大人の武道塾

イベント告知♪

イベント告知です。

まず甲野善紀先生の講座きまりました。来月6月16日(土)です。

詳しくはカラダラボのページで。

多分夏の間はありません。なぜなら暑すぎるから^^汗で刀もすっぽ抜けそうなほどの環境なのです。

もうひとつ。今度の日曜日は月一稽古会。

まだ受け付けていますの、これもカラダラボのサイトで詳細をみてください。

今回のテーマは「アレとコレ」にしようかと思っています。

以前紹介した「ピアノが歌う」。自分と他人。アレとコレ。

意識の持ち方一つでこれほど動きが変わるとは。自分の動きを見つめて動きを変えていく、その動き出したカラダを意識せずに使うためにジブンが上手に動くのではなく、相手が動いていると考えてみる。・・・これが気持ち良いのです。意識が抜けるような感じ?

とにかく自由な稽古ですから、疑問があればなんでも聞いてください。

http://blog.with2.net/link.php?460156

カラダラボ

「入~れ~て~♪」

子供たちが遊びの輪に入るときに使う魔法の言葉だ。

あの一言でどんな輪にも入れるのだからすごい。

でも中学生ぐらいになると恥ずかしくなるようで・・・

大人になるとコミュニケーション自体が苦手という場合も・・・

今の大人にこそこういう「型」が必要なのかもしれないね。

http://blog.with2.net/link.php?460156

カラダラボ

歌うピアノ♪

金曜日のアクテノン。音大にかようEちゃんが朝の忙しい時間を割いてきてくれる。

彼女はとても聞き上手で、こちらが話す事全部丸ごと受け入れてくれる。最近彼女もカラダを意識してピアノに向かう事ができるようになったというし、今までよりも多くの感情を表現できるようになってきたような気が・・・ということ。

運動とピアノ、畑違いなように見えても、彼女の変化は納得できる。だってカラダが分かってくるとは自分がわかってくるのとおんなじことだから。もっともっとまだ自分の中に隠れている知らない自分に驚いてください。

そういえば彼女のピアノの先生がこういっていたそうな。

「あなたが弾くんじゃなくて、ピアノが歌うように・・・」

と。素敵な言葉です。さすがピアノの世界、長い年月多くの人たちが研究・研鑚を重ねてきただけあります。それはすごく大切な事でしょう。

似たような事は昔から色々と考えてきました。例えば目の前にある「コップ」。これを持ち上げたときに、自分が上げるのか、コップが持ち上がる動きに自分が引かれていくのか。

もちろんコップは勝手には動きません。だからこれはおバカな話だ!・・・と一蹴しないでください。自分の中の気持ち、意識は少しずつかえる事ができるんです。

また、それを認めることができたとしても、実行に移して確信をもつのは難しいかもしれません。なかなか「できる自分」は認めたくないからね。

最近セノウエ君がいい言葉をいっていた。僕の近頃のお気に入りだ。

「できるにレベルがあるとは知らなかった。」

最初彼が入会したとき柾目返ができればやめてもいいと思ったそうだ。この時の彼の頭の中は「できるかできないか」「○か×」なわけです。実際稽古してみると柾目返しを「あぁこれかぁ」とできるようになるのはそれほど難しくない。

だからやぁめた、となるかといえばそうじゃない。今できた事に飽きてくるのだ、自分が。もっともっと奥の世界が知りたくなる。結果としてどんどんと動きが変わってくる。決して○×ではないのだ。もちろんはるかにできる人がいれば、今私たちの稽古していることなど、「×」といいたくなるだろう。でも大事なのは自分で掘り下げる事だからどんどんと稽古していこう、自分に正直に。

コップの話に戻ればコップが上がっていく感覚にもレベルがあるのだ。そんなわけが無いと一蹴する前にその動きのレベル1を考えてみようよ。「何かをする」「しようとする」動きの中に意識があるんです。

ついつい稽古していると自分の動き方に集中してしまうけれど、自分の気持ちをもっと自由にする必要もありますね。

何気ない彼女の一言だったけど、思いのほか大きなヒントになりました。

そういえばアクテノンの世話人をしてくれているイトウ君。彼も自分の気持ちを自由に使う名人。得意なのは「絵」なのだが、そのアイデアを出すためにいろいろな事を工夫している。昨日も見せてもらったが、なんだか魔法、まじないのよう。でもそれはれっきとした技術だそうで、NHKで見た、と言っていた(笑)。

つまり彼もまた自分ができない、そんな事あるわけない、と思わずに自分で試してみたのだろう。そして気づいた、なにかあると。教えてもらうよりも刺激的だと思う、気づくのは。

この話を深夜稽古の時に話すと「筆道法」やら「おふでがき」やらと話がすすむ。さすが・・・。

http://blog.with2.net/link.php?460156

カラダラボ

伝える事のむつかしさ

この1ヶ月、とにかくどう表現すれば、どんな言葉をつかえば「カラダの感覚」が伝わるのか、という事を考えてきました。

未だにぴったりとくるフレーズは見つからないし、これまで作ってきたホームページや講座の案内も見直してみると、「ガクッ」ときます^^;

そんなときに頼りになるのが、これまで自分が経験してきたカラダを通しての学びそのものです。

自分に足らないところに居着いてしまって不安な気持ちになるというのは、動きで言えばできない自分を認めてしまうことになるのと同じなんですね。

できたときには「結果として」。その「できた」というのは必然性が感じられるわけです。そんな経験を何度もしていくと、今はできない技でも何とかなるに違いない!という強い自信が生まれてきます。

自分にとって苦手な分野であっても、ココロとカラダは同じ自分です。不安な気持ちが取れないなら、カラダを使ってとってやる!そんな気持ちです。

http://blog.with2.net/link.php?460156

カラダラボ

193

気にしない、気にしない♪

某有名マンガで小坊主さんがいってました。

とはいえそれを実際に行動に起こす事は難しい。人間は感情の動物と言われるほどに思考よりも先に感情がゆれる。

もちろんそれはいい面もあるけれど、多くは不安や恐れなど自分のこれからに対してのマイナスな気持ちだろう。

こういったことを気にするなといえるのは、当事者ではやはり難しい。ただ難しいといってしまってほったらかしにするのも気に入らないな。

というわけでカラダの稽古をつかってそれを克服すべく練習なのだ。

昨日道場でふと杖が目に付いた。杖といえばこれを腹に押し付けてなんともないぞ~♪とは時々見るデモンストレーション。

なんとなくそれができそうだと思って高校生にお手伝いをしてもらいながら早速実験開始。

やはり怖い。とくに先端の腹に食い込んでくる感触はそれほど痛さは無くても想像してしまう。意識が痛みにとらわれないように、カラダを整えながら相手に向かって歩いていきます。

やはり今日は調子よかったのでしょう。今までに無い強さがカラダに感じられてきました。やり終えてみると、こんなもんだったか、という感じです。

まぁ雑技団では槍でやってるからなぁ、刃のついた。できないほうがおかしいか^^

http://blog.with2.net/link.php?460156

カラダラボ