大空を自由に飛べたらどれだけ気持ちがいいだろう。実は私は全然それを共感できない。というのは、たとえ、自分が空を飛べる能力を持っていたとしても、果たして幸せに楽しく生きていけるのだろうか?という迷いを持っているから。
もちろん、空を飛べたら気持ちがいいだろう・・・とは思う。でも、それは「自由」に自分らしく生きるための象徴みたいなもの。能力だけ得ても仕方が無いと思っている。
これは直接、武術の技に繋がっている。
武術の技は魔法のような技がたくさんある。人の意識までコントロールできる人が時々いるから。私自身、胴衣の袖や襟をひょいと摘んでいただけの状態から、バチンと床に叩きつけられるほどの勢いで投げられた事もある。とにかく、普通じゃない世界がある。
若い頃はその技に憧れた。でも、少しずつ身体が動くようになって、その「状態」、「能力」だけを求めても、幸せにはなれない、関係がない、とわかってきた。
昔の自分が今の自分に会い、技を受けるときっと、目を丸くして驚くと思う。ちゃんと説明をしてもきっと、わかってくれない(笑)。それでも、身体の持っている可能性はまだまだこんなものじゃない。頭の中でもなかなかまとまらないのでもどかしいけど、今の気持ちを書かせてもらいました。
そうそう、これはそのままお金にも繋がってくると思う。
宝くじやギャンブルで一攫千金できればどれだけ幸せだろう・・・と思う反面、今の自分にはきっと抱えきれずに、生活を壊してしまうだろうとも考えてしまう(笑)。能力には注意が必要と、自戒を込めて・・・。
【思考実験】
【思考実験】自分は大丈夫だった・・・
ふと、全ての技は自分は困っていない、という事に気づくためにあるんだなぁ、と思った。新しく、技や術に気づいてはそれに飽き、また新たな自分を追い求めているけど、それは全部、足らない自分を埋める作業ではなく、それまでの自分でもよかった事を教えてくれていた。
安心安全な時代になって(ちょっと、不安が拡がっているけど・・・)、自分の内面を見つめなくても生活でき、生きていく事が出来るようになった。一番見やすい感情は欲なのかもしれない。
欲を中心に見ていくと、どうしても、誰かにはあって、自分に無いものが見えてくる。足りていない自分だ。この足りていないものを世界はどんどん埋めるようにして成長してきている。ニッチなところを狙え、というが、すごい!良く名づけたもんだなぁと思う。
でも、いくら埋めてもきっと埋まらない。もしかしたら宇宙を星で埋め尽くすような作業かもしれない。まぁ、だからこそ、仕事は続く、チャンスは誰にでも、と考えられるかもしれないけど。
でも、自分が幸せ感、充実感をもって、今を生きるには足りていないものを埋めるのはものすごくツライし、遠く思えてならない。この空虚さを武術は身体と心を動かす事で教えてくれる。大丈夫、心配しなくても良かったんだよ・・・と。
思えば、大丈夫、といってくれる人はたくさんいた。
でも、なぜか、そう思えない自分が出来上がっていた。
新しく気づくたびに、あぁ、遠回りだったなぁ・・・と思う。でも、同時に自分には必要な遠回りだったなぁ、とも感じる。なにか気づいたときにはものすごく、幸せだから。
特に、肘先を膝先があるから、不自由を感じるんだ、と気づいたのが大きかった。自分の欲から生まれるうまく行かないだろう、という予感は肘先、膝先があるからこそ生じてくるのだ。いらない、といってもあるものはある。でもそれは同時に、自由な面を持っているという事への気づきだった。ほんとに、ちょっとした実感で世界はどんどん変わっていく。ホントに。どうすればもっと伝わるだろう・・・。楽しく考える事にする(笑)。
【思考実験】気づき、ヒラメキの裏で助けてくれるなにか
全ての動き、活動が「共同作業」だと仮定してみると、こうしてなにかを考えるなかで生まれてくるヒラメキや気づきも共同作業かもしれない・・・なんて事を思った。
私の思考はどこからか来るものなのか、それとも・・・科学者や哲学者はそんな事を一生を通して考えているのかな?でも私という普通の人がそんな事を考えて、自分の中に答えをみつけ、それを元に生きる楽しみ、強さになるのならどんどん、掘り下げていっても良いと思う。
学校で教えてもらう知識。
