはやっぱり「ワクワク」と「情熱」です。
怖れや不安は身体と心を緊張させますから。
でも、なにが「ワクワク」なのか?
 
武術を通して鋭くなった、感覚があります。身体の感覚です。
自分の身体が動くことで得られる気持ちの良い感覚。これは攻撃をされているときにでも変わりません。
 
もしかしたら、この気持ちよさが「ワクワク」かもしれない・・・。
そう考えてみると目の前が明るくなりました。
たくさんの知っている知識、それを生かすのはどうも、この私達の持っている、身体のようです。

【心を軽くするために】忘れている自分を思い出す動き

さて、自分は誰だろう?

そう問いかけても、答えてはくれない。

でも、生きていく過程で自然と作られるセルフイメージがあるはずだ。

 

結果として残るものを通して自分を見ることもできるし、動きを通して、感性を通して感じることもある。今日は感性の話。

 

本来の人間は全て、自由だ、といわれたりする。

確かに数百年前の身分制度のカチッとした時代に比べれば、今この現代はものすごく自由な気がする。住む自由、言葉にする自由、移動する自由。

でも、自由とはこんなものなんだろうか?

 

一つの動きがある。

腕をつかまれて、さぁ、どうする?という設定。

この時、肘から先をつかまれると、逃げようとした瞬間、相手に見つかり、ぎゅっと抵抗されてしまう。つまり、ひょいと持たれてしまうだけで、私たちの自由はすぐになくなってしまう。言葉でどれだけ自由を口にしても、身体は不自由を感じているのかもしれない。

 

少し設定を変えよう。

腕は腕でも、上腕、肘から上だ。

これは両手で抑えられてもいい。

この時、さぁ、逃げようと考え動き出すと、なんの苦労もなく、動き回ることが「できる」。つまり、相手がいようがいまいが関係ないのだ。

この動きを見つけ、感じたことは、自分はこれまでも、これからもずっと、自由な存在だったのだ・・・という事。

もちろん、これで終わりとはちょっとも考えていない。きっと、またすぐ、新しい気づきに出会えるはず。でも、ただ、ちょっとした気づきで「忘れていた自分」と言えるほど、自由を身体で感じられるってものすごい事だと思う。

 

誰の中にもある自由感。それを伝えられる自信が生まれた。明日はこれをやる!

【心を軽くするために】星は回っている

私達が住んでいる地球、あまりにも当たり前すぎて、考える事もない。
それでいて、この地球についてたくさんの事を知るようになった。
地球が丸い、と言い出したのはいつだろう?
そして、それを「普通の人」が疑わなくなったのはいつだろう?
 
子供の頃から、図鑑があり、テレビがあった。そこには丸い地球が映っていた。
インターネットを通してほぼ、リアルタイムで地球の様子を見る事ができる。
星は回っているのだ。
 
地球は太陽の周りを回る。太陽系の惑星はすべてそう。太陽を中心として回る。
宇宙船地球号といった人がいる。なるほど、大きな乗り物なのか。
 
ただ、今この地球に生きている人の中でどれだけの人が、この地球を乗り物と考えているのだろうか?自分が今いる場所を動いている、と感じている人がどれだけいるんだろうか?理論ではこの地球は動いている。もっと言えば、宇宙自体も膨張を続けているらしいから、太陽系も、銀河系も宇宙自体が乗り物なのかもしれない。
 
でも、止まっている、と思っていないだろうか?
 
そんな事を書いている私も、今いる場所が動いているとは、なかなか思えない。
じっと心を落ち着けて、宇宙に意識を飛ばして、気持ちよくなった一瞬だけ、乗組員の一員になれるような感じだ。
 
武術の稽古で見つけた動きがある。
くるくる回る、というもの。
目の前の「怖い相手」を前にした時、その怖さを忘れるために「回る」のだ。
そんなバカな事を・・・と思うかもしれない。
でも、自分が回ることで、自分の身体と心、そして考えている頭にどんな変化が起きているかみんな知らないらしい。ただ、くるりとまわるだけで、どうしようもないと思っていた状況が好転するのだ。不思議だけど、そういうものなんだと思う。
 
つまり、「動く」という事が全てのもの、人にとても大きな働きを与えてくれる。
地球は動いている。でもその動いているのを実感できない。多分感性がまだそこまでたどり着いていないのだろう。じゃあ、この身体を動かしてみよう、という事。
 
子供達に教えてもらった事がある。
彼らは決して止まったりはしない。くるくる回り続けている。そして、笑顔だ。
今自分が求めているものは小さな彼らが全部持っている気がする。
そして、それは自分が小さな頃には持っていたもの。
それを思い出すために稽古をする。

