稽古日誌

決意

甲野先生との濃い二日間を通して、やはり大きな変化が生まれていたようです。
今回は特に「動き」から、というよりも「気持ち」の方での変化が大きかった。

自分が何かをしようとする時に生まれる「気配」、それをどう受け止めていくのかをずっと考えていました。なにかを「しよう」という気持ちは仕方ない、そういう意見もあるでしょう。しかし現実に気配の無い自然な動き(もちろん甲野先生はそれを自然とは認めていないでしょうが・・・)を体験し、その存在を知ってしまった以上、求めずにはいられません。

さらに、武術としての稽古を通しての動きならば「型」ですから、条件を限定し、詳しく自分を見つめていく事ができても、日常生活という社会の中では自分のなにか「しよう」「したい」という気配を消すことなどとても無理じゃないか・・・と感じます。

昔、甲野先生とであった頃、先生の著書の中に稽古を通して身体感覚が養われてくると、それに伴って人のどろどろとした部分が気になってきて、稽古を続けていくのが難しい、というようなことが書いてありました。

今感じている気持ちがそういう類のものなのかは分かりませんが、やはりココロとカラダは1つのものなのだな、という思いは強くもてるようになりました。

今感じている不安もおそらく動きを通してカラダを見直すことで自然と乗り越えていけるような期待感はあります。これまでもそうやってきましたから。

ただ、それが本質的に自分を見直していることなのか、問題を先送りしているもの中は分かりません。それでも稽古を通じてでしか「自分」に向き合うことは出来ません。

明日から一宮中日文化センターで新しく開講いたします。
私という人間に出会い、武術の楽しさを知ってどんな変化が生まれるのか・・・責任は重大ですが、学ぶ気持ちを忘れずに、変化の様子を伝えることを一番に考えて行きたいと思います。

受講の申し込みは直接中日文化センターへ申し込んでください。
http://www.chunichi-culture.com/ichinomiya/index.html

甲野先生との二日間

土曜日、日曜日と甲野先生のそばでお手伝いをさせていただき、「濃い」時間を過ごさせていただきました。

土曜日は名古屋での稽古会、これはカラダラボの主催です。今回は場所、2次会、ホテルなど、普段と違うことばかりで、落ち着く暇が無かったのか、先生の話も満足に聞けずに気がついたら一日終わっていた・・・そんな感じがしました。

ただ、この土曜日、大きな出来事が。
韓氏意拳の光岡師範が偶然名古屋へ来られていたので、2次会に参加をしていただいたのですね。光岡師範とはこれまで2度ほどお会いした事があります。その2度があまりにもインパクトがあったせいか、目の前にすると、一体何を話していいのやら・・・なにも考えられなくなってしまいます。聞きたいことはたくさんあったはずなのに。

そんな様子を察してくれたのか、「挙式」という手を上げる練習をみてあげる、と言ってくださいました。実は出来れば触りたくない・・・そんな思いでいたのを見抜かれたのか!と気持ちが揺れまくりです。

もう、最近の研究課題である無心どころではありません(笑)
じかに手をとってもらい、お店の人に外でやってくれ、といわれるまでのおよそ3分、この感触はきっとこの先の稽古に生きてくると思います。とにかく何を得たか、というよりも、やはり出来なかったか・・・という事を実感するには十分すぎる時間でした。

2日たち、ようやく出来ない自分をしっかりと見つめなおすところまで回復したわけですから。(回復するきっかけになったのはやはり稽古であり、話を聞いてくれる仲間がいるからです。ありがとう!)

とにかく落ち込んでしまった土曜日ですが、それを引きずるわけにはいけません。せっかく甲野先生が日曜日の鈴鹿の講座に同行を許してくれたのですから。この日曜日は講座までの時間が十分にあったことから、普段とはまた違った雰囲気でお話しを聞くことが出来ました。特に「違和感」という事が上達のためには必要なんだ、という事を改めて感じられたのは助かりました。土曜日のショックも大きな「違和感」です。この大きな違和感が形にならないはずがありません。

この2日間、甲野先生と手を合わせたのは白子駅での電車を待つまでの15分程度です。その15分の間にもご自身の感覚に浸り、技を変え続ける姿勢と感覚はどんな言葉を頂くよりも大きな稽古になりました。腹へと向かっていく力、その力は今の私にはありませんが、技を受けたことで、その力を求めずにはいられません。ここでも大きな宿題を頂いてしまいました。

また11月に福井の稽古会にあわせて名古屋へ来ていただく約束までさせて頂き、ありがたく思っています。そちらはまたホームページやメールで案内をさせて頂きますのでお待ちください。

9/25 アクテノンでの気づき

シルバーウィークで稽古は一休み。
今日久しぶりの稽古をアクテノンで行いました。
アクテノンの稽古には珍しく体験の方が2名ほどお見えになりましたが、予定ではあと3名見えるはずでした。
重なるときには重なるものです・・・。

それでもアクテノンはアクテノン。
安易になにかをするための動きの手順を伝えることはやめました。
つい、簡単なコツを教えたくなりますが、それでは大きく変われない、なにを変えていけばいいのかを探すためにアクテノンの稽古はあると思っています。何度も不思議な顔をされ、その度にココロが揺れたりもしましたが、そこはぐっと抑えて・・・手探りを楽しむ事を伝えたつもりです。

体験の方が帰られてからはいつも以上に突拍子もない研究が進み、外の人が見れば何の練習をしているのだかおそらくわからないでしょう。でも、この自由な稽古から今まで気づく事もなかった発想へとつながるのです。

