心と体

目標はかなわない・・・

 先日ショッキングな事を聞きました。
 
 「目標はかなわない・・・」
 
 そんなまさか!
 それがまず思ったことです。
 
 でも聞いていくうちに・・・
 なるほど、確かに目標は達成しないのかもしれない、
 そう思うようになっていました。
 
 ちょっと面白かったので紹介します。
 
 目標と手段というお話です。
 
 まず目標・目的はかなわない、という事。
 目標・目的ってなんでしょうね。
 
 カラダラボで言えば、
 「古武術的身体操法を身につけたい」
 ってところでしょうか。
 
 ではその目標達成のために必要な事は?
 
 知識を入れたり、稽古をして身体で覚えたりですね。
 これが手段です。
 
 この手段と目標の関係のままでは
 目標を達成するのが難しいというのです。
 
 子供の例を考えてみましょう。
 最近うちの子は「PSP」というゲーム機が欲しいといっています。
 これ目標です。
 そのための手段として、
 「欲しい」と口に出して言ってきました。
 
 はたしてこの目標は叶えられるのか?
 もちろん答えは「NO」です^^
 そんなに甘くはありません。
 
 さて子供の頃はどうだったか・・・?
 欲しいものができた時にたくさんの「言い訳」があったような記憶が。
 
 当時出たばかりのパソコン。
 「欲しい」というだけでは当然買ってもらえず、
 パソコンを買えばあれができて、これができて、自分もこうなるし、
 すごく役に立つ、ただ遊ぶだけではなく、○○のためには必要なんだと・・・
 無茶な言い訳を考えては言っていました。
 
 実はこれ、目標が手段になっている状態だそうです。
 単純に「欲しい」に対して、
 それを使って何ができるかを持つ事というのは
 一つ「目標」が上がりました。「視点」が上がっています。
 そう考えると欲しいものを手に入れる、というのは「手段」になりますね。
 「手段」というのは当たり前の状態ですから
 結果として叶えられるというわけだそうです。
 
 では「古武術的身体操法を身につける」という目標を手段にするには?
 
 古武術的身体操法でなにがしたいの?どうしたいの?
 という事ですね。
 本当につらい介護を楽にしたい、ココロとカラダの調和を感じたい、
 あと10キロ速い球を投げたい・・・なんでもいいんです。
 自分にとってまた大きな目標を作れば自然とそれは当たり前になります。
 
 考えてみると私自身もそうでした。
 最初は「古武術的身体操法を身につけたい」しかありませんでした。
 もちろんなにもできません。
 上達している実感もありませんでした。
 
 ただ気がついたら自分が古武術的身体操法の凄さ(甲野先生の凄さですが・・・)
 を「伝えたい」と思っていたんです。
 身につけるという目標から、伝えたい、という目標に変わっていました。
 つまり身につける事は伝えるためにはいちばん簡単な手段になっていました。
 
 なるほど・・・そうだったかぁ^^
 
 すいません、ちょっと長くなってしまいました。
 

迷わなくてもいい

 実は木曜日に大きな気づきがありました。
 でもそれは新しい動きが見つかった・・・というのではありません。
 動きはこれまでとなんにも変わっていないにも関わらず、
 これまでよりも断然速いようなのです。
 
 その気づきとは簡単に言うと「迷わなくてもいい」というもの。
 全然分かりませんね^^
 
 経験を積み重ねていくと一つの問題に対して「複数」の答えが頭に浮かんでしまいます。
 それだけ選択肢がある、という事なのですが、
 どれを選択するのか、迷ってしまうとその事自体が問題になってしまいます。
 でも経験から来た迷いですから、なかなかこれは取れません。
 
 複雑な事例でなくても迷いは出てきます。
 例えば最近の一番の発見である、手首の流れ。
 無意識に手首で力を止めてしまっている事で動きが滞っているのを
 指先にまで流していけばいい、と分かりました。
 
 この感覚をみつけて2週間ほどですが、稽古を重ねていけばいくほど、
 手順のようなコツが「分かって」きます。
 そんな発見が積み重なっていくと、感覚を一番に動いていきたくても
 どうしても自分が上手に動く為のチェックポイントを抑えたくなってしまうんですね。
 アタマで分かってしまい、それを求めてしまう、というのは仕方ありません。
 
 この「仕方ない」というのが最初にお話した「迷わなくてもいい」、
 という気づきのきっかけです。
 頭は迷うんです。知識は増えれば増えるほど迷う。
 これがアタマの働き、癖なんだ・・・思えるようになりました。
 
 今までどうしよう・・・と迷っていた自分が気に入らなくて、
 そんな自分を責めてみたりもしましたが、それが「あたりまえ」だとわかった時に、
 じゃあそれを止めればいい、と繋がりました。
 
