心と体

古武術に学ぶ身体感覚 その2

身体感覚がキーワードだ、と言いました。身体感覚が自分の人生を作るとも言いました。まずは身体感覚という言葉について考えて見ましょう。

そもそも身体感覚について学ばなくても、私たちは身体感覚の中で生きています。この身体感覚と思考とがうまく合っていれば問題ないのですけど、自分が「考えている事」と自分のカラダが「感じている事」がバラバラになっていくと、頭で考え、求めていけば行くほどズレが大きくなり、結果として辛くなってしまいます。

世の中は結果でその成果を求める傾向にあります。どのジャンルにおいても勝ち負けで判断する事が一つや二つあるはずです。例えば売り上げだったり、利益だったり、シェアだったり・・・結果としてならいいんですが、その一番だけを狙ってしまった時にしわ寄せを喰らうのがやっぱり、人間、私たちですよね。

スポーツ化された武道も同じです。ルールがあって、そのルールにしたがって勝ち負けが決まります。でも、そのルールは私たちの日常生活には当てはまりません。常に私たちは自然を相手に勝負していますからね。常にルールが変わる戦いを強いられているわけです。

そこで、どうしたら幸せを感じ、生きていくことが出来るかを考えていかなくてはなりません。自分なりの指標、ものさしが身体感覚です。自分がとった選択に対してカラダがどう応えてくれているのか、それが身体感覚です。結果として、あるルールの中では負けになっているかもしれません。でも、それが一番幸せである場合もあるのです。

病気の例はわかりやすいかもしれません。頭が痛い、お腹が痛い、とにかく普通の時とは違うとします。そんな時にはなにをやっても楽しくありません。ずっとその状態が続いたとしたらどうですか?もしかしたらそれが死に直結しないものだと思えた時には多少の痛みよりはお金よ!と言われるかも知れません。しかし、それが幸せだとは思えません。

百歩譲って、あなたはそれでよかったとしても、周りの人たちはどうでしょうか?もっとあなたがあなたらしさを発揮して幸せになれるのに・・・と願うはずです。これが頭とカラダのギャップです。

電気の無かった大昔に比べて・・・いや、つい何十年前に比べても、現代ではあらゆるものが手に入るようになりました。冷蔵庫、テレビ、洗濯機、車、エアコン・・・あらゆるものが手に入りました。そして食べ物もです。しかし、昔からみれば天国のような現代が実は一番人が自ら死を選ぶ人が多いという事実をしっていますか?

今、この日本では年間三万人もの方が自ら命を落とすことを選択しているそうです。おかしいですよね。こうなれば幸せだ、と信じて、テクノロジーを進化させ、様々なサービスをつくり、人生を楽しむためのエンターテイメントを作ってきました。それでも、死を選ぶわけです。発展途上の国の人たちのように、栄養が不足して、医療の力が届かないわけではないのです。満たされているように見えても、満たされなかったなにかに絶望をして、死を選んでいるのです。

もしかしたら実際に死を選択をしていなくても、自分の人生に楽しみを見出せない人はもっと多いかもしれません。今、様々なことが問題として取り上げられています。みんなどうしたら幸せになれるかを一生懸命考え、生きています。人によっては新しい物を作ることにがんばっているかもしれません。もっと疲れずに楽に生きるためのサービスを作る人もいます。

私はあなたのそのカラダの中にある可能性を伝える事で、あなたに幸せになってもらいたいと思っています。私がなにかをするわけではありません。あなたが自分で、自分のカラダがもっているすごい身体感覚に気づき、育てていくんです。自分の中にこれまでとは違った見方ができることで、もう、すでに、たくさんの幸せが目の前に溢れている事に気づくかもしれません。

私には無理、そう言われる人も多いです。私もそうでした。でも、あなたは自分の事、特にカラダの感覚のことをどれだけ知っているのでしょうか?少しでも、今の自分とは違った自分になりたいなぁ、と感じられたから、この講座に来られたんですよね。

