稽古日誌

歯が痛いときには・・・

こんにちは、山口潤です。そろそろお正月気分も抜けてきた頃でしょうか?子どもたちが新学期の支度を始めて、私もようやくお正月から日常へと戻ってきました。今年の抱負というか、思いをこの日記にも書かせていただきました。この一年も変化を恐れず、楽しみながら過ごして行きたいと思っています。

自分が感じている喜びを待っている多くの人たちがいる、そう考えてみると、まだまだやれることがたくさんあるような気がしました。これまでと同じように講座や稽古ではもちろん一生懸命に楽しさを伝えていこうと思いますが、この日記やホームページでもカラダとココロをみる事の魅力を伝えていければと考えています。

どこまで言葉で伝えられるかわからないですが、体験してみた時にがっかりされないようにがんばりますので、応援よろしくおねがいします。
 
 
 
さて、今日のお話です。
具体的な稽古を始めていないので、カラダの使い方、ではないのですが、聞いて下さい。今日のテーマは「痛み」です。

実は、昨年末から歯医者に通っています。歯医者さんって、一気に治さないですよね。毎週毎週通い、ほとんどの治療が終わりました。終わった~という精神的に解き放たれたものの、痛いんです(笑)。歯医者さんいわく、かぶせたものが歯になじむまでは刺激があるかも・・・らしいです。

どうも、冷たいものを口に入れると刺激がきます。まぁ、よくある事ですよね。去年の終わりまではそれぐらいで済みました・・・しかし。

新しい年を迎える頃から、どうも痛みが増してきたような気がするんです。ずっきん、ずっきんっと。冷たいものも飲んでないのに・・・。色々アタマで何故だ~?と考えてしまいます。
 
 
 
実は、こういう時は稽古のチャンスなんです(笑)。この痛みをどうにかできないか・・・もちろんカラダを使ってです。最近のテーマは「穴」です。あると思ったものは実はなくって、ないと思っていたものが存在していた、それを試してみました。

まず、「ある」というのは「痛み」です。痛い時など、もう「ある」としか考えられません。そこに集中してしまうのです。さぁ、稽古開始です。

手を当てて、「ある」という痛みをそこだけ「ない」と考えてみるんですね。ドーナツのように。結果としてそこになにかあるように見える、というのが「穴」の感覚に近いです。痛みを穴として考えてみると、その痛みの周りにあるものが見えてきます。
 
 
 
痛みしか見えなかったときには考える余裕がありません。だからこそ、周りが見えなくなってしまうのです。でも、その痛みの周りを考えてみると、この痛みがあるからこそ、こんな稽古が出来るんだとか、もっと大きな痛みがいきなり来てたら多分、それに振り回されちゃうだろうな、とか、痛むと言う事は、何かの刺激がこの口の中を動いているんだろうか・・・など、冷静さが戻ってきます。

冷静さが戻ってくれば、不思議と痛みも減っていきます。減っていくと言うよりも、眺めていられるような感じです。どうも、歯痛にも波があるらしく、そのうち、収まってくるんですね。ずいぶん上手になりました(笑)。
 
 
 
もうひとつ、痛みの周りが見つかっています。どれぐらい痛いかというと、夜、眠れないんです。ズキズキと痛みをどうしても気にしてしまうんです。普段生活しているときなら意識があちこちに飛びますから忘れている事もできますが、眠る時には全部遮断されていきますからね。残ったものは痛みだけなんです。

そして、どうもこの眠る時に生まれる痛みが消しにくい。まだ消せません。感謝してやろう・・・と向かっていっても返り討ちです(笑)。

そこで周りに気づきました。

どうも、普段は眠いから、というよりも明日のため、を考え、無理に寝ていたのかもしれない。そう思いました。痛いから眠れない、だから夜起きている。そのうち、どうしても眠くなってきます。そうなれば、もう痛さよりも眠さの方が勝ってしまうんですね。
 
 
 