ちなみに今日の稽古は私が削った板の上にたまたまアクテノンの入り口の前で拾ったどんぐりを置いて、そのどんぐりをこれまた私が削った箸でつかむ、という事を私ではない人たちが熱心に取り組んでいました(笑)

つるつるのどんぐりに、つるつるの箸、まさか摘めないだろう・・・というのもそこに「使い方」が見つかると出来るようになるもので、取り組んでいた二人はしっかりとものにしていましたから・・・置いていかれてしまいました。

私も負けずに、1歩で3歩の歩き方から1つ大きな発見がありました。
この歩き方をするときには腰を落としたほうがより早く歩けるのですが、このシルバーウィークに作った棒のお陰か、腰の辺りに1つ基準になるものが生まれていました。その基準を意識して、それこそしりもちをつくようにすると、より速く下半身が前へと滑り込みます。相手との間に生まれたカベに対してスッともぐりこむことができるようになりました。

その感覚は「斬る」というコトバが似合います。
これまで私の動きには「斬る」感覚はありませんでした。どちらかといえば重さと強さばかりでした。それが腰が滑り込むこの動きは「斬れる」んです。ちょっとは速くなったのかな?そうであればうれしいですが・・・明日からの変化に期待します。

明日といえばいよいよ甲野先生を招いての名古屋稽古会。
満席になってしまい、お断りもしなくてはいけませんでした。
ぜひまた年内に開催できるようにお願いしておきます。

9/18 栄中日文化センター、熱田の森文化センター

第3金曜日は栄の中日文化センターと名鉄、熱田の森文化センターのダブルヘッダー。
2講座あるときは前の講座に引張られがちになり、困ります。

・・・というのは、先の講座で手ごたえが良かった事をどうしてもそのまま伝えてしまうから。
でもこれはアタマで良かれと思ったことだと思います。
そもそも手ごたえとして残ったのは、そこにいたメンバーと私の話と動きがピタリとあったからこそ、「理解」に拡がったわけです。その喜びについ、甘えてしまうと流れに乗れずに苦労することが多いような気がします。

今日の講座は体験会でもありましたが、時間の半分はS君に任せ、意識的に流れを作ることをやめてみました。
結果は・・・わかりません。
ただ、自分でもなにを伝えたのか分からない、というぐらいでないとダメな気がします。

ちょうど今の稽古が「板」と「棒」をどう考えるか、という事ですから、自然と自分に向かうはずです。
本当に板に乗っただけ、棒を触っているだけでカラダが変わるのか?
アタマで考えると、それはただの暗示ではないか?という疑問も出てきます。

しかしそれはこう考えてはどうでしょう?
すでに自分の中には「自分にはできない」という暗示があるかもしれません。
その暗示のおかげで、どうしても力が入ってしまうわけです。
でも、消しゴムやペンを持つのに、がんばる人はいませんよね。
板に乗ったり、棒を持つと、無意識と意識が板や棒に向かいます。結果として抑えられている部分にまで気がまわらないと言う事です。

この現象が暗示であっても構わなくないですか?
そもそもの暗示を壊してくれるわけです。これでゴールではありません。
今の自分から少しだけ本当の自分に近づいているかもしれないなぁ・・・
そういう時にこそ喜びがあります。

9/17 知立カルチャーセンター

木曜日は知立カルチャーセンターにて講座。
最近ようやく男性の方が参加されるようになりました。
非力さを実感している女性にこそ・・・とは思うものの、やはり女性ばかりではやりにくかったりします。(照れ屋なもんですから^^;)
思い切った動きもなかなか見せれないのもどうかなぁ、と思っていたので助かりました。

実は今日の稽古、新しい「工夫」をもって出かけました。
最近の日記に良く出てくる「板」ですが、少しずつ仮説が立てられるようになってきました。
形にこだわらなくても「働き」が消えないような構造があればいいのではないか・・・と考え、まるっきり違うものを作ってみました。

「板」の次は「棒」です。
大きさは・・・刀の柄を二回りほど小さくしたぐらいかな?
思いついてすぐに工作し始めたので、材料は家に余っていたものを使いました。
つまり、計画性は全くなしです!

角材を削りだして、円柱のように彫っていきます。
この時、とにかく手の平の感触を大事にしながら、気になるところをどんどん削っていきました。
働きの保証もないものを作るのはなんだか変な気分です。
ただ、この労力が無駄になったら・・・というよりもやりたい事を今やれる喜びの方が大きかったかな。

出来上がった「棒」ですが、自分で作ったわけですから愛着があるのは当然ですが、触っていて気持ちいいんですね。「板」がお寺の廊下だとすると、これは・・・使い慣れた木刀のようなものかなぁ。

あとはこれに「働き」までちゃんと封じ込まれていればいいわけです。

結果から言えば、予想以上にいい!
例えばこの棒を持ってカラダをねじって見たり、前屈をしてみると、カラダが柔らかくなっていたりして不思議です^^
柾目返しの時に反対側の手で棒を握っていると抑えられている事に囚われず、「自然」に手が出て行く感じがします。ただ、疑いながら効果を調べるには人数が足りません。明日は大所帯の栄の講座がありますから、そこで試してこようと思います。

こうご期待!

※お知らせ※
9/26の甲野先生を招いての名古屋講座ですが、残り10名ほどになりました。最終週は予約も重なり合うかも知れません。考え中の方はお早めに。
http://www.karadalab.com/modules/eguide/event.php?eid=139

なお、稽古の後、懇親会を行える事となりました。
申し込まれた方には近々案内を出させていただきます。よろしくお願いします。