稽古日誌

鳴海と桃花台の中日文化センター

鳴海の中日文化センターには面白い人材がたくさんいます。
ある身体操法系の指導されている方や、さまざまなセミナーに出られて多くの経験をもたれている治療家、そして色々な武道を渡り歩いてこられた80に近い大先輩などです。

たまたま男性人とはお話をよく聞くことが出来たのでその「キャリア」を聞くことが出来ましたが、女性陣もまた面白い。おおよそ武道・武術とは縁の無い方が集まっている。そこで、稽古が成り立たないかといえば、不思議と同じ土俵で稽古が出来ているのです。

女性の方たちも特に武道やメソッドを学んできたわけではないけれども、今まで生きてきた中で作ってきた「自分」があります。その「自分らしさ」が稽古では出てくるんですよね。

昨日の桃花台でもはじめての方が数名おられました。
カラダラボの稽古ではほとんど自己紹介的な時間はありません。名前ぐらいは聞くこともありますが、すぐに忘れてしまうんですよね。

それはなぜか・・・カラダを通して稽古をすると、自分の持っている肩書き以上に生の情報が共有できるからです。柾目返しで手をつかむ。そのときの反応は一人一人違います。がんばる人、元気が無い人、負けず嫌いな人、興味を持って集中できる人・・・ただ手をつかむという単純な動きの中に「その人」が出てきます。

自然と自分に合うのか会わないのかが「カラダ」で分かってきます。嫌いだから跳ね除ける、のではなく、合わない所をぶつかるところと見立てて、それをどうなじませていくのかが稽古です。もともと武術は人と人とが戦うところからスタートしていますからね。

具体的な形に惑わされずに、奥にあるなにかを見ることが出来たらあらゆる生活の場面で生きていきます。介護に役立つ、スポーツに応用できる、誰かを投げられる、というだけでなく、自分が精一杯生きることの楽しさをどう伝えたらいいのか、そのために必要なものはなにかを考えています。

ぼんやりと頭に浮かぶ事がありますが、それを実行するには「勢い」が「まだ」たりません。出来ない事ってないだろうなぁ、と思っています。稽古を通して自分の勢いを伸ばしていく、その勢いが自分の夢や理想という目標に近づいていく手がかりです。

※ただいまのお知らせ※

名古屋の月一稽古 9/13(日)

甲野先生の名古屋稽古会 9/26(土)

共にはじめての方の参加はOKです。

10月より、一宮と瀬戸の中日文化センターで新規講座を開講します。

大垣イオン、四日市中日文化センター

無心になる工夫を口にし始めて、どれぐらい経つんだろう?
これまで一足で三足分伸びていく、という説明で行ってきました。
その説明の中で、今後の課題は1つを3つだけで終わらせずに、どう100、1000に伸ばしていけるかですね、と話してきました。

そろそろ1つが3つになるレベルでは納得できなくなってきたのか、今の自分の動きに不満を感じるようになってきました。もしかしたらこの不満は不安なのかもしれません。自分の動きが今度どう変わっていくのかが見えなくなってくる時です。

仮説として色々と考え、工夫する事はできますが、アタマで考えたものよりも偶然というか、思いもよらない中で気づいてきたものの方がレベルが高いんですよね。焦らず待つしかない・・・とわかっていてもココロにもカラダにもそれは出てきてしまいます。

カラダに出たそれは勢いで抑えて、ココロに生まれたそれは見方を変える事が「答え」だと知っています。でもそれができないほど大きい場合もあります。そんな時、仲間が欲しくなるんです。自分には無いものを持っているからこそ、頭で考える以上のものが見つかるんでしょうね。

頼るばかりの自分、どうしたらそれを返していけるのだろう。やっぱり言葉で、動きで、変化を示していくしかないのかな。生かされている、という思いの中で一生懸命伝えて行こうと強く思いました。