明日の事を考えて眠るよりも、眠くなってから寝る、という方が自然ではないだろうか・・・そんな事を考えました。

なんでも稽古になるんです。伝えたいのはそれだけです(笑)。
歯は大事にしましょうね。

追伸
たくさんの年賀状ありがとうございました。
全てにお返事は出せませんが、その分講座などでお返しして行きたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

もうひとつ。

17日に日曜日に開催する甲野善紀先生の名古屋稽古ですが、残すところ定員10名ほどになりました。参加をお考えの方はお早めに。

武道の経験がないのですが・・・とよく聞かれるのですが、まったくいりませんので、ご安心ください。気になる事があればメールでお気軽にどうぞ。

jun@karadalab.com

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
2010年、新しい年が始まりました。
テレビの討論番組を見ていると、大変な年になる、
と期待感よりも不安な気持ちの方が世の中を覆っているように思います。

この先起こる様々な事をどんなに怖れたとしても、
それがなくなるわけではありません。起こるものは起こります。
大切なのは一つ一つの場面で自分が自分らしく、
納得いく振る舞いを出来るかどうかだと思います。
 
 
 
とはいえ、はじめて経験する出来事に対して、
自分らしく振舞うだなんてできるだろうか・・・
ついそんな事を考えてしまうかもしれません。
すでにある問題をパターン化し、
繰り返し練習をして自分のものにするタイプの練習が
これまでのスポーツや勉強の形です。

ある程度予想のつく範囲のものならばこれでいいかもしれません。
右肩上がり、といわれた時代は予想がつきやすかったのかもしれません。
しかし、今のこの時代で求められる力は記憶を主としたチカラではないようです。

どんなに苦しくても、笑顔を忘れず、
楽しく「今」に向き合う事が大切だと思っています。
 
 
 
この笑顔を忘れない力はどんなものにでも応用が可能です。当たり前ですが。
苦しくてもがんばる、というのも一つの対応ですが、
無理をしている様子は必ず相手にも伝わってしまいます。
無理をして笑顔を作るのではなく、
本当にその瞬間を楽しむ事ができれば、
その楽しさも相手にちゃんと伝わっていくはずです。

今、この瞬間をどう考えて、楽しく過ごすのか、というのも一つの方法です。
もうひとつ、方法があります。
カラダの方をいつものびのびと楽しくさせ続けるのです。

顔だけではなく、カラダ全体でいつも楽しく
愉快に笑っていられるようにしておければ
自然と気持ちにも楽しさが生まれてきます。

その楽しさで仕事でもなんでも向かい合えば、
結果は自ずとついてくるはずです。
 
 
 
今年一年、生きる楽しさを感じるための方法を伝えて行きたいと思います。
決して「答え」を教えるわけではありません。
万人に合う、答えなんか無いからです。

自分の中で納得できる答えを生みだすチカラを伝えて行こうと思います。
そのための方法が「稽古」なんです。
オーダーメードの稽古を作るつもりで、しっかりと大切に、
全力で伝えさせていただきますのでよろしくお願いします。

今月すぐに甲野先生の名古屋講座(定員があります。)がありますし、
定例稽古もあります。
私が講師を務める文化センターの講座もいくつかありますので、
興味がある方はぜひお越しください。
文化センターでの講座は見学などもできるはずですから、お問い合わせください。

http://www.karadalab.com/

通訳する人になる

昨日の定例稽古で今年の稽古、講座が全て終了してしまった。

この一年の変化はまた改めて言葉にしてお伝えしようと思っています。

講座の中でよく話しにあげていますが、世の中はドーナツのようになっているみたいです。そのドーナツ全体を眺めることが成長なのかもしれません。 ココロにぽっかり穴が開く、という言葉があります。そういう言葉になった以上、そんな変化がカラダに生まれていたんでしょう。自分の中にある穴を認識できればあとはカラダがそれを埋めてくれるはず・・・。

カラダ=時間 これも今年自覚した自分の中の理論です。

カラダが良く動く、というのは時間を上手に使うと言うこと。

ちなみにココロは空間、環境です。なにに使えるのか・・・という事を考え、言葉にしていくのが僕の役目なんだと思います。

ドラッカーによると専門家の言葉は分からないようになっているのだそうです。だからこそ、そのわけの分からない専門家の言葉を上手に通訳する人、つまりマネージャーが必要なのだと言われています。

そうか!僕はカラダという自然の通訳をしているんだ!

