心と体

仙骨の力について

「力」というと多くの人は「筋肉」と考えると思います。
筋肉はトレーニングによって強くすることができ、努力した分だけ成果もでるのでわかりやすいですよね。
 
ただ、筋肉を増やすにはトレーニングだけではなく、元になる栄養と休息を必要とするんです。この栄養、練習、休息のサイクルがうまく回ればどんどん筋肉を強くすることが出来るんですが、なかなか、栄養、練習、休息をうまくまわし続けるのが難しいんです。
 
 
 
しかも、筋肉は年齢を重ねるごとにつきにくくなるし・・・。
人間の身体ってどんどん老いていくように、壊れれていくように出来ているんでしょうね。
 
 
 
実は壊れていくってのは悪いことではないんです。
壊れていくからこそ、そこに頼ることが出来なくなり、手放すことが出来るようになるからです。
 
 
 
「力」の話をしようと思いますが、力というものにバリエーションがある事を知っていますか?筋肉だけじゃないんです。
 
どうも、この数十年の日本の生活は「努力」が価値を持っていたように思えます。しかし、考えてみれば、もっと昔は努力をしようとしても、相手は大きな自然であったりして、相手にはならなかったはず。
受け入れる事が一番身軽になれる選択だったのかもしれません。
 
 
 
努力なしに受け入れるもの、と考えてみると気がつかされるものがあります。
それは「骨」です。骨に意識をおいて動いてみるとその構造が持つ力が現れてきます。
特に、自分がそこに「立つ」ということを考えたとき、自分のカラダの重さを筋肉で支えていれば、すぐに疲れてしまいます。
でも、骨にしっかりと乗っていれば・・・。
わかりますよね、それほど疲労せずに、立ち続けることができます。
 
 
 
これは武術の話でないほうがわかりやすいかもしれません。
慣れない立ち仕事をやり始めたとき、ただ立っていただけなのに、家に帰るとどっと疲れがでます。
でも、一月もすれば、体が慣れ、楽に仕事をこなすことができます。
この時、自分の体をちゃんと、骨が支えてくれているんです。
そうです、普段から、私たちは「筋肉以外の力」もちゃんと使っているんです。
 
 
 
そして、力はまだまだあります。
「皮膚の力」と「きもちの力」です。
皮膚の力は形の力。形がもつ力です。これも努力の要らない力です。
自分の持つ「役割」を意識できたとき、その仕事がどんなにつらく見えても、心には満足感を得ることができます。
 
その形の力を教えてくれるのは「皮膚」なんです。
皮膚は自分の「形」を作り出しているものですが、努力の時代を生き抜いてきた私たちはつい、筋肉に目をむけ、がんばってしまいます。なかなか直接、皮膚を意識するのは難しいかもしれません。
 
でも、ちゃんとあるんです。簡単に皮膚の力、形の力を確かめさせてくれる部分が・・・。
 
 
 
いったいどこで形の力を確かめるのかというと、「手首」です。
手首には筋肉がありません。そして8つの骨が精妙に組み合わさり、動いています。
もちろん、それを形作っているのが皮膚ですね。
 
この手首、どんな動きが得意かというと、「ひっくり返る」動きです。
この手首に任せて動きを作ってみると、どんなに押さえ込まれても、この手首は自由に動き続けることができる事がわかります。
 
昔、ジャッキーチェンが腕立て伏せの姿勢で手首を返してましたよね、あれです、あれ!あの稽古を筋肉でやろうとすれば、すぐに形が崩れてしまいますもん。
 
 
 
たくさんの力があるにもかかわらず、筋肉だけの力を自分と考えてしまい、諦めてしまうのはもったいないものです。
もっともっと、私たちの体は可能性を持っているんですから。
骨の構造を保ち続けることが出来なければ(現代って昔よりも変化が激しいです。仕事も仕方もどんどん変わっていきますよね。そういう時代はやはり、動きを止めてしまう骨に任せるのは難しいです。)、意思の伝わりやすい筋肉に任せてみればいいし、努力をしてもだめに思えてくるのならば、形の持つ力にバトンを渡してみれば、まだまだ自分がちゃんと自分でいられる、って事がわかります。
 
 
 
そして、現代はさらに、きもちの力も使いやすい時代です。自分の心から楽しさがあふれ出していけば、それに感化されて、どんどん仲間が広がっていく時代ですもの。
 
 
 
 
技にあこがれて甲野先生に教えを請い、始めた武術でしたが、まさか、生きていくためのヒントをこんなにも気づかせてもらえるとは夢にも思いませんでした。
甲野先生とのご縁ができ18年になりますが、その間、ずっと、楽しさが大きくなり続けているんです。もちろん、技も動きもどんどん良くなっています。歳を重ね、無理が効きにくくなっているにもかかわらず・・・。
 