私にはわかります、あなたのカラダのすごい事が。あなたはすごい、と何度でもいい続けますので、がんばってついてきて下さい。

古武術に学ぶ身体感覚 その1

久しぶりに小冊子作ってみました。
いや、最近サボってたのかな?と反省しました。
何回かに分けてアップします。

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古武術という言葉ですが、実は新しい言葉なんです。私の師匠は武術に古いも新しいもない、と言っています。まぁ、武術を直接の戦いとして必要としていない方たちにはあまり関係ない話です(笑)。問題は古武術を通してなにを身につけることができるかでしょう。

今日は大胆に一言でそれを言ってしまいましょう!私が伝えたい古武術のメリットです。古武術で手に入ること、それは自分の先入観をどんどん幸せな方向へとバージョンアップしていける事です。

その結果、武術のもともとの姿である「戦い」に勝つことが出来るわけです。ただ、最初から、戦いの方法だけを考えてしまうと、自分の生活の中に活用していく事が出来なくなってしまいます。

考えて見てください。野球だけが得意な人が幸せですか?ゲームだけが得意な人が幸せですか?勉強だけが得意な人はどうですか?そして、お金を持っている人が全て幸せでしょうか?

幸せとはなんだろう・・・?私はそれをこの武術を通して考えるようになりました。もともと師匠である甲野善紀先生のもとを訪ねたのは「技」を求めてでした。相手を倒すため、相手を投げるためです。ただ、甲野先生の武術は普通の武術とは違っていました。自分の中の感覚、センスを重要視されていたのです。

私の生まれは昭和の40年代。職人の世界も工業の世界もセンスからマニュアル、機械化が進んでいく時代でした。それこそ、芸術的なもの、デザイン的なものもピシッとしたものが求められていたと思います。

武術・武道の世界もそうでした。写真やビデオなど映像的な部分で伝えられる事が多くなってしまったのか、雑誌やテレビで大勢に一気に伝えられるようになったからなのかはわかりませんが、細かい「感覚」よりも「手順」、「見栄え」にウエイトが置かれていった様な気がします。そして、オリンピックや格闘技ブームで「内容」よりも「勝負」に目が行くようになりました。わかりやすいですからね、勝ち負けは。

その結果、武術・武道が持っていた人間を掘り下げるという力が低くなってしまったのです。もちろん、全てじゃないですよ。一般的な話です。

様々な武道の組織が全国展開をし、大きくなって、身動きがとりにくくなっていたのかもしれません。一匹狼的な甲野先生の取り組み、稽古の仕方が注目を浴びました。最初は武術の技、そしてスポーツや介護への展開に注目が集まりましたが、「人」としての可能性を感じさせてくれる、思想的なものに惹かれる人も多くなってきたようです。

そうなんです、武術は「人間」を感じさせてくれるのです。私たちはロボットでも、機械でもありません。計算だけでは上手く動けません。その計算以外の部分を教えてくれるのが武術。そして、なにを頼りに稽古をすればいいのかといえば「身体感覚」です。

先に先入観を幸せな方へとバージョンアップしていくのが武術、と言い切りました(笑)。その手がかりになるのが身体感覚です。身体感覚という言葉、「身体」と「感覚」、どちらの言葉もなんとなくわかります。しかし、なんとなく、というのがクセモノで、なんとなく済ませてしまうと、なんとなく生きることになってしまって、なんとなく歳をとって、死ぬ直前になって、あれ?これで自分の人生は良かったのかな・・・?そんな事になってしまうかもしれません。

甲野先生に出会う前、私自身は自分の人生について考えた事はありませんでした。なんとなく生きて、なんとなく過ごしていました。自分なんかが人生について考えても仕方ない・・・そんな風にも考えていた気がします。でも、今ならわかります。自分の人生は自分が作っているのです。そして自分の人生が決まるのは身体感覚で決まるのです。

今日の出会いが人生をパワフルに、そしてワクワクするものに変えるきっかけにしたいと思います。

偶然のない世界を体感するには・・・

カラダを通して見えること、それは自分の中の可能性。そしてその可能性は自分だけのものではなく、人間という存在の不思議さ、偉大さだ。

人間が「すごい」というのは当たり前のように聞いてきた。多分、みんなも聞いてきていると思う。誰しもが、宇宙を作った大きな存在の一部であり、その創造の力を私達はみんな与えられてきている。