 身体に聞く、という言葉があります。身体は間違わない、とか・・・。
 考えずにカラダが感じたままで動く、
 アタマで知っていた事が少しだけ感じられそうな気がしています。
 
 武術を通して動きが良くなり、スポーツにも介護にも
 様々な応用が出来る、そうやって考えられている人は多いはずです。
 だからこそ世に広まっているんでしょう。
 
 でもそれ以上に自分とは何だろう・・・という疑問に対して
 自分の中でなにかが感じられる、という大きな喜びがあります。
 
 正しい答えは無いかもしれません。
 でも「今の時点」で自分で納得できる答えは持つことが出来るんですね。
 この答えをもっていると、ただここにいる、というだけでも楽しくなってきます。

 物が溢れ、便利になり、それで幸せになったかというと、
 ちょっとどうかな?と思う人もいるはずです。
 何とか力になりたい、そう思うのですけどなかなか上手く言葉に出来ません。
 ただ、言葉で足らない部分はカラダが補ってくれます。
 講座の中では動きを中心にお話をしていますが、
 いつも心と身体がどう繋がっているんだろう・・・と考えています。
 もし疑問に思うようなことがあれば遠慮なく聞いてくださいね。

和歌山での出張稽古

 和歌山に出張講座に行ってきました。
 お相手は高校の体育の先生ですから
 普段の講座とはちょっと違いました。
 
 子供たちに「元気」を・・・と思っていたところだったので、
 カラダを普段間近に接している方たちとのご縁は貴重です。
 
 それぞれの先生が自分の専門をお持ちのようで、
 ラグビー、野球、サッカー、カヌー、介護・・・等、
 質問も多岐にわたり、熱心さを感じてきました。
 
 それでもどの質問にも困ることが無かったのには
 通常の「コツ」とは違う、「身体操法」だからこそだと実感しました。
 スポーツの動き「だけ」が変わるのではなく、
 「生活そのもの」が変わるからこそ、働きが出るんですね。
 
 技として形で動きを作ってしまうと
 「応用」ができずに技は出来ても生き方までは変わりません。
 技ではなく、自分のカラダのなかにある流れや違和感を
 意識していくと、ただそこにいるだけでも楽しくなります。
 
 単純に生活できていた時代とは違い、
 現代はアタマを高度に働かせなくてはいけなくなってしまっています。
 どんなに世の中が便利になっても
 自分の中に生まれた詰まりを取り除けるのは自分しかいません。
 答えがある安心感ではなく、問いを楽しめる余裕をカラダは教えてくれます。
 
 楽しい時間をありがとうございました。

体温計

 病院での講座で「手首にある流れ」について実演を交えて
 説明をしていると、40代の方から「体温計を振る動き」と同じでは?
 と聞かれた。
 
 あぁ、そうかもしれない。
 
 そういえば子供の頃、体温計の水銀を落とす事は苦手だった気がします。
 そんな時は、「母ちゃん、やってくれ」と。
 母はそれを簡単にやっていました。
 
 今、体温計は「ピッ」で済みますからね・・・。
 
 ちょっと前、身体を使う事が当たり前だった頃には
 「普通」の事が、今こうして「便利」になってきた事で
 失われていっているのではないか・・・そう思います。
 
 目先の「楽」を追いつづける事で、
 本当の楽しみが見えなくなっていく事は果たしてどうなんだろう・・・

ドラクエその2

 経験値のお話でしたね。
 この経験値ですが、楽な相手からは少なく、
 「死にそうな目」にあう相手からはたくさんの経験値がもらえます。
 例えば小さなスライムからは1ポイント。
 強そうなドラゴンや悪魔からは2000ポイント。
 のように色々と設定されています。
 
 レベルを上げる為に「10000ポイント」必要だとすれば、
 スライムを1万匹倒してもレベルは上げられます。
 でもこれは「時間」がかかります。楽しくも無いし。
 死にそうな思いをするからこそたくさん経験がつめる、
 そんな単純なことをゲームでは表してくれています。
 
 ゲームの中では単純でもこれが現実の世界となると
 なかなか難しいんですね。
 ついつい「楽」な方へ行ってしまいますから。
 
 子供たちの練習は常に「楽」です。
 内側から声を出せ、と言ってもすぐに忘れます。
 頑張る、という事が少なくなっているからだと思いますが、
 頑張る事で元気が出てくるのだとすると、
 避けて通るわけには行きません。
 
 自分の経験値をためていかないとレベルを上げるのに「時間」がかかるよ、
 と伝えたところ、「いい顔」をしていました^^
 
 少しは分かってくれた様な気がします。
 
 でもたぶんすぐに忘れてしまうんでしょうけどね(笑)
 「伝える経験値」を「死にそうな思い」で集めていかないと・・・