 
 
 
実は今日、もうひとつ伝えたいことがあります。
それは「仙骨の力」についてです。
筋肉、骨格、皮膚、きもちの力についてお話しましたが、私たち人間の動きの元になっているのは仙骨なんです。
仙骨に生まれていた波動が背骨を伝わり、増幅され、筋肉を動かし、皮膚を通して動きになる、ということはわかっていました。
なんとなく、仙骨が「始まり」をあらわしているんだろう、と考えていました。
 
 
 
ただ、自分の始まり、根本ってなんだろう、と考えたとき、自分にはやりたいことがぜんぜん見つからなくってわからないままだったんです。
自分の根っこに当たる部分が満たされないまま、ずっと生きてきた、そんな気がしていたんです。
 
それがきもちの力がわかるようになり、心の面からも自分と向き合えたからでしょうか、先日、自分のしたいことをはっきりと自覚することができたんです。
 
 
 
その「やりたいこと」とは、「なにもしたくなかった」という事です。
言葉にすると変ですね(笑)。でも、真剣なんです。
 
なにか成果を残して褒められたいとか、誰かよりも勝ちたいとかじゃなくって、ただ、自分がいつでも、どこでも、その瞬間、その場にいて大丈夫、と思いたかったんだ、とわかりました。
 
 
 
それと同時に、これまで稽古を通して掘り下げてきた体の感覚をどう使えばその望みが叶うかもわかりました。
体に任せてみれば、自然と、その場にいて大丈夫、と感じられるんです。
 
きっとこれからも体の感覚もどんどん深化していくはず。目に見えない気持ちの力もそうです。体の感覚の精度に連動し気がつかなかった事にも目を向けられるようになると思います。
今、自分の中に具合の悪いものがあっても、それをヒントに必ず、体は乗り越えてしまうんだろうなぁ、と前を向いていられるようになりました。
 
 
 
 
自分への信頼を持つことが出来ればどれだけ幸せだろう、と思っていましたが、それをまっすぐ求めていく方法以外に、どう考えても、私たちの身体って必ず深化し、どんなストレス、悩み、困難も乗り越えて行ってしまうんだ、と駄目な自分を考えられなくなるって方法もあるんだ・・・とちょっと不思議な感じです。
 
 
 
考えてみると、甲野先生の稽古は常にそうでした。
そこには派手な技はないんです。もちろん、リクエストをすればありますけど、本質は常に、自分の内面との対話でした。
派手な技で感動して帰る、というよりも、あまりの不思議さに言葉がでない、頭の中で解決できない問題を抱えさせてもらい悶々として帰る事が多かったです(笑)。
 
 
 
映像や音楽を使えば、人間は簡単に感動します。そこで流した涙にモチベーションが高まり、行動に移る事もあります。しかし、そういった意図して作られた感動は長く続かないものです。
表があれば裏がある。
わかりやすい感動とは違ったエネルギーを甲野先生から頂きました。
結果、ネガティブな自分のまま、自分のことを信頼できないと思うことを諦めるようになってしまったんです(笑)。
 
 
 
ですから、稽古には合う、合わないというのは如実にでます。
もし、たくさんのセミナーに行って派手な感動に慣れちゃってこれからどうしていいのかわからない、って場合は一度試してみてください。
頭の中に「?」をつけたまま暮らす楽しさもあるんです。
 
 
 
6/30(日)は甲野先生を名古屋へお招きします。定員までもう少しですので、もし興味があればこのチャンスにどうぞ。
また、大人の武道塾として、名古屋大府浜松大垣で稽古を行っています。
ご希望があれば個人指導も行っていますので、お問い合わせください。
 
詳しくはカラダラボのウェブサイトをご覧下さい。
直接メールしていただいても結構です。

武術で無ければ手に入らないもの

カラダラボは「カラダ」を通して「自分」を見つけるためのお手伝いをする場所です。

そのための手段となるのが「古武術」です。

 

カラダの感覚を磨けば、それまで知らなかった本当の自分を見つけることが出来ます。

ボディーワークにはヨガやピラティス、呼吸法など、様々なものがたくさんあります。おそらく、その全てでカラダの感覚は高まっていくはずです。感覚は「経験」を通せば必ず高まりますから、なんでも良いんです。

 

しかし、それでも、武術でなければ磨く事の出来ない感覚があるんです。

それは「ストレス感覚」。

なぜか現代は便利になればなるほど、「ストレス」がたまる時代です。リラックスして過ごせばストレスを手放せる、と「分かっていてもできない」ですよね。

それは、普段ストレスから自分を遠ざける事で快適さを感じているからだと思います。

 