でも、実際にその「すごい」自分をどれだけの人が実感として得ているのだろう・・・。

あまりにも複雑な世の中を見渡すと、どうしてもちっぽけな自分が見えてくるし、目の前に現れる人全てが輝いて見えるわけではない・・・という思いがどうしても沸いて来る。そんなことはない、人は皆、輝かしい存在なのだ、と言ってもどうしても疑いが消えなかったりする。

それを隠して生活をすることはどうも、自分には出来なかったんだよね。今回見つけた目に映る世界に任せてみようという、シンクロニシティーの気づきは人間はすごい、世界はすごい、というずっと感じてみたかった感覚を教えてくれた。

今、たくさんの人と出会う機会を得て、その人間のすごさを伝えていけるかと思うと本当にワクワクする!簡単に伝わってはいかないだろう、というのも知っている。これまでの僕がそうだったから。でも、いつかきっと、抜群のタイミングで、そのすごさが伝わっていくのも今なら、信じられる。明日、どんなことがあるんだろう・・・楽しみだ!

おやすみなさい。

シンクロニシティーをカラダで感じよう♪

先日、虹をみました。ゲリラ的な雨が通り過ぎ、空が光っているなぁ・・・と思っていたら、道場の子供達が騒ぎ出したんです、虹だ、虹だぁ!と。
あれだけ、はっきりとした虹を見たのは初めて?そう思わせるほど、くっきりとした虹でした。さすが、自然の力は無限大で、摩訶不思議・・・なんて思っていましたが、普通の青空、曇り空も慣れてしまっているからこそ、普通であるんだと、はっと気がつきました。
虹を見た後の子供達はなんだかとっても元気です。子供達だけじゃないか、僕も、父兄のお母さん方もみんなおしゃべりでした。自分にとっての当たり前を当たり前ではなく、奇跡のような出来事として感じられれば、どこからでも力は入ってくるみたいです。
このあたりの考え方はカラダを通してエネルギーを受け取る先月のテーマだった、「チャクラ」のあたりに近いかもしれません^^今度の日曜日に行う稽古のテーマは「シンクロニシティー」です。知っている人は知っているでしょうが、ややこしく、これまた摩訶不思議なテーマかもしれません(笑)
日々、色々な出来事に遭遇し、経験をしているわけですが、ちっちゃな事ってどんどん忘れていくんです。そしてその出来事として意識に上がるものは人それぞれ違っています。「見方」があるんです。同じことでも楽しい、ワクワクする、と思えば前向きになるし、もうだめだ、と思えば、カラダは動かなくなります。
映画を考えてみてください。何の苦労も障害も無く、ただ、進んでいく物語は面白いでしょうか?違いますよね。もうだめだ、と思わせるような出来事もどんでん返しで二転三転していくストーリーに私達はワクワクし、満足感を得ます。
でも自分が主役である、実際の生活の中ではどうしても一つ一つの苦労をワクワクには変えることが出来ません。どうしてでしょうか?主役である、自分、特に、自分のカラダに縛られすぎているからだと分かりました。このカラダに入ってくる痛みや緊張がぎゅっと自分のココロも締め付けちゃうんです。このカラダに任せて、つまり、演じている役者に任せて、自分は監督となり、自分なりの物語をプロデュースしていくんだ、と考えてみると、とっても苦しい、柾目返しの状況も気にすることなく、いや、むしろ、ワクワクしながら、どう成功していくんだろうと楽しめるようになります!
というわけで、今月の稽古のテーマは「シンクロニシティー」です。シンクロニシティーは共時性、意味のある偶然の一致、とも言われます。それを柾目返しで実感をし、自分の生活の中にある、意味のある偶然を見つけ出す力にしよう、というのが目的です。そんな大きな力をたった4時間の稽古で身につけてしまおう、という大胆なチャレンジです。
この見方を手に入れることが出来ると、目の前におこる小さなことも、全部、自分のために存在しているように感じられます。その力をカラダがちゃんと受け止めて、元気に変換をしてくれるのです。不安や恐れをもったまま、前へと進んでいける人はいません。前へと進んでいる人は楽しんでいるんです。
シンクロニシティーをよくご存知の人もいるでしょう。それ、介護で使えますか?具体的にカラダの力が必要とする場面で、という意味です。力に変換できないで、アタマだけで分かっているつもりになっても、後で苦しくなってしまうかもしれません。自分がちゃんと流れの中にいる、というのを感じてもっと楽しくいきいきノビノビ生きたくないですか?知ってはいるけど、信じきれない、そう思っている人にはもってこいの稽古になるはずです。
具体的にはただ手を上げる動きだけでそれを稽古します。複雑な手順を覚える必要も、汗だくになって苦しさに耐えなきゃ身につかないものでもありません。カラダラボの稽古は我慢も、努力も禁止です(笑)。手を上げていこうとする中で、自分がどう感じ、どうしているのかに向き合う事で、気持ちよく、手が上がる、という事を経験するのです。縛られていると思っていたけど、自分は自由だったんだ、それをカラダで実感できるはずです。
楽しみにしていてください。
定例稽古「シンクロニシティーをカラダで感じよう♪ 」
日時:2010/7/18 (日)14:00~18:00
住所:名古屋市緑区浦里4-202
会場:少林寺拳法の道場をお借りしています。1階がカラオケ屋さんの建物です。
参加費:3000円
参加の申し込みはこのメールに返信していただければ結構です。
また、下記のページからも申し込めます。
http://www.karadalab.com/modules/eguide/event.php?eid=162