知識を自分のものに出来ると、多少の優越感は生まれる。でも、それは本当の喜びとはちょっと違うような気がするんです。
喜びをバランスを取る側にみつけ、手柄は全部、相手に上げるといいぞ、という体験がありました。そうすると、この思考から気づき、ヒラメキにいたるプロセスの裏でバランスをとっている「見えない」なにかがあるはず。
その「みえない」何かに感謝をして生きて行きたいなぁ、と子供達と遊びながら思いました。
【思考実験】知識と知恵
震災を境に変わった事がいくつかあります。
1つはテレビに興味がわかなくなった事。いや、もっとキツイ言い方でもいいかも。テレビが見れなくなったのです。特にバラエティが。
笑いを通して心を明るくしよう、というのはわかります。・・・でも、その笑いで妥協をしているんじゃないか?と考えてしまうんです。
生きていくのに明るく、楽しく過ごしていければ幸せです。ポジティブに生きよう、ってのには大賛成。でも、笑いの中には色んな笑いがありますよね。今、テレビのバラエティで仕掛けている笑いが自分と合わないんだ、と気づいてしまったのかも。
今日も芸能人のテストのバラエティがやっていました。子供達は大笑いで見ていました。たぶん、震災前には僕も笑っていたはず。でも、なんか違うんです。おかしな答えを取り上げて、笑う。そんな事もわからないのか、と笑っています。平方根や展開図、英訳・・・学生時代に覚えた事だから「知って」はいるけど、知っているだけで、全然生かしていない自分がいるんだと思うと、知っているだけ、正解というだけでは喜べないんです。
武術を通して学べる事、気づける事は、新しい知識というよりも、自分が知っていた知識を身体を通して経験し、再確認できるという事です。気づく事は、自分が知っていたことばかりなんです。
そうして気づいた事は単なる知識ではなく、どこから攻められても対応可能なものになっているような気がします。だからこそ、武術で気づき、育てた動きがそのまま、介護の人の質問に答えられたり、スポーツの動きに応用できたり、生きていくうえでの悩みや不安の手助けになり、相談にものれたりします。
昔から記憶にはコンプレックスがあるせいなのかもしれません。
いくら覚えてもそれは単なる知識でなんの自信にも変えられませんでした。
わかってもいないのに「覚えている」。これは違うんじゃないか・・・と思いつつも、流されるように受験勉強をしていました。
案の定、大人になり、うわべだけの知識は全く役に立たないし、新しい知識を入れ続けていかないと世の中のスピード間に合いません。この勉強法をしながら幸せになるって想像がつかないです。
そんな性格だったの武術が合ったのかもしれません。記憶、勉強というコンプレックスも身体と心の事が分かるにつれてドンドン無くなっていきます。
頭には期待できない分、身体と心を磨き続ける武術がものすごく楽しく、向き合う事が出来ています。もし、身体と心の事が知りたければ、全力でサポートする覚悟はありますので、遠慮なくどうぞ。知っている事は全部、伝えますから。
【思考実験】誘い方のコツ
おい、一緒にやろうぜ!と誘う時、ものすごくパワフルな方法を見つけました(笑)。
言葉でついてきてくれれば問題ありません。ただ、なかなかうまく行かないときもあります。
身体操法ですから、身体を使います。
・・・とは言っても、ぎゅっと手を掴んでも嫌がられます。もし、連れて行くことが出来たとしても、後から恨まれる場合があります(笑)。
今、一番興味を持って研究している身体の使い方は「肘を消す」事です。その稽古の中で色々と試しました。例えば、相手の上腕(上腕を持つと肘が消えるんです)を持つとこちらが逆に引かれてしまいます。とはいえ、こちらの上腕を掴んでくれるはずありません(笑)。
ではどうするか?
腕を組んで連れて行ってください。これ、抵抗しにくいんです・・・。
ぐっと踏ん張ろうとしても、身体がふわっと浮かされます。
身体が動くと、気持ちが変わる、というのが身体操法の面白さです。不安も怖さも姿勢を変えて、動きを変えると、気持ちが明るくなっていきます。
腕を組まれてつれられると、気持ちも、まぁ、いいか、しょうがないな・・・と思い出してくるから不思議です。
なるほど・・・これ得意技にしている人の顔が数人浮かんできます(笑)