考えてみてください。

多くのボディーワークでは「敵」はいません。心地よい空間で自分に向き合えるようにワークをします。

心静かに落ち着かせながらカラダを使うからこそ、本当の自分にも気づく事ができます。

 

しかし、そこで見つけた自分もストレスがかかる場面においてはなかなか、落ち着いた、安心している自分には戻れないんです。

 

武術は根本的に考え方から違います。

武術はまず、自分にとっての「敵」を認めるところから始めるんです。

自分にストレスをかけてきている相手を認めることで、自分のカラダに緊張を感じる事ができます。

その自分のカラダに生まれている感覚は普段の生活では気づくことの出来ないレベルのものなんです。

その抑え切れない感情をカラダを使って、丁寧に扱っていくと、そのストレスに対して、自分は負けていない、大丈夫、って「わかる」んですよ!

 

自分は大丈夫。それを「知っている」人は多いです。しかし「分かっている」人は多くありません。

目の前に現れた自分を攻撃してくる敵。その瞬間、カラダは自然と緊張し、恐怖がやってきます。でも、仕方ないですよね。社会が「安全第一」を目標に、危険を遠ざける、排除する事を実行してきたんですから。

ただ、それでも、自分にとってのストレスは無くなりません。どんどん、細かくなっていくんです。

だからこそ、自分にとってのストレスを嫌なものとして扱うのではなく、本当の自分を見つけるための材料にしてしまう技を身につける必要があるんです。

 

カラダラボでは終了証も、段位も、なにも出しません。

しかも、カリキュラムすらありません。

その瞬間、自分のカラダが感じている事を認めることだけに集中しています。

ぜひ、本当の自分を感じてみてくださいね。

 

カラダラボの講座は愛知県を中心に各地の文化センターで開講しています。

また、より、深く自分を研究するために大人の武道塾、というのも開催しています。

ご希望があれば個人指導も受け付けていますし、グループ指導の出張もOKです。

ご検討ください。

 

お知らせです!!

4月28日(日)、このカラダの世界を教えてくれた甲野善紀先生を名古屋へお招きして講習会を開催いたします。

大げさでなく、人生を変えてしまう力を持っている先生です。ぜひぜひ、ご参加ください。

通常の武術講習会のように決められた動きをみんなで行うことはありません。3時間、たっぷり、目からうろこを落としてもらおうと思います。

お申込はこちらからです。

 

 

身体があるから、苦しいことだって、乗り越えられる。絶対に。

武術は僕らに身体があるって事を教えてくれる。
でも、他に身体そのものを感覚で教えてくれるものってあるだろうか?
 
とにかく自分のもう一つの面である「身体」があるって事を教えてくれるのだ。
どんなに自信がない人も、そこにある「身体」を感じたら、簡単に「諦め」を口にする事って出来ないと思う。
 
誰かにつけてもらう自信ってなかなか難しいの。
無理ではないけど、時間がかかるし、ちょっとした事で、疑いが出てくる。
でも、自分の身体に感じたものはなかなかなくならない。
いや、積み重なっていくものだから、どんどん、強くなっていく。
 
普段僕らが使う年齢って頭の年齢。
でも、この身体は地球が生まれた時からずっと、続いている進化の先っぽ。
そんなすごい身体ってのがあるのに、ついつい忘れちゃっているんだよな。
身体の自分は45億40才(笑)
 
苦しい事があったら、自分に身体があるって思い出そう。それで絶対、乗り越えられる。

自分の中にある輝くものをみつけるには

誰の中にも輝きはあるから、絶対に諦めちゃいけませんよ。
どうしても諦めそうになったら、体の事を教えてあげるから。
 
 
 
心は見えないし、触れないから、勝手に傷つき、落ち込んじゃうの。
その度に身体が支えて元気を出させているの。
身体の働き・・・というよりも、まずは自分の手足、指、腕、胸や腰・・・とにかく自分の身体が「ココ」にある事に気づくのが先決。
がっかりした時はチャンス。
そこに身体を見つけることができますからね。

人は必ず、成長している。

時々ふと、思いつく事があります。
古武術の稽古をし始めてからです。きっと、身体の事が分かる事につれて、感じる事が増え、閃く事につながっているのかな?
 
 
 
 
ツイッターを初めてよかったなぁ、と思う事の一つに、思いついた瞬間、すぐに言葉にしておける、という事があります。
本来の「つぶやき」とは違うので、フォローして下さっている人には暑苦しさもあるかもしれませんが、こういう形でなければ、まとめる事のできない頭なんです(笑)。
 
ただ、ツイッターは後から見るのに非常にみにくい(笑)。
リアルタイムが基本ですからね。
ブログにまとめておきます。
(まとめてみると、やっぱり、ブログに書けよ、って感じのことでした・・・)
 
 
 
 
 
 
20年前に比べて、今の時代の出会いの数は抜群に増えているはず。
実際には顔をあわせていないネットを通しての出会いも含めれば、ほんの10年前では想像も出来ないほどの縁の数だろう。
不思議なのはそのたくさんの縁を僕らは自然に受け入れ、普通に毎日を暮らせるようになってしまっている事だ。この適応能力ってすごい!
 
