ツイッター(140文字)で語るには足らない事をブログで補足しながら、報告していこうと思いました。武術の稽古から「気づき」を伝える方法はなかなかうまく、伝えられません。
でも、まさに、それこそ「感覚」なのかもしれません。言葉では足らないものも、全体をリラックスして受け入れられたとき、結果として、感じられるものがあるかもしれません。
では、【リアルタイム】の初報告です。
先週の金曜日に見つけた「共同作業」、これまでの技への見方がくるりと変わってしまいました。なにかを「しよう」と考えたとき、つい、「自分に出来ること」を考えます。そして、その「自分にできること」がそのまま出来れば良いんですが、実際にはそれがかなわない時があります。
そのかなわなかった時につい、「頑張ってしまう」わけです。頑張ってしまえば、やはり、相手との間に摩擦が生まれます。この摩擦が抵抗として、やっかいな存在になりますが、この抵抗は仕方の無いものだと思っていたんです。
実はそれが自分が作り出したものだった・・・、としたらどうでしょう。
目の前の状況をそのままではどうしようもない、と考えていたんですね、無意識に。なぜなら、そういう生活を送ってきたからです。目の前の人やもモノは自分とは違うものだから、いう事を聞かない・・・と。
いやいや、あぶない、もう少しで自分以外は敵~と思い込んだまま生きていくところでした(笑)。
相手の事をただの敵と考えるのではなく・・・とは武術の中ではよく言われますが、まさか、こんな形で現れてくるとはびっくりです。
この感覚をつかむには武術としてではなく、「古武術介護」で試してみる方がわかりやすいかもしれません。
一方が座り、もう一方が後ろから抱え上げる状況を考えます。
そのままでは「立ち上がりにくい」わけです。
この時、立ち上がれないから、後ろの人があげる、と考え、これまで様々な工夫をしてきました。
そして、その工夫が良かったんです。
なにかが出来ているうちには新しい工夫は生まれません。
武術と介護、そこに共通するのはもっと、働きのある動きはないか?と探せるところです。
この時、そのままでは前の人は立ち上がれないのですが、だからといって、立ち上がろうとする意欲を失わなくてもいいはずです。僅かでも自ら立ち上がろう、とする動きを後ろの人が「サポート」をすると・・・これがもう、気持ちよく、ふわりと立ち上がらせる事ができるんです。
武術であれば、相手を引き崩そうと考えると、相手はそれに対して抵抗します。つまり、引き返すわけです。
その相手が引き返してくる動きに対して、抵抗してしまうとそこに、ケンカが生まれます。
でも、引き返すのではなく、引きたいのなら、それを認め、その相手のバランスの精度を高めるように(一応、今は浮かせるように気をつけています。)すると、相手の中に動きが生まれてきます。
この時、なぜ、相手が抵抗できないのかがよく分からず、面白いのですが、相手の中に生まれている「引きたい」という気持ちと、こちらがそれを「応援する」という気持ちが合うと、動きが加速されていくようです。予想外に軽く引けるという動きを逆にもらうと、結果として、相手が前へと進んでくるから、技となります。
ややこしいですね。
もう、ほんとに、論より証拠。
体験させてあげたいです(笑)。
あぁ、そういえば、電車の中で指一本でもどこかに触れて、身体を支えられると、足だけでバランスをとっているときよりも楽になりますよね。あれと似ているような気がしています。
発見から研究、この作業が抜群に幸せなんです。
なぜなら、そこに自分を感じられるからです。