歩くことを意識し始めて1か月ぐらいたちました。
まさか、自分が歩いていなかった、だなんて!
脚は股関節からではなく、腸骨から。
その事に気付いてから動きががらりと変わりました。
それまでの動きはやはり、足裏で蹴りだしていたみたい。
歩くことを意識し始めて1か月ぐらいたちました。
まさか、自分が歩いていなかった、だなんて!
脚は股関節からではなく、腸骨から。
その事に気付いてから動きががらりと変わりました。
それまでの動きはやはり、足裏で蹴りだしていたみたい。
先週の金曜日、つまり、2015/8/21の事、突然、「すれ違い」の感覚にきづいた。
二つのものが出会うと、そのままであれば、「衝突」する。衝突を回避するのに、相手の前から動いたり、衝突しても弾き飛ばされないように力を大きくしたり、いろいろと対策をしなくてはならない。
自分よりも大きなもの、力の強いものとの衝突は怖い、でもなんとかしたい、だから稽古が続けられていたといえる。
普通、大きなものに立ち向かうには鍛える、という事を選ぶ。筋トレだ。しかし、筋トレには弱点がある。
左右の手の連動に気付いて10日。毎日、ここにも、あそこにも連動があった、とびっくりするばかり。そして、だんだんとそれは「当たり前」になってきた。
何気ない動きというのはすべての動きが流れに乗って行われたものなんだろう。究極の連動には程遠いかもしれないけど、最初の一歩を間違いなく踏めた、というのは本当に、運が良かった。
今年の初めぐらいからあるダイエットを始めました。とりあえず、今までずっと、続いているのと、その成果も出ているのでその報告がてらなんとなく思いついたことを書いておこうと思います。
不思議なのは、今試しているこのダイエットは全然、苦しくない、という事。苦しくないから、なんとなく続いている、そんな感じなんだけど、ふと、なぜ、続いているんだろう?と思ったんです。
そして、たどり着いたのが下駄の効用(笑)
今日のタイトルは見る人にとっては過激なものかもしれません。本当はもっともっと、過激にいらない、と言いたいぐらい。でも、喧嘩の仕方も知らないので、いつものように今、感じていることをそのまま書かせてもらいます。
当たり前ですが、呼吸法は捨てられても、呼吸は捨てれません。順番として、まず、呼吸そのものを受け入れてからでないと、ダメじゃないかい、という事です。ダメというよりも、もったいない。今日の話を時間たっぷりに体を使って感覚的に伝えさせてもらえるのならば、捨てる、という表現でなくてもいいと思います。ちょっと横に置いておいて、と。
しかし、感覚がわからないまま、横においても、つい、それにまた頼ってしまいます。だから、「捨てる」決意を持ってほしいんです。
よし、捨てるぞ、と決意をすれば見えてくるものが違ってきます。そこで見えてきたものにまた呼吸法を掛け算するのは自由です。でも、どうやら、呼吸法を知っているから、それ以外のものに気付けないようなんです。もし、今、壁にぶつかっているのなら、騙されたと思って、呼吸法を捨ててみてください。呼吸なんてなんでもいい!って。