 
では、これからの20年は?来るべき未来に向けてはどうすればいいんだろう?
答えはもう、出ている。
やれることといえば、自分自身を深く掘り下げ、精一杯出し切りながら生きる事だと思う。
 
 
 
自分自身を掘り下げる機会こそ、経験。
そして、経験は命のかかる場面でないと得られない。
今、そんな事を考えている。
安全に身をおいてしまうと、つい、考えに計算が入ってきてしまいそうで…。武術はその計算がたたない瞬間を教えてくれるものなのだ。
 
 
 
そして、もう一つ、今考えていること。
それは、人は必ず、成長する、と言うこと。
この成長は、見方の話。
自分が感じている世界の次元がドンドン上がって死んでいくんだろう、という事だ。
たくさんの縁を受け入れたと同じように、年齢共に、いつの間に次元を上げていってしまうと思う。
 
 
 
拙い説明で申し訳ないが、こんな感じ。
モノゴコロがつくと、欲しい物が増えてくる。
あれが欲しい、これが欲しい。有るか無いかで世界を見ている。
有り無しの世界から、次にくるのは流れの見方、ボリューム的見方の世界。
もっと、お金が欲しいし、もっと、能力が欲しい。
ビジネスやスポーツを通して、自分の持っている能力を高めていくために努力をするようになる。
百年前ではいざ知らず、今の世はスポーツでも、お金でも目標を持ち、努力をすると、ドンドン上昇していける時代だ。
しかし、これで、終わらないのが人生。いつまでたっても、死ぬまではゴールはやってこない。
限りなくお金があれば、誰にも抜かれない能力があれば幸せになれるかというと、それは違う、とすでに多くの人が気づいている。
 
 
 
ボリュームの次元の次の次元。それはきっと、バランスの次元。
働き者の日本人。お給料と能力を求めて24時間働けますか?と頑張っていた。
そこから、時代は変わって、福利厚生、休みを重視して、家族との時間、プライベートの時間にも、目を向けた。
これは、自分という存在のバランスを取り始めてきたからではないだろうか?
 
 
 
バランスを考えるとき、三角形を考えるとわかりやすい。「仕事」と「家庭」と「現実」の三つだ。
三つの要素のバランスをとるには2つある。
突出したものをカットしてみることと、突出したものにあわせて、広げてみることです。
 
 
 
「知識」と「経験」と「現実」というのも、バランスの次元でみた世界。
今は知識、情報に溢れた世の中。
いま、バランス的に整わせるには、ネットを遮断して、落ち着く時間を過ごすことが有効なのかもしれない。
また、あえて、経験をしに、外へと出て行くことが有効なのかもしれない。
バランスを考えなくてはいけないレベルの人は、もう、量だけを求めては喜びは得られなくなっていると考えた方がいい。
 
 
 
そして自分自身のバランスが整ってくると見えてくるもの。
それは自分以外の人たちです。
自分は幸せでも、他の人はそうではないように見える場合がある。
また、自分よりも、もっと、幸せに見える場合もあるかもしれない。
そこにも、ボリュームやバランスの見方とは違う見方があるはず。
 
 
 
おそらく、それは違いを違いとして見ない、という見方。
ピラミッドのように、上から下を見て、共通点を認める、高さのある世界。
例えば、親からみれば子供たちは等しく大切な存在だ。
親が子を見るときのように、自分と他人、その間にある違いを上から優しく見守ってくれる大人の見方ができる人がいるかもしれない。
今、「自分」だと思っている自分の見方を捨て、大きく大局を求めるレベルもありそうだ。
 
 
 
 
難しく書いてしまいましたが、逆から考えてみてください。
自分が死ぬ直前。自分はいったい、何を求めて、死ぬんだろうと。
あれがない、これがない、と死ぬでしょうか?もっと、もっと、増やしたい、とか思うでしょうか?
この世で手に入れたものをあの世へは何一つ、持っていけそうに無いんですよ。
また、バランスを整えて安らかに離れたいと考えるでしょうか?
それとも残された人たちとの関係でしょうか
 
 
 
便利な機械が増えて、感覚は鈍くなっていく現代人ですけど、心の感性は逆に敏感になっていくかもしれません。本気で幸せってなんだろう、って考えてみましょうよ。自分が本当に求めている幸せってなんだろうって。