アタマとカラダとココロ

アタマとカラダとココロ、カラダラボを始めるようになって、自分が普段稽古している事を少しずつ言葉にし始めるようになった。

その中で出てきた考え方がアタマとカラダとココロだ。自分と一言で言ってしまうけれども、じゃあ、みんな自分の事を知っているのかと言えば、結局だれもわかってはいない。もし、分かっている、といっている人がいれば、僕はその人を必要としないと思う。

甲野先生を師匠とし、これまで稽古を続けてこれたのは自分を探すための足跡をずっと見せてくれていて、その歩みが止まるどころか、加速をしているのを教えてくれたからだ。

自分、っていうのは、重いテーマではあるけれども、1つ、手がかりとなるものが見つかってくれば、それはそれは楽しい道のりに早変わりをする。今、とっても楽しく、幸せである。もちろん、辛いっていう気持ちが出ることもある。でもそれは「アタマ」が見せているトリックなんだと分かってきた。

アタマは自分の中の一番、元となるものなのかもしれない。ずっと、カラダを手がかりに稽古をしてきて、ココロの領域にも入り始めてきた。でも、伝えたかった事を「これ」と提示することはできなかった。なにがなんだか分からなかったから。

今、感じるのはアタマがスタートとなり、自分の人生に対して「見方」が生まれる、という事。この見方をどんどんと楽しい方向へと変えていくことが古武術を通して学んで欲しいことだと考えるようになってきた。

例えば、アタマは悪い、でしゃばり、だと思ってきた。でも、アタマが悪くてでしゃばりなのではなく、アタマは悪くてでしゃばりだという先入観がある、という事。この先入観はどこにでもあるし、また、ほとんど気づかないまま、それを固定してしまっている。

稽古、練習をしてもそう、自分には出来ない、大変だ、という先入観がある。この先入観のもう少し奥にはいやだなぁ・・・という思いがある。この先入観がある間は稽古に大変さを味わうことになるらしい。

稽古を通してアタマを変えるのだ。つまり、見方を変える。大変で嫌なものから、チャレンジできるものに変えてしまうわけだ。子供達はチャレンジが大好き、そんなアタマになればいいなぁとおもう。

同じ事を体験したとしても、その見方が180度違っていれば、受け取る経験は全く違ってくるだろう。だからこそアタマにたどり着くために、カラダを感じ、ココロを見ていくわけだ。

もちろん、カラダもココロも見ずにアタマに直接たどり着いて、自分の先入観をどんどん変えていく人もいるかもしれない。というか、人それぞれ、方法は全く違うはずである。だからこそ、同じ人間はいないし、同じ人生を歩む人はいない。ユニークなんだ。

古武術がいいのは、自分を考えるときにカラダとココロをちゃんとあわせて稽古が出来ると言う点。しかも、自分のアタマが作っている見方もそろって調和してこなければわざとして成り立たないように出来ているから。だからこそ、あんなに鈍かった僕でもこうして、楽しく自分という存在と向き合え、楽しく探して行くことができる。

奥の深い深い、古武術です^^