ここ数年、自分の存在や役目って何だろう?と考えてきましたが、通訳、として定義してみるととっても気楽になりました。

カラダラボでは新たな通訳、そして通訳の通訳も大募集しておりますので、どうぞご遠慮なく(笑)

頭痛と共に

台風の後片付けなど、連休を普段やらない仕事で忙しく過ごしたからか、久しぶりに頭痛がひどかった。
「興味」の観点から見れば、頭痛が気になるのは、それが一番気持ちが集中するから。
この週末、ついつい暴飲暴食をしてしまい、胃がくたびれていたのも原因かもしれない。

早めに布団に入っても気になるのは頭痛の事ばかり。ただ、薄く削った木を持ってみると多少頭痛から離れられるので不思議。

この頭痛も「友達」と思って受け入れてみると、それもまた良し。
まぁ、なんでも有りなんですね。いい加減です(笑)

しかも最後は腕のかゆみで頭痛が気にならなくなっていたりもする始末。

具合の悪さも稽古にできる事の幸せをご報告しておきます^^

上から下へ求めていけばいい

台風一過の木曜日、今日から始まる予定だった瀬戸中日文化センターの講座は4週目の22日に変更になりました。
昨日の時点で休講が決まりましたが、良かったと思います。
本日午後からの桃花台の講座は予定通り行いました。ただ、休まれた方も見えたので、申し訳ないなぁと感じるのは自分のアタマの常識の部分です。

実はカラダラボで伝えたいことは「積み上げていくものではない」から全然大丈夫です。

つまりだんだんと「大切なもの」が分かってきているんです。今見つかっているものが一番大切なものに近いんですね。(もちろん私の中でですよ。)ですから、「今」が伝われば「過去」は一緒についてきていて、それを丁寧に覚える必要が無いわけです。

例えば今、分かったこと、ほんの数日前です。なにより目の前の人を「友達」に思うこと。これだけです。友達と思い、大切に、自分の一部として扱うことで、動きが変わり、気持ちも変わります。これをうんうん、と納得してもらえれば、それだけでもう大丈夫です。

もし、それが分からなくても大丈夫!先月分かったことが理解を助けてくれます。先月って、なんだっけ・・・そう、「無心」です。ほんの一瞬でも、無心になる感覚をつかめればそれが助けてくれるはずです。

そしてそれも分からなくても大丈夫!これまで歩んできた足跡をどんどんと遡って行けば全然大丈夫です。

気体があって、勢いがあって、骨があって、ズレがあって、元気があって、気配があって、胸鎖関節があって、カカトがあって、指のアーチがありました。多分まだ抜けているものもいくつかあると思います。

自分が分かるところ、つまり楽しいな、と思えるところから入っていけばいいと思っています。

そしてどんどんとこの先の理解は進んでいくはずです。気がついたら、世の中で言われている「当たり前」な事に行き着くかもしれません。多分、それを私は望んでいるんだと思います。突拍子も無い「すごい」技でも使い方でもなく「当たり前」な事。それをカラダを通して実感できたときに、なんでこれが今まで分からなかったんだろう・・・そんな事を待っているんだと思います。

明日はアクテノンです。
最近、今楽しんでいる事をどうすればもっと伝えられるか、広められるかをずっと考えています。たった2年でこれだけ仕事をさせてもらえるようになり、縁がつながってきました。感謝しています。

この楽しさを伝えるには既存の枠組みの中ではどうも物足らない気がしてなりません。なにかひらめけば、またお知らせします。力を貸して下さい。