【心を軽くするために】まぼろし化能力

この世は幻、この世界は私達一人一人が「作っている」ものと言われたりしている。
まさか?と思う人もいるかもしれない。ただ、そういう考え方が「ある」という事だ。それもずっと昔から。
 
ちなみに、私はそれを信じている方。
いくら目の前には「モノ」があろうが、そこにあるのは「幻」と「思いたい」人間だ(笑)
 
さて、本当に目の前のものは幻なんだろうか?
もし、幻にする事が出来れば、目の前の嫌なものは全部、その瞬間に消してしまう事ができるし、目の前の素晴らしいものはもっと素晴らしいものに作り変える事ができるじゃないか!
そういう欲望がしっかりとあるので、どうしてもこの教えを実感したい、そのために稽古している、というのも事実だ、内緒だったけど(笑)
 
武術の「稽古」は目の前に小さなストレスを作るところから始まる。まったく手に負えないレベルではなく、なんとか出来るかもしれないレベルの状況で「試す」のだ。
目の前のものが幻ならば、その状況を嫌だと感じず、普通にふるまえるはず。
「まぼろし化」能力を養っているといえるかもしれない。
 
そのまぼろし化するのに必要なのは身体がどうその瞬間情報を受け取っているかを知る事だ。嫌なものと思えてしまう情報をたくさん手にすれば、どうしても目の前の事は嫌なものになってしまう。
でも、嫌なものだけではなく、そこから逃げ出せる光のようなものを見つける事ができる。
 
この身体は動かすためにも使えるけれども、もう一つ、この身体は情報を得るためにもつかっているのだ。

 

この身体がなければ私達の脳は外の世界を見る事ができない。

 

外の世界を脳に身体が教えているのであれば、身体を使って、明るいものを探せばいい。希望の光はちょっと見つかりにくいようにできている。特に、嫌なものと向き合っているときには。だからこそ、センサーを鋭敏にしておかなくてはいけないのだ。

身体を通して自分が世界をどう見ているかを知る事ができれば、ちょっと「まぼろし化」能力を信じてみたくなるかもしれないな。

【心を軽くするために】苦手克服法

苦手なものって誰でももっているかと思う。
でも苦手なものに出会ったときの対処法を我慢するとか、力任せに頑張る、というぐらいしか知らないみたいだ。
ずっと昔、便利ではなかった時代では、自分が嫌だと思っている苦手な事に対して無意識に乗り越える術をもっていたんだじゃないかな?と思う。でも、誰か(機械も含めて)が問題を解決してくれるようになって、工夫をすることがなくなってしまった。
 
悩みは時間が解決してくれる。
ポジティブシンキングで解決、悲観的な事を考えてはいけない。
って事は分かっていても、「つい」自分には出来ないんじゃないかと、悩み始める。
言葉はポジティブ、身体はネガティブ状態ですね。
 
心からありがとうというためにはどんな事をすればいいのか?
一つは1万回、3万回、10万回。心から言えるようになるまで、「繰り返す」。
ただ、これはなかなか難しい(笑)
自分がどれだけ出来ているかわからないし。
 
そこで、身体を使ってみる。
深呼吸やストレッチで身体を緩めてみるのは効果がある。
でも、実はもっと素早く効果を出す方法もあるのだ。その分、身体の負担も大きいけど。
 
悩みや問題はストレスだ。
このストレスを手放す時に、明るさから手放す方法が深呼吸やストレッチ。
でも、それには時間がかかる。
その瞬間、目の前の状況を「嫌」だと思ったからこそ、嫌な心が生まれている。
これを手放すって事は違う自分へと変身しろって事になる。
そのための努力が10万回なのだ。
 
ストレスについて考えていると、面白い事がわかる。
二つのものを同時にストレスとは考えにくいのだ。
目の前の嫌な事、これはストレス。ではそれを消す方法はそれ以上のストレスを「作って」しまえば良い。その大きなストレスの事を考えていると、実は目の前のストレスは大したことがなかった事に気づくかもしれない。
 
これは心掛けだけではなくって、「具体的な」身体の使い方がある。
ぎゅっと拳を握ってみるのだ。これは痛ければ痛いほど良い。
私達の身体は不思議なもので、人からいじめられると、すぐに痛い、と言ってしまうのに、自分で自分の身体をぎゅっといじめると、その圧力に対して、ちゃんと身を固めて対応してくれる。
 
そう、自分の身体は自分の頭が思っている以上に「強い」のだ。
でも、こういう仕草は無意識のうちにみんなしていると思うよ。