9/4 栄中日文化センター

相変わらず、ココロについての研究が続いています。
「ココロ」と一口に言っても、それは形の無いもの・・・ただ、その存在については皆認めています。
では、それを追い求めて研究がどんどんと進んでいるかというと、全然です。
いくら言葉を通して学んでも、実際にココロを揺らされる場面に立てば、それはカラダに現れてきます。
カラダの変化をしっかりと見ていくところに答えはあるようです。

無心になる、というのも本を開けばあちらこちらに出てきます。
では、どんなときに無心になれるのか、どうすれば無心になれるのか・・・
普段の生活の中でも「無心」になっている瞬間ってあるんだなぁ・・・そう認めるところから始めたらどうでしょう?
自分の生活の中にあるものなら、認めるしかありません。
まさか全部意識をして動いている人はいませんよね。
「なにげない」動きの集まりが生活です。特に子供達はそうです。
悩みの無いなかで楽しい事をやれているときには無心で遊びまわっています。
それがゲームでも、マンガでも、スポーツでも・・・。

不思議なものを不思議として手の届かないところにおいてしまうよりも、今自分に出来ることを探して、カラダで確かめていくのがカラダラボ流です。不思議なものを自分のものだけにして、どうだ・・・と威張る気には到底なれません^^

疑問があればそれを全部ぶつけて、発見があれば共有する。その繰り返しの中で一人では見つからないものが見えてくる、そう思います。

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名古屋の月一稽古 9/13(日)

甲野先生の名古屋稽古会 9/26(土)

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10月より、一宮と瀬戸の中日文化センターで新規講座を開講します。

9/3 知立カルチャーセンター

今日は知立カルチャーセンターでの稽古。
実は昨日、珍しくワインを飲んだ。飲んだ、と言っても、グラスで2杯ぐらい。もともとお酒は飲めない方ですが、さらに弱くがなっていたのか、お昼頃まで体が重くて鈍い感じが残っていました。

でももしかしたら、「朝は何もない」という「環境」がそうさせたのかもしれません。「講座」という「環境」がココロに力をくれたのかも・・・。

数ヶ月前の話を覚えているでしょうか?
カラダは時間でココロは空間に近いのかもしれない、という事。時間をカラダをよく動かすことはもちろん大切。でも環境の力はもっと大きいかもしれないというお話でした。

自分が望むべき場所へどう向かうのかを考えたときに、自分だけの力でいけるほど、甘くはありません。自分の周りの空間、つまり環境をどう捉えるかでプラスにもマイナスにも働くのです。

とまぁ、スタート前から今日は何をしようかなぁ・・・と出かけたのですが、この講座には珍しく男性がされていました。聞けば合気道を数年されているだけあって、感度がいいんですね。ついつい話を拡げてしまいましたが、楽しんでくれたようで何よりでした。

途中、漢字の記憶の仕方でもお話しましたが、わかったと思った「後」が大切なようです。記憶として定着させるための「4回」が。自分の中でおもしろい、と感じた後にそれを定着させないと、せっかく覚えた感覚がなくなってしまうらしいのです。「記憶」法というのはこの辺りがうまく出来ているんですね。

そう考えると、毎日何らかの稽古が出来ている人が伸びていくのは当たり前かもしれません。自分の稽古に置き換えてみるとどうですか?うまく定着させる事ができていますでしょうか?

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9/1 大垣中日文化センター

今日は大垣の中日文化センターでの講座。
ぎりぎりまで今月の小冊子に向かっていただけに、ココロに色々と浮かべながらの講座となりました。

自分を認める事が辛かった。
だからこそ技が形になってくるまでに時間がかかった。
でもこの時間があったからこそ、今の自分があると思う。
誰かと比べるとまだその辛さが出てくる。なぜ、自分はこんなに弱いんだろうって。

そんな不安もちゃんとカラダに現れてくるから自分を見失わなくて済む。
応援してくれる人もいるから、一生懸命にもなれる。
ありがとうという言葉